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第八章 交響曲の旋律と

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5.夢幻泡影の序曲−1



 ミンウェイが自白を任された捕虜たちは、〈七つの大罪〉の技術によって記憶を別人に書き替えられた〈影〉という存在だった。また、中にいた人格は〈蝿(ムスカ)〉であり、それは死んだはずのミンウェイの父親、ヘイシャオであることも会話から確認できたという。
 そして捕虜たちのうち、巨漢は〈蝿(ムスカ)〉の細工によって自爆させられ、警察隊員のほうは同席した緋扇シュアンによって射殺された。
 ――そんな凄惨な話が報告された。
 淡々と事実を告げるミンウェイが、声を揺らすことはなかった。
 すらりと綺麗に背筋を伸ばし、胸を張る姿はいつもと変わらず、それだけに、かえって誰の目にも痛ましく映った。だからイーレオは、今日のところは早々にお開きとし、懸案事項などは後日とした。
 イーレオの解散の号令で、執務室から皆がぱらぱらと退室する。
 廊下の角で他の者と別れると、ルイフォンはそっとメイシアの頭に手を載せた。彼女は瞳を真っ赤にしていた。ずっと涙をこらえていたのだ。
「メイシア……」
 彼が髪をくしゃりと撫でると、彼女の頬をひと筋の光が伝う。 
「ご、ごめんなさい……。私なんかが泣くなんて、ミンウェイさんたちに失礼だわ」
 辛いのはミンウェイであり、この場にはいない警察隊員の緋扇シュアンである。メイシアは慌ててハンカチを取り出し、目元を抑えた。
「失礼ってことはないだろ。お前に思いやられて、ミンウェイが不快に思うわけがない」
 メイシアの睫毛で光る透明な涙は、彼女の綺麗な心そのもの。ルイフォンは愛しげに微笑む。
「あとで料理長に甘い菓子でも貰って、ミンウェイに差し入れてやろうぜ」
 明るくそう言って、彼はメイシアの頭をぽんぽんと撫でた。
 ――ミンウェイのことは確かに心配だった。けれどルイフォンには、それよりもずっと引っかかっていることがあった。
 心臓に突き刺すような痛みが走り、胸の中を不安の影が広がっていく。
 メイシアのそばにずっとついていてやりたいという気持ちはある。けれど、ひとりになって、この案件を冷静に吟味すべきなのではないかという焦燥がもたげてくる。
「ルイフォン?」
 不意に、声を掛けられた。すぐそばで、メイシアが彼の顔を覗き込んでいた。ほんの一瞬のつもりだったが、結構な時間、頭が異次元に飛んでいたらしい。
「どうしたの?」
「うん? ああ……」
 ルイフォンは口籠る。
 メイシアは不思議そうに瞳を瞬かせ、そして柔らかに微笑んだ。
「ルイフォンが何を気にしているのか、気にならないと言ったら嘘になる。でも、考えごとの邪魔はしたくないの。きっと、とても大事なことなんでしょう?」
「……あ、ああ。……すまん」
 申し訳なさそうに答えるルイフォンに、メイシアが更に一歩近づいた。
 彼女は爪先立ちになって手を伸ばし、彼の髪にふわりと触れる。心配するな、大丈夫だ――そんな思いを彼が伝えるときによくやるように、彼女の指先が彼の癖毛をくしゃりと撫でた。
「え……?」
 いつもは一方的に撫でるばかりだったルイフォンは、目を丸くする。
 はっと、我に返ったようなメイシアの顔が、急速に赤く染め上げられていく。
「わ、私っ! お父様とハオリュウのところに行ってくる」
 叫ぶようにそう言って、彼女は走り出した。
 あとに残されたルイフォンは、メイシアの感触の残る前髪に触れ、じんわり胸と頬が熱くなるのを感じていた。


 メイシアの背を見送り、自室に戻るべく階段を登りきったところで、ぬっと黒い影が現れた。細身のルイフォンに比べ、肩幅も上背もある立派な体躯。癖のない黒髪を肩まで伸ばした、神の御業を疑う黄金比の美貌――。
「リュイセン?」
 先ほど執務室で別れたばかりの年上の甥が、腕を組んで立っていた。
「どうした?」
「お前を待っていた。途中で、あの女と別れたのが見えたからな」
 リュイセンはそう言うと、お前の部屋に行くぞ、と身振りで示し、踵(きびす)を返す。
「『あの女』って、メイシアのことかよ?」
「それ以外に誰がいる?」
 小走りになりながら、あとを追うルイフォンに、くだらないことを聞くなとばかりにリュイセンが答える。
「おい、お前、まだあいつのことが気に入らないのか?」
「そんなことはない。初めはともかく、今は、あの女と異母弟のハオリュウは認めている」
「なら、なんで?」
「あの女は、お前のものだ。だから、俺が気安く名前を呼ぶわけにはいかんだろう?」
 何を当たり前のことを、と言わんばかりのリュイセンである。
 ルイフォンは絶句した。リュイセンとは長い付き合いだが、こんなのは初めてである。どうやら彼なりの気遣いであるらしい――たぶん。
「いや、それは普通に名前を呼ばないと不便だろ」
「そんなものか?」
 この兄貴分は変なところで義理堅く、堅苦しい。苦笑しながら「そんなものだ」と、ルイフォンが答えたところで、ちょうど部屋に着いた。
 ルイフォンの部屋は、機械や本にまみれた仕事部屋とは別に、起居に使う私室がちゃんとある。彼が扉を開けると、勝手知ったるとばかりにリュイセンが入っていった。しかし、普段は我が物顔でソファーでくつろぐリュイセンが、今日はテーブルについた。
 ルイフォンは促されるように向かいに座る。正面から見たリュイセンは眉間に皺を寄せており、どことなく険しい顔をしていた。
「ルイフォン」
 ややためらいながらも、リュイセンが口火を切る。
「……さっきの〈影〉というやつの話だが……」
 言葉を選び、彼は迷う。
 首を横に振り、「遠慮しても仕方ないな……」と小さく漏らした。余計な感情を切り捨てた、彫像のような美貌が現れ、まっすぐにルイフォンを捕らえる。
「これは、俺の直感だ。理屈じゃない。けど、間違いないと思う」
 意を決したように、リュイセンは切り出す。
「――俺たちが救出した、あの貴族(シャトーア)は、〈影〉だ」
「……っ!」
 ルイフォンは、言葉を出せなかった。
 リュイセンは、野生の獣の勘を持っている。
 その鋭敏な感覚は、時として論理に目隠しされたルイフォンを一足飛びに追い抜いて、真理へとたどり着く。
「すまん……。こんなこと、考えたくないよな……」
 喉を詰まらせる弟分を、リュイセンは気遣う。しかし、意見を翻すことはなく、はっきりとした口調で続けた。
「別荘であの貴族(シャトーア)に会ったとき、違和感があった。あの女――メイシアや、ハオリュウとは明らかに異質な感じがした。あいつらの父親なのに」
「……」
 ルイフォンも、メイシアの父親だというのに良い感情を持てなかった。
「さっきの報告で〈影〉というのを聞いて、納得した。姿があいつらの父親でも、中身が違うなら、異質なのは当然だろう」
 リュイセンが深い溜め息をつく。肩の上で、黒髪がさらりと揺れた。
 ルイフォンの鼓動が早まる。
「……俺も、同じことを考えていた」
 かすれる声を絞り出すようにして、彼は言った。
〈影〉という技術を聞いてから、ルイフォンはずっと考えていた。メイシアと別行動をとって、ひとりで冷静になろうとしていた。――リュイセンが直感で信じたことを、理論で説明しようとしていた。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN