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第八章 交響曲の旋律と

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「リュイセン、親父さんを救出するとき、斑目タオロンが銃を使ったこと、覚えているか?」
「無論」
 打ち解けたと思った次の瞬間、タオロンは凶賊(ダリジィン)の誇りをかなぐり捨て、銃を使ってメイシアの父コウレンを殺害しようとした。
「あれ、さ。タオロンは親父さんが〈影〉だと知っていて、俺たちが連れ帰るのを阻止しようとしたんじゃないか……?」
「ああ……! あの男、何かわけがあると思っていたが……。そうか……」
 得心するリュイセンの声に、ルイフォンは浮かない顔をする。
「でもな、リュイセン。ハオリュウが、あの親父さんを本物だと認めているんだ。息子なら、俺たちよりもはっきり違和感に気づきそうなものだろう?」
 リュイセンは、コウレンとは別荘で会ったきりだ。屋敷に帰ってから見舞っていない。コウレンに対するハオリュウの言動を知らないのだ。
 ルイフォンは、ハオリュウの様子を語った。
 話しながらルイフォンは、自分があのコウレンを本物だと信じたがっていることに気づいた。胸が締め付けられるような、すがるような思いすら湧き上がる。
「……お前の話は分かった」
 リュイセンの低い声は、逡巡を含みながらも、後ろに引くことはなかった。
「まず、間違いなく、ハオリュウは気づいている。気づいていて、本物扱いしているんだ」
「なんだって?」
 ルイフォンの語尾が、きつく跳ね上がる。
「なんで、ハオリュウは黙っているんだよ!?」
「今、お前が必死になって、俺の言葉を否定しているのと同じ理由だろう」
「どういうことだよ!?」
「――メイシアのためだ」
 やりきれない、とばかりにリュイセンが吐き出す。
「彼女が悲しまないように、お前は父親が〈影〉であってほしくないと願い――そして、異母姉が傷つかないように、ハオリュウは父親が〈影〉であることを隠している」
 諭すような低音が、すとんと胸に落ちてきて、ルイフォンの逃げ場を奪う。
 認めざるを得ない真実が、目の前に立ちふさがった。
「ルイフォン。知らなかったとはいえ、俺たちが災いを呼び込んだんだ」
 リュイセンの声が響く。
「俺たちが、なんとかすべきだろう」
 いろいろあったけれど、すべて丸く収まったと思っていた。メイシアとの仲も認められ、これから幸せが始まるのだと思っていた。
 けれどそれは、ハオリュウが作った、優しい嘘の世界に過ぎなかった。
「……ああ。そうだな」
 肩を落としたルイフォンが、力なく笑う。
 彼は癖のある前髪を掻き上げた。瞳を閉じ、ゆっくりと息を吐く。次に目を開いたときには、いつもの鋭さを取り戻していた。
「――ハオリュウと話をしてくる」
 ルイフォンの言葉にリュイセンが頷く。
「俺は祖父上のお耳に入れておこう」
 そう言って、リュイセンは部屋を出ていった。

 
〈影〉のことを教えてくれた緋扇シュアンに、ハオリュウは拳銃を貸してくれるよう、頼み込んだ。
 まともな警察隊員なら、応じてくれるはずもない。だが、シュアンは狂犬とあだ名されるような人物だ。しかも、大切な先輩を〈影〉にされている。ハオリュウと同じ境遇だった。
「まだ、あんたの父親が〈影〉だと決まったわけじゃないだろう?」
「そうですね。決まったわけではありません。――でも……分かりますよ」
 本物の父なら、目を覚ました瞬間に言ったはずなのだ。誘拐されていたハオリュウの顔を見て、『君が無事でよかった』――と。
「あなただって、すぐに、あなたの先輩が別人だと気づいたのでしょう?」
「……そうだな」
 シュアンは押し黙った。視線が落とされると、三白眼も鋭さを失う。
「勿論、ちゃんと確認してから行動に移しますよ」
 にっこりと、無邪気ともいえる顔をハオリュウは向ける。しばらくして、シュアンがためらいがちに口を開いた。
「あんたみたいな餓鬼が……本気か?」
「ええ」
 ハオリュウは頷き、薄く嗤った。
「あなたが自らの手を汚したように、これは僕がやるべきことなんですよ」
「……まぁ、やってみろ」
 シュアンは拳銃を取り出し、ハオリュウの手に載せた。使い込まれた銃は手垢で光り、ところどころ傷が刻まれていた。
 銃の取り扱いを説明するシュアンの声は予想外に優しく、親切だった……。
 ――そして今、ハオリュウは、父コウレンの体を奪った〈影〉に銃を向けている。
「守るためなら、僕はなんでもできますよ?」
 声の震えは完璧に隠せても、指先の震えは止められなかった。
 メイドに淹れてもらったコーヒーに毒を仕込むことができたくせに、おかしなことだ。思わず嗤いが漏れる。
 だが、置いたカップに手がつけられるのを待っているのと、明確に狙いをつけて引き金を引くのとでは、やはり違うようだ。
 一瞬先の未来の中で、父の体に穴があく。
 警察隊が鷹刀一族の屋敷を蹂躙したとき、ハオリュウは幾つもの射殺体を見ている。それでも、その死体に父の顔がつくのは想像したくなかった。
「……」
 ハオリュウはまっすぐに構え、引き金に力を込める。硬く、重い引き金を、か弱い子どもの力で振り切って……。
 そのときだった。
 がちゃり、と扉が開く音がした。
「ハオリュウ!?」
 高く、澄んだ声が響いた。
 ――一番、知られたくない相手、異母姉メイシアの驚愕が聞こえた。
「姉様……!」
 その隙を、コウレンは見逃さなかった。彼は勢いよく立ち上がり、テーブルに手を伸ばす。
 何が起きたのか、ハオリュウは一瞬では理解できなかった。
 気づいたら、テーブルの中央にあった硝子の花瓶がコウレンの手の中にあり、それがハオリュウの顔をめがけて投げつけられていた。
「……っ!」
 花瓶が飛んでくる――!
 ハオリュウは、慌てて両手で顔を覆った。
 しかし……。
 ――刹那、遅かった。
 額が、激しい痛みと衝撃に襲われる。その勢いのまま、彼の体は椅子ごと倒され、床に投げ出された。
 ほぼ同時に、花瓶も床で砕け散り、水と花と、そして光の欠片となった硝子が宙を舞う。
 蒼白になったメイシアの絹の悲鳴が、部屋を切り裂く。――しかし、ハオリュウとコウレンの耳には何も聞こえない。
 鋭利な破片をもろともせずに、コウレンが駆けてくる。床に倒れたハオリュウに馬乗りになり、銃を奪おうとする。
 奪われてなるものか――!
 ハオリュウは咄嗟に腕を振るい、銃の台尻でコウレンを殴った。
 コウレンの呻きと硬い感触が、掌に伝わってくる。頬骨に当たったようだが、しかしハオリュウの力程度で、相手の動きを止められるわけがない。
 ハオリュウはなおも、もがき、暴れ続けた。
 花瓶を打ちつけられた額が、床に叩きつけられた後頭部が、激しい痛みを訴える。撒き散らされた花瓶の水で、顔も服もぐしゃぐしゃに濡れそぼり、飛び散った硝子の破片で頬を切る。
 活けられていた花が踏み潰され、ハオリュウとそっくりな無残な姿を晒した。
 無茶苦茶でありながら、それでも何度目かに、ハオリュウの持つ銃がコウレンのこめかみをしたたか打ちつけた。
「こいつめ!」
 激しい怒りに、目の前が真っ赤になったコウレンが、ハオリュウの首筋に手を掛けた。
 そして、一気に絞め上げた。


作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN