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第八章 交響曲の旋律と

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「ルイフォン……。私、本当に何もできないから、ルイフォンに呆れられたのかと思ったの。だから、戻ろうって言われたのかと……」
 再び涙ぐみながら、メイシアが言う。
「俺は別に気にしないけど……。そうだな。メイシアが気にするなら、これからできるようになればいいだけだろ?」
 その言葉に、彼女はぱっと目を輝かせ「はい」と嬉しそうに頷く。
 くるくる変わる彼女の表情を見ながら、彼はふっと真顔になった。
「俺ね、やっぱ、まだまだ餓鬼なんだと思う。自分で稼げるし、お前を養えるし、それで充分だと思っていた。けど、たぶん、まだそれだけじゃ駄目なんだと思った」
 彼女がこの家に来てから考えたこと。黙っていたほうが格好いいかもしれないけれど、彼女には伝えておきたかった。
「俺が鷹刀を出て何が起きたかといえば、周りを心配させただけだった。俺が自分自身に折り合いをつければいいだけのことに、周りを巻き込んだ。俺は……」
 ――と、そこまで言ったとき、ルイフォンは強い視線を感じた。
 黒曜石の瞳が、斬りつけるかのように凛と彼を見つめていた。思わず言葉を呑み込む。そんな彼を押し切るように、嫋(たお)やかなくせに揺るぎない声が響いた。
「それは違うと思うの。ルイフォンが出ていったから、私は追いかけることができた。ルイフォンが欲しかったから、流されたり諦めたりしないで、自分の意志を持つことができた。私にとっては、必要なことだったの。……凄く大事なことだった」
「メイシア……」
「ルイフォンが懸命に考えて行動したことは、すべて意味のあることなの。だから、そのことをルイフォン自身にも悪く言ってほしくない」
「けど……!」
 不意に、メイシアの表情が緩んだ。
 細い指が伸びてきて、ルイフォンの癖のある前髪が、ふわりと巻き上げられる。猫毛にくしゃりと指を絡め、彼女は愛しそうに彼を見つめた。
「うん。ルイフォンが言いたいことは分かっている。私たちは未熟だ、ってことでしょう? ――私もそう思う」
 彼女は微笑む。夢見るような目で、現実を見据えながら。
「私、いろいろなことを覚えたい。ルイフォンの役に立ちたいから――あなたと一緒に生きるための力を蓄えたい。……だから、今は戻るのに賛成する」
「ありがとう……」
 ルイフォンは椅子から立ち、テーブルを回り込んでメイシアを背中から抱きしめた。いまだに緊張で強張る肩を包み込み、黒髪に顔をうずめて、耳元で囁く。
「……でも、たまにはこの家で、お前とふたりきりで過ごしたい。……というのは、我儘?」
 その瞬間、彼女の頬が、かぁっと熱を持つのを感じた。
「う、ううん……。我儘じゃない」
 消え入りそうなほどに小さな声が返ってくる。
 ルイフォンは目を細め、彼女の頬に口づけた。……当然の如く、彼女の体温が、更に急上昇するのを承知で。
 そのまま、彼女を抱きしめる。少しうつむくと、癖のある前髪が目にかかり、背中で編んだ髪が鈴を揺らした。
「……メイシア」
 やや硬質なテノールが響く。
「もうひとつ、話がある」
「え?」
「『ホンシュア』って名前、覚えているか?」
 メイシアの心臓が、どきりと高鳴った。
「私を鷹刀に行くように仕向けた、偽の仕立て屋。――そして、ルイフォンが斑目の別荘で会ったという〈天使〉……」
「そうだ。彼女は、メイシアのことを『選んだ』と言っていた。……俺たちは、彼女によって引き合わされたらしい」
 腕の中のメイシアが、小さく震えた。漠然とした不安が彼女を襲うのを感じ、彼は強く抱きしめる。
 ホンシュアは、彼が『ルイフォン』であることを知っていて、そのくせ『ライシェン』という名前でも呼んだ。何かを知っている。何かが隠されている。
「ホンシュアがルイフォンのお母様……ということは……?」
 遠慮がちに、メイシアが尋ねた。
 ホンシュアもまた、〈影〉にされてしまった不幸な人で、その中身はルイフォンの母親なのではないか。――そう言いたいのだろう。〈影〉という言葉を避けたところに、メイシアが父親の最期を思い出したことが感じられ、痛ましい。
 ホンシュアは〈影〉である。それは正しいと思う。けれど――。
「彼女は母さんじゃない。雰囲気も、口調も違う。……でも、何か重要なことを知っている……と思う」
「――なら、私ももう一度、彼女に会って、お話したい」
 メイシアは微笑みながら、一緒にホンシュアに会いに行こうと言う。
 危険を伴うかもしれない。だから、言い出しにくかった。けれど彼の負担を軽くするような言葉で、当然のように言ってくれる。それが嬉しくて、心地よい。
「ありがとう」
 まばゆい蒼天の下(もと)、ルイフォンは、メイシアがそばに居る幸せを噛みしめた。


「ホンシュア! ホンシュアァ……!」
 小さな体全身を使って、ファンルゥは叫んだ。
 自由奔放な癖っ毛を、ぴょんぴょんと肩で跳ねかせ、まるで癇癪でも起こしているかのように、足を踏み鳴らす。
 彼女の両手は、ホンシュアが横たわるベッドのシーツを皺くちゃに握りしめていた。本当は、ホンシュアの手を握りたかったのだが、熱くて触れることも叶わないのである。
 近くにいるだけで火傷しそうなほどの熱気に、ファンルゥは本能的な恐怖を感じている。
 けれど、ホンシュアは素敵な〈天使〉で、大切なお友達なのだ。放っておくことなんて、できるわけがなかった。
 ホンシュアは、苦しそうに熱い息を吐く。肩がむき出しの、薄いキャミソールワンピース姿なのに、うわ言のように「熱い、熱い」と繰り返す……。
「パパ! ホンシュアには、お薬が必要なの! あのおじさんは、まだ!?」
 くりっとした丸い目に涙を浮かべ、ファンルゥは背後に立つ父親を振り返った。
 こっそり地下に遊びに行っていたことがばれても、それで怒られることより、ホンシュアを助けることのほうが、ずっと大事だった。だから彼女は、父のタオロンを頼った。
 ホンシュアは、〈蝿(ムスカ)〉という、おじさんの持っている薬を飲めば、具合いが良くなる。〈蝿(ムスカ)〉は、嫌なおじさんだけれど、物凄いお医者さんらしい。
 父に頼んで、〈蝿(ムスカ)〉から薬を貰う。――ひとりで〈蝿(ムスカ)〉に会うのは怖かったし、そもそも何処で何をしているのか知らなかったから。
 それが、ファンルゥにできる精一杯だった。
 一方、タオロンはといえば、呆然としていた。
 リュイセンに負わされた傷は、〈蝿(ムスカ)〉によってふさがれたが、まだ動くのは億劫だった。そんな状態で休んでいたら、必死の形相の愛娘が、部屋に駆け込んできたのだ。
 心配をかけたくない彼としては、娘には負傷したことを悟られたくない。仕方なく手を引かれるままについていけば、きな臭い地下である。扉を開けた瞬間、部屋から熱気が押し寄せてきた。
 そして、ベッドに横たわる、薄着の女。〈蝿(ムスカ)〉に『〈蛇(サーペンス)〉』と呼ばれていた女だ。その女の背から――『羽』が生えていた……。
 そう、光の糸が網の目のように広がった『それ』は、確かに羽としか言いようがない。ファンルゥが、ちゃんと『〈天使〉なの』と説明していたのに、子供の戯言(たわごと)と聞き流していたのを反省する。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN