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第八章 交響曲の旋律と

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9.蒼天への転調−2



 少しだけ開けられた窓から、若葉の匂いを乗せた風が流れ込んできた。
 緩やかにカーテンがそよぎ、執務室に季節の移ろいを告げていく。昨日の雨の名残りか、肌に湿気の重みを感じるものの、外は爽やかに晴れ上がり、抜けるような青空が広がっていた。
 そばに控えたチャオラウが「いい天気ですね」と無精髭を揺らしながら、独創性もない言葉を漏らす。
 イーレオは思わず苦笑した。
 しかし、かといって詩的な文句をこの男に求めるのは酷であろう。彼は思ったことをそのままに、すなわち歯に衣(きぬ)を着せぬ発言ができるところが良いのだ。――少し違うかもしれないが。
「さて、そろそろ私は、お暇(いとま)するわね」
 シャオリエがソファーから立ち上がり、エルファンが「お供します」と続く。
 そんな中、ハオリュウが執務室を訪れた。
 現れたハオリュウを見て、イーレオは戸惑いを禁じ得なかった。
 それは、ハオリュウがミンウェイの押す車椅子に乗ってきたからではない。足の怪我は軽くはないが、以前のようにとはいかなくとも、いずれは、ひとりで歩行可能なまでには治ると聞いている。
 だから、そこではない。
「ハオリュウ……?」
 イーレオは、思わず名を呼んだ。
 もともと、歳に似合わぬ言動をする彼であったが、顔の造りが別人のようにしっかりとしていた。
 勿論、実際の顔かたちには、なんら変化はない。だから、それは的確な表現ではないのかもしれない。けれど、明らかに雰囲気が違った。
 ぴんと張り詰めた糸のような危うさが消えていた。これまでが一本の細い糸ならば、今の彼は縦糸と横糸から成る柔らかな『布』。ちょうど、彼の藤咲家の領地で作られる絹織物のように、しゃらしゃらと音を立てながら、変幻自在にしなやかに形を変え、ひとつに定まらない柔軟さがあった。
「ハオリュウ。――横になっていなくていいのか?」
「ご心配ありがとうございます。……ですが、いつまでも寝ていると、体がなまってしまいそうなんですよ。僕としては早く歩けるようになりたいですからね。ミンウェイさんも少しくらいならよいと、おっしゃってくれました」
 背後のミンウェイを振り返り、にこやかに目礼する顔は血色も良い。確かに心配無用のようであった。
 ハオリュウは顔を正面に戻すと、すっと笑みを消した。口元を引き締め、改めてイーレオに涼やかな瞳を向ける。
 その視線の意味を解し、イーレオは魅惑の声を艶(つや)めかせて尋ねた。
「他の者は、席を外させたほうがいいか?」
「いえ、皆様、そのままで。『私』は、何もあなたと諍いを起こしに来たわけではありませんから」
 車椅子の肘掛けに置いた手から、当主の指輪が金色に光る。
「そうか。では、藤咲家当主殿の意見を伺おう」
 イーレオが背もたれから体を起こし、居住まいを正す。それに併せ、他の者たちも背筋を伸ばした。
「我が異母姉、藤咲メイシアが鷹刀一族と交わした『取り引き』は、藤咲家が鷹刀ルイフォンとの仲を認めれば反故になると聞きました。相違ありませんか?」
「ああ、相違ない」
 背中で結わえた髪をさらりと揺らし、イーレオが短く頷く。
「では、藤咲家当主として、私がふたりの仲を認めましょう。ただし――」
 ハオリュウは、そこで言葉を切った。漆黒の瞳に、深い闇が落ちる。
 けれど口元は、ほころんでいた。
 泰然と構えた絹の貴公子は、一堂を見渡してから音吐朗々(おんとろうろう)と宣言する。
「異母姉には死んでもらいます」
 その言葉の意味を、額面通りに受け止める愚か者は、さすがにこの場にはいなかった。
 それでも、皆の動揺は隠せない。ざらついた空気があたりを漂い、互いに目線を絡めあっては声を呑み込む。
 しばしの間――。
 けれど、このままでは埒が明かない。イーレオは嘆息し、鷹刀一族を代表して低い声で確認した。
「……表向き、メイシアを死んだことにするんだな?」
「ええ。これで鷹刀一族との『取り引き』からも、貴族(シャトーア)のしがらみからも、異母姉は自由です」
 ハスキーボイスが優しく『自由』を告げる。
「何も、そこまでしなくてもよいだろう?」
 イーレオは眉を寄せた。ハオリュウを貴族(シャトーア)の当主と尊重しようと思いつつも、まだ年少者として見てしまう気持ちとの間で揺れる。
「『何も、そこまで』ですか。確かに僕……私も、そう思いましたよ」
 ハオリュウは目を伏せ、呟くように言う。顔立ちとしては十人並みであるはずなのに、翳(かげ)りが彼に華を添える。
「ですが、僕が円滑に当主になるためには、異母姉は邪魔です。僕は未成年の上、母親は平民(バイスア)の後妻です。異母姉を担ぎ上げる輩は必ず出てきます」
 そして、ちらりと上目遣いに視線を送り、言いにくそうに続ける。
「それから……やはり、失礼ですが、貴族(シャトーア)としては、当主の異母姉を凶賊(ダリジィン)にやるのは体面が悪いものです。しかも異母姉は、警察隊の前でルイフォンとの仲を宣言しています。噂が広まるのは時間の問題でしょう」
 あのときは警察隊を抑えるための芝居であったはずなのに、いつのまにか現実になっている。つまり、異母姉の心は、とっくに決まっていたのだ。――そんなことを考えたのだろう。ハオリュウの口元が、楽しげに苦笑している。
 そんなハオリュウを、イーレオは複雑な目で見つめていた。
 ハオリュウの弁には理がある。
 けれど、イーレオには分かっていた。それは異母姉に向けた、異母弟からの精一杯の愛情だと。実家のことは心配しなくていいから、幸せになってほしいとの――。
「……待って」
 押し黙るしかないとイーレオが諦めたとき、ハオリュウの背後から控えめな美声が割り込んだ。
「ハオリュウ。あなたのお母様が精神を病まれてしまったと、情報屋から報告を受けています。お父様を亡くし、お姉様のメイシアまで縁を切るような真似をしたら、あなたは本当に独りになってしまう。そんなの……、そんなの駄目よ。しばらくはメイシアを実家に返すべきだわ」
「ミンウェイさん……」
 ハオリュウは、困ったように後ろを振り返った。
 異母姉とルイフォンとの仲を初めに喜んだのは、ミンウェイのはずだ。その彼女が、今度はハオリュウのために、ふたりを離そうとしている――。
「別に僕は、独りではありませんよ。鷹刀の方々と、これきりのご縁にするつもりはありませんし、お忍びで異母姉に会いに来ますから」
 無邪気ともいえる顔で、ハオリュウが笑う。
 その笑顔の裏には、貴族(シャトーア)の藤咲家は、凶賊(ダリジィン)の鷹刀一族と手を組むと――権力と財力が入り用なときには便宜を図るし、荒事が必要な場合には頼りにしていると、はっきりと書いてあった。
「だが、ハオリュウ。ルイフォンは鷹刀を出ていき、メイシアも追っていった。ふたりはここにはいないぞ?」
 低い声が響く。
 イーレオではない。同じ声質を持つ次期総帥、エルファン。メイシアをルイフォンのもとに連れて行った張本人である。
「心配ありませんよ。すぐに、ルイフォンが異母姉を連れて、この屋敷に戻ってきます」
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN