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第八章 交響曲の旋律と

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1.真白き夜明け−1



 散りかけた桜の花びらを白く透かし、執務室へと輝く朝日が注ぎ込まれる。昨日よりも一日分だけ多く春の暦を重ねた今日は、一段と緩く穏やかな光をまとっていた。
 そんな晴れやかな陽射しの中、ローテーブルを挟んで向かい合う一組の男女がいた。
 ふたりとも若くはないが、美男美女の取り合わせとして、申し分ない容貌をしている。しかし、思い思いにソファーに身を投げ出す様(さま)は、春の恵みを享受しているというには渋面に覆われ過ぎていた。交わす視線は、無言の愛の睦言などとは程遠い、共謀者のそれ。――すなわち、彼らが逢瀬を楽しんでいるわけではないことを、雄弁に物語っていた。
「今更、〈七つの大罪〉が出てくるとはね……」
 シャオリエは組んだ足を組み直しながら呟いた。彼女は、ルイフォンとメイシアを店から送り出して以降の話をイーレオから聞いていたのであるが、それがあまりにも長く複雑だったため、体が強張ってしまっていた。
「もうとっくに瓦解したかと思ったのに。いったい誰が指揮を取っているのかしら」
 彼女のその問いに、イーレオは溜め息で答えるしかなかった。肘掛けに頬杖を付き、落とした視線のまま、秀でた額に皺を寄せる。
 押し黙ってしまった彼を見て、シャオリエは自分の口元に指を寄せた。愛用の煙管(キセル)がないのは口さみしいが、それは言っても仕方がない。
 それより、さて。図体ばかりが大きくなったこの男に、どう言ってやるべきなのか。彼女はしばし迷う。
 今や総帥を名乗るイーレオだが、彼女にとっては、いまだに庇護の対象であった。
「発端は、貴族(シャトーア)の厳月家が、名誉ある役職欲しさにライバルの藤咲家を陥れようと斑目を雇った――と聞いていたけれど、どうも違うわね。無駄な役者が多いわ。……そして、無関係の鷹刀を強引に引きずり込んでいる」
 イーレオが目線を上げると、シャオリエのアーモンド型の瞳が、肉食獣のような眼光を放っていた。彼は体を起こし、絶対の信頼と、尊敬と情愛と畏怖までを捧げる彼女に、「つまり――?」と言葉を促した。
「〈蝿(ムスカ)〉を名乗る男が、お前を狙っている。初めから、斑目も、厳月家も、警察隊も、すべて奴の駒にすぎない」
 嫋やかで儚げな声質を裏切る、鋭く厳しい声が、空気を斬り裂いた。
 シャオリエだって、なんでも背負い込みたがるこの男に、更に責任を押し付けるようなことは言いたくない。しかし、すべてがイーレオを絡め取るための罠にしか見えなかった。なのに肝心の彼は、人のよさを利用され、どんどん深みにはまっているように思える。
「勘違いしないで。別に、断言する気はないわ。私の一意見よ」
 彼女は軽く腕を組んで、溜め息をついた。
「ただ、今更のように厳月家とメイシアの婚約話なんてものが出てきた以上、〈蝿(ムスカ)〉は厳月家という駒で何か仕掛けてくると私は予測するわ。……何を画策しているのかは分からないけれど」
「待ってくれ。それじゃあ、俺を追い込むために藤咲家は利用されたというわけか?」
 イーレオが身を乗り出す。
「そういうことね。――冷たいようだけど、お前が気に病む必要はないわ。〈蝿(ムスカ)〉は、単に貴族(シャトーア)同士の不仲を利用しただけよ。藤咲家には付け入られる隙を見せたという落ち度があるわ」
 シャオリエの言い分に、イーレオの眼鏡の奥の瞳が不服を訴えた。しかし、彼女の酷薄にも見える美貌は揺るぐことなく、静かな迫力を持つ声が彼の感情を押し返す。
「すべての責任が自分にあると考えたら、お前は潰れる。お前は組織の『王』なんだから、自分が守るべき範疇を間違えないで」
 シャオリエとて、非情になりたいわけではない。けれどすべてを救うことなど無理なのだ。ならば、優しすぎる総帥の負担が少しでも軽くなるよう、悪役でも買って出る。それが彼を総帥に据えた、彼女の義務だと考えていた。
「それよりも気になるのが『〈蝿(ムスカ)〉』ね。奴はいったい何者なのか。そして、奴に〈天使〉を与えたのは誰なのか……」
 シャオリエは再び足を組み替え、ローテーブルの上の書類に目を落とす。
 それは、メイシアの父を救出したときのことをまとめた、ルイフォンの報告書であった。彼が眠る前に記し、執務室に置いていったものだ。
 そのとき、執務室の扉が――〈ベロ〉が来訪者を告げた。ただし、それはルイフォンが仕掛けた虹彩認証を通過したというだけの知らせであり、意思があるかのように自在に喋る〈ベロ〉の言葉ではない。
 偽の警察隊を大虐殺の憂き目に遭わせた冥府の守護者は、あれ以来、気配を消してしまった。『もう手出ししない』と宣言したように、今まで通りに沈黙を保つつもりらしかった。
「失礼します」
 指先に制帽を引っ掛け、軽く会釈したのは、警察隊の緋扇シュアンであった。
 中肉中背の体を、気だるそうに動かしながら入ってくる。不健康そのものの肌は青白く、もともと隈(くま)の濃かった目が更に落ち窪み、げっそりと頬がこけていた。
 意外な相手の登場に、イーレオは「どうした?」と尋ねる。
「辞去のご挨拶です」
 荒れた唇に微妙な声色を載せて、シュアンは答えた。
 昨晩、ミンウェイが捕虜を自白させるのに同席したシュアンは、彼女と共にその顛末をイーレオに報告し、そのまま一晩、屋敷に滞在した。客間を勧めるミンウェイを断り、自らの手で物言わぬ骸と変えた彼の先輩、ローヤンのそばで時を過ごしたのだった。
「随分と早いな。もう少し、ゆっくりしていって構わないぞ」
 イーレオは、シュアンに穏やかな微笑を向ける。
 捕虜たちの正体が〈蝿(ムスカ)〉の〈影〉と聞き、イーレオは戦慄した。そして、ミンウェイのそばにシュアンがいてくれたことに感謝していた。
「いえ。射撃の自主訓練があるんで」
「ほう。お前が勤勉とは知らなかった」
「一発の弾丸の重さをね、……確かめに行くんですよ」
 シュアンはそう言いながら、ぼさぼさ頭を制帽で押さえつけ、目深にかぶった。
「――それより、逢い引きの邪魔をしてしまいましたね。とんだご無礼を」
 シュアンは、執務室に入った瞬間にシャオリエの姿を確認したのであるが、謝罪するより先にイーレオに声を掛けられてしまったのである。
「無粋者はこれで失礼しますから。ごゆっくり」
 シュアンの経験では、こういう場合は、できるだけ平然とするのが吉である。そして、できれば女とは目を合わさずに、早々に退散するに限るのだ。
 急ぐシュアンに、イーレオが苦笑交じりの否定を返そうとしたとき、シャオリエがすっと立ち上がった。
「坊や。年上をからかうと長生きできないわよ」
 そんなことを言いながら、彼女はシュアンに近づく。ただ歩いているだけなのに、細い腰のくびれからは艶(なま)めかしさが漂う。ふわりと羽織ったストールをなびかせ、白い胸元をちらつかせた。
 すぐそばにシャオリエが来ると、シュアンは扇情的な香りに包まれた。小柄な彼女が踵(かかと)を上げ、彼の頬に触れる。
 シュアンは――動けなかった。
 色香のせいではない。
 恐怖。
 以前、イーレオに肩に手を置かれ、『自惚れるな』と言われたときと同様の――。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN