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第八章 交響曲の旋律と

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7.引鉄を託す黙約−2



「あっ、緋扇さん。ご足労、痛み入ります」
 ベッドに体を横たえたハオリュウが、にこやかに声を掛けてきた。
 どんな第一声を出したものか、決め兼ねているうちに扉を開けてしまったシュアンは、それで救われた。
「……夜分に、すまんな」
 ハオリュウの言葉を受ける形で、彼は愛想なく答える。
 何気ない人当たりの良さは、貴族(シャトーア)の作法という、習性にも近いものなのだろうか。シュアンは機嫌取りの世辞は言えても、ハオリュウのような社交術は身に付けていない。
 彼は改めて、ハオリュウをただの子供扱いした自分を、愚かだったと思った。
 ハオリュウの頭には、白い包帯が巻かれていた。しかし、それは〈影〉に花瓶を投げつけられた跡で、おまけのようなものだ。
 本当の怪我は毛布に隠された足にある。医療器具の類は見当たらないが、部屋に染み付いた濃い薬品の匂いが、傷の深刻さを物語っている気がした。
「僕が書いた書状は、お役に立ちましたか?」
 そう言いながら、ハオリュウがベッドサイドの椅子を勧める。
「ああ、助かった」
 腰掛けながらシュアンが答えると、ハオリュウは「それは良かったです」と無邪気に微笑んだ。そして、もぞもぞと体を動かし、顔をしかめながら上半身を起こそうとする。
「おいっ!」
 そんなことをすれば傷が開くかもしれない。そうでなくても、相当の痛みがあるはずだろう。
 慌てるシュアンを、ハオリュウは軽く手で制する。夜着の緩い袖がめくれ、少年の細い腕があらわになった。そこには無数の、砕けた硝子の花瓶による擦過傷があった。
「あなたに、これをお返ししようと思っただけですよ」
 ハオリュウは枕の下から拳銃を取り出した。
 シュアンが貸した拳銃――ハオリュウを傷つけた拳銃だった。
「どうもありがとうございました」
 清々しいとさえいえる笑顔と共に、シュアンの手の中に重みが加わる。
 それは、かつてシュアンの肩に載せられた、先輩の手と同じ重さだった。

『いいか、シュアン。撃つのは一瞬だが、不可逆だからな。――その一発の弾丸が、無限の可能性を摘み取るんだ』

 ハオリュウに銃を手渡した時点で、シュアンは引き金を引いていたのだ。決して他人に委ねてはいけなかった照準と覚悟を……手放したのだ。
「俺が帰ったあとに何が起きたのか、ミンウェイが教えてくれた」
「ああ、やはりミンウェイさんでしたか。僕の包帯にあなたが驚かなかったので、どなたかに聞いたのだろうとは思っていましたが」
 のんびりとすら感じられるハオリュウに、シュアンは苛立ちを覚える。
「……何故、すぐに撃たなかった?」
 シュアンなら、〈影〉と判明した瞬間に引き金を引いていた。
 もしハオリュウが、実の父の体を前に、撃つのをためらったのなら、理解できる。けれど、そうではないのだ。
「あんた、〈影〉に本物の父親のふりをさせたんだって? そのあとは毒殺しようとしたと聞いたぞ。あんたは、いったい何をしたかったんだ?」
 使うつもりがないのなら、貸す必要はなかった。そうすれば、照準のずれた弾は発射されなかった。――ミンウェイの言った通り、ハオリュウの怪我は、なかったのだ。
 手の中の銃が、ずしりと重い。
 先輩の言葉が、耳の中で繰り返される。
「緋扇さん、怒っているんですか?」
「……あ、あぁ……。いや、そういうわけじゃない」
 これではまるで八つ当たりだ。シュアンは尻つぼみに押し黙る。
 ハオリュウは、特に問いただすつもりはなかったらしい。シュアンから視線を外すと、薄く嗤った。
「そうですね。確かに、他人から見れば、僕の行動は理解できないでしょう」
 そう言ったハオリュウの顔から、すっと笑みが消えた。
「――異母姉のためですよ」
 軽く首を曲げ、ハオリュウはシュアンを見やる。これだけは譲れなかったのだと、漆黒の瞳が冷たく言い放っていた。
「〈影〉にされた父を僕が殺した、なんて異母姉が知ったら、傷つくに決まっています。だから僕は、彼女を幸せにするシナリオを組み立てたんです」
「シナリオ?」
「異母姉と鷹刀ルイフォンは、自分たちの仲を父に認めてもらおうとしていました。僕としては複雑な思いもありましたが、ルイフォンは本物の父なら感涙ものの発言をしてくれたんです。――それを〈影〉は踏みにじった……」
 ハオリュウは唇を噛んだ。
「本物の父様なら、諸手を挙げて祝福していたはずだった。――姉様が可哀想だった……!」
 彼は拳を握りしめ、感情が漏れ出さないようにを押さえ込む。しかし、興奮を帯びたハスキーボイスからは、静かな怒りが撒き散らされていた。
「〈影〉を殺し、僕が当主になれば、異母姉の処遇は僕の一存で決められます。彼女を鷹刀ルイフォンにやることも可能です。……でも、そうじゃない。異母姉は、皆に祝福されて、幸せになるべきなんです」
 高ぶりすぎた気持ちを鎮めるために、ハオリュウは小さく息を吐いた。そしてまた、あの無邪気すぎる笑みを見せる。
「だから、本物の父ならば言ったはずの台詞を〈影〉に言わせました。それだけのことですよ。そして、用が済んだから始末しようとしました。あの優しい父の顔を〈影〉の醜い嗤いで穢されるのは、耐えられませんから」
 半端に口を開けたまま、身動きが取れないシュアンに、ハオリュウは、にこりと笑った。
「ああ、銃ではなく、毒を使った理由を知りたいんでしたね? ――簡単なことです。僕が父を殺したことを異母姉から誤魔化すためです」
「誤魔化す?」
 語尾を上げたシュアンに、ハオリュウは「はい、そうです」と頷く。
「〈蝿(ムスカ)〉とやらの技術に『呪い』というのがあったでしょう? だから、『呪い』によって父は死んだことにしようとしたんです」
「どういうことだ?」
「『父は、脅されて〈蝿(ムスカ)〉の手先になっていた』と、異母姉には説明しました。それなら、脅されたことを告白した父が『呪い』で死んでもおかしくないでしょう?」
「な……」
 話に聞いただけの『呪い』すら小細工に利用する、その発想の柔軟さにシュアンは舌を巻く。確かに、『呪い』のせいにするのなら、銃殺ではなく毒殺のほうが都合がいい。
「けど、なら――なんで俺に銃を借りた?」
「失敗したときの保険です」
 無邪気な笑顔に、シュアンは鼻白む。思わず眉を寄せ、強い口調で尋ねた。
「毒が失敗したときの、最後の手段として撃つつもりだったのか?」
「勿論、それもありますが――」
 ハオリュウは言いよどみ、いたずらがばれた子供のように、ちらり、と上目遣いでシュアンを見る。
「僕は、殺人に関しては素人の、しかも子供ですよ? 成功する確率が、どのくらいあると思っていたんですか?」
 シュアンは答えられなかった。冷静に考えれば、その確率は高いはずがなかった。
「〈影〉――父と比べ、体格的に劣る子供の僕が、返り討ちに遭う可能性は充分にありました。しかも僕は、いざとなったら、ひるんでしまうかもしれません。相手の体は『父』なんですから。でも〈影〉は僕に対して、なんの遠慮もありません。圧倒的に僕が不利なんですよ」
 言われてみればそうである。否、だからこそ、やはり問答無用で〈影〉を撃つべきだったのだと、シュアンは思う。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN