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第八章 交響曲の旋律と

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6.哀に溶けゆく雨雫−2



 ふと、空を見たくなった。
 だから、ルイフォンはテラスに出た。ガーデンチェアーに身を預け、天を仰ぐ。
 けれど、そこに青い空はなかった。
 薄暗い雲が広がっていく。ところどころに濃淡を作りながら流れていくのに、気づけば、世界は単調な灰色一色に塗り替わっている。
 曇天が、そのまま落ちてきそうな錯覚に見舞われ、目眩がしてきた。ルイフォンは逃げるように目線を下げる。庭を見やると、芝で覆われているはずのそこは、一面の桜の花びらで埋め尽くされていた。
 鷹刀一族の屋敷の大樹ほど立派ではないが、この庭にも桜がある。定期的に庭師に手入れを頼んでいるのだが、昨日から今日にかけて一気に散った花びらは、まだ手付かずの状態のようだった。
 これは酷いなと、彼は溜め息をつく。いつもなら、すぐにも庭師を呼ぶところだが――。今は人に会いたくなかった。
 おそらく、近いうちに彼を心配したミンウェイあたりがやってくるだろう。だからルイフォンは、家の玄関扉は勿論、門扉も〈ケル〉によってロックした。よって現在、この屋敷は彼以外、何人(なんびと)たりとも立ち入ることはできなくなっている。
「……ごめんな」
 届くわけもない謝罪を口にする。
 遠くから、重い雨の匂いがした。大気の苦い圧力を感じ、彼は背を丸める。
 ――彼女の父親を殺害した。
 取り返しの付かないことをした。
 殺すことだけが解決策だと思い込んだ。それが救いになるのだと信じ込んだ。
 けれど、父親は子供たちを忘れていなかった。
『君たちの顔を見たい』――そう願った。
 最後に『見えてきた』と言っていたが、あれは嘘だ。あの状況で目が見えるわけがない。だから、あの言葉は子供たちを悲しませないための愛情だ。
「親父さん……、すみません……」
 彼と、言葉を交わしたかった。
 彼に、『メイシアを一生、大切にします』と、きっぱり宣言したかった。周りに冷やかされながら――祝福されながら。
 拳銃を持った手を狙えばよかった。毒なんか塗らなければよかった。
 たとえ何年掛かったとしても、必ず元に戻してやると――。
 誰がなんと言っても……。
「――俺だけは……、信じるべきだったんだよ!」
 拳を握りしめ、ルイフォンは叫ぶ。
 固く目を瞑(つむ)り、声にならない声を上げる。
 激しく頭を振り、一本に編まれた髪が背で暴れる。けれど金色の鈴は、曇天のもとでは光を放つことはない。
 誰も、ルイフォンを責めなかった。
 誰ひとり、ルイフォンを責めなかった。
「でも、それじゃ、親父さんは死んで当然、ってことじゃねぇか! 親父さんが可哀想じゃねぇか! なんで、誰も分からねぇんだよ!」
 それは、ルイフォンのためだ。残されたルイフォンを傷つけないために、皆が気を遣う。
 だから、せめて、自分だけは――。
 ――あの穏やかで優しい父親のために、憤り、悼み、悲しみ――責めようと……思ったのだ。
 肩を落とし、溜め息をつく。
 ルイフォンは、ガーデンチェアーに身を投げ出した。
 また、薄暗い空が目に入る――。
 不意に、天から雫が降ってきた。
 ぽつり、と。ルイフォンの頬を濡らす。
「雨……」
 テラスの上にも、細長い筋を伸ばしながら、水滴が落ちてくる。
 灰色のコンクリートに、薄黒い点がぽつり、ぽつりと描画されていく。あちらに、こちらに。不規則なようでいて、まんべんなく。たとえ近くに落ちても、決してぴたりと重なることなく――。
「はは……。雨の奴、綺麗な乱数を作りやがる」
 そう呟いてから、ルイフォンは馬鹿だな、と思った。自然現象を相手に『乱数を作る』とは変だろう。彼の組むプログラムではないのだ。
「ああ、頭が働いてねぇや。疲れてんのか、俺……」
 テラスに現れた点描画は、時々刻々と変化していく。激しくはないものの、すぐには止みそうもない。
 ルイフォンは雨空を見上げる。
 ――そして、想う。
「メイシア……」
 違う世界から舞い込んできた小鳥。
 彼女に鳥籠が似合うとは思わない。けれど、彼女が飛ぶべき空は澄み渡った青天であって、渦巻く嵐の荒天ではない。
 だから、忘れてほしい。
 彼女が嵐に見舞われたのは、ほんの数日。刹那のできごと。
 一緒に居た時間は、たったそれだけだから。
「代わりに俺が、一生忘れないから」
 癖のある前髪をかすめ、冷たい雨の雫が瞼(まぶた)を濡らす。頬の曲線をなぞり、顎から滴る。
 空が、ルイフォンを包み込む。
「泣く資格のない俺のために、泣いてくれるのか? ――なんて、な……」
 メイシアは――。
 ――きっと、泣いているだろう……。


「……フォン……」

「ルイ…………ン……」

 小鳥がさえずるような、高く澄んだ声が聞こえた。
 けれど、それは、彼女を愛おしむ心が求めた幻聴だろう。この屋敷は〈ケル〉によって、外界から固く閉ざされているのだから。
 ルイフォンがそう思ったとき、強い風が吹いた。
 雨の重みに逆らい、庭を埋め尽くす花びらを盛大に巻き上げる。さわぁ……と、鮮やかに花が歌い、空に舞う。
 一度、地に落ちたはずの花々が、再び天に戻り、華やかな薄紅色の花吹雪となって蘇る。

「ルイフォン――!」

 花嵐の向こうから、桜の精が現れた。
 黒絹の長い髪を風になびかせ、白磁の肌をほんのり桜色に染めて走ってくる。
 彼の姿を確認すると、彼女は黒曜石の瞳を輝かせた。
「ルイフォン。私、来たの!」
 彼女は肩で息をしながら、彼に叫んだ。
「何もかも、全部、無視して……。――振り切ってきたの……!」
「……メイシア!?」
 彼女が口にしたのは、彼女に想いを告げたときに、彼が言った言葉――。

『振り切っちまえよ』
『しがらみも『取り引き』も、全部、無視だ』
『――俺のところに来い』

「だから、あなたも――」
 彼は身動きが取れなかった。
 透き通るような、凛とした声が雨を払う。嫋(たお)やかな外見に反する、揺るぎない意志が風を貫く。
「私のところに来て!」
 メイシアは、極上の微笑みを彼に向けた。
「私は、あなたが欲しい……!」
 さらさらとした黒髪が、優しく頬を縁取る。まろみを帯びた柔らかな表情。長い睫毛を載せた目尻は下がり、淡い唇は緩やかに上っている。
 想いが胸を、突き上げた。
 彼女の笑顔に吸い込まれる。魅了される。惹きつけられてやまない。彼女の必死なときの顔といえば、泣き顔ばかりが思い浮かぶのに――。
「……なんで、お前、笑っているんだよ」
 他に言うべき言葉は、幾らでもあるはずだった。
 しかし、彼の口から出たのは、そんな救いようもなく間抜けなもので――その声は、今にも泣き出しそうなほどに震えていた。
「だって……」
 答える彼女の声にも、震えが混じる。
「目の前に……、ルイフォンが、居る、から……!」
 その瞬間、メイシアの両目から雨雫が落ちた。けれど彼女は、変わらずに笑っていた。


 メイシアを雨に濡らすわけにもいかず、ルイフォンはやむを得ず彼女を家に上げた。
 玄関に入る際に判明したのだが、〈ケル〉のセキュリティ情報が書き換えられていた。メイシアに、ルイフォンと同等の権限が与えられていたのである。だから彼女は、門扉を通過できたのだ。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN