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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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 オクチョンはそのひと言で、現に引き戻される。いけない、今はのんびりと昔を思い出して物想いに耽っているときではない。宮殿を抜け出すという危ない橋を渡ったのは、ひとえにスンの心を取り戻すためではないか。
 オクチョンは頷いた。
「話を聞きましょう」
 そのひと声で、オクチョン主従は屋敷の中に入った。
 以前、居室として使っていた室は、今は家具もなく、それはうら寂しいものだった。上座に座ったオクチョンの前で、ウォルメは平伏している。
「今日、ここにそなたを呼んだのは他でもない。また祈祷を頼みたいのだ」
 オクチョンの言葉に、心なしかウォルメの細い肩がかすかに震えた。
 ウォルメはしばらく面を上げない。オクチョンが訝しげな表情を浮かべた頃、やっと顔を上げ、居住まいを正した。
「畏れながら、中殿さま。それはあまりお勧めできません」
「何故だ?」
 よもや止められるとは思っておらず、オクチョンは心外だという顔をした。
 ウォルメはうつむいた。
「これ以上は危険にございます」
「危険―」
 オクチョンは呟いた。
「されど、前回の祈祷は無事に終わり、事は上手く運んだ。こたびもそなたの霊力でもってすれば、祈祷を成功させることはできるのではないか」
 ウォルメはうなだれてオクチョンの言葉を聞いていた。ややあって、その場に手をついた。
「中殿さまは、あの祈祷が成功したとお思いでございますか?」
「なに?」
 オクチョンの美しい眉が動いた。傍らのミニョンの声が尖る。
「そなた、あの折には祈祷を成功させた報償として相応の金子を中殿さまから賜ったな? 今更、それを成功ではなかったというか!」
「待って」
 オクチョンはスと手を挙げた。ミニョンを眼で制した。
「とにかくウォルメの話を聞くのが先よ」
「承知しました」
 ミニョンが口を噤むや、ウォルメが待っていたように話し出した。
「中殿さま、先ほど私は曖昧な言い様を致しましたが、まさに、あの祈祷はそのとおりなのです。ある面では成功したといえますが、ある面では失敗でした」
「それは、どういうことだ? もう少し判りやすく話してくれ」
「はい」
 ウォルメは頷いた。
「中殿さまのお望みは、前王妃さまを後宮から追い出すことでした」
「それは成功したわね」
 すかさず、オクチョンが言う。ウォルメは神妙な面持ちで頷いた。
「さりながら、中殿さまはご流産されました」
「―」
 オクチョンの喉がヒクリと震えた。その場に重い沈黙が降りる。意外にも、それを破ったのはオクチョンだった。
「私が流産したのが失敗であったと?」
 ウォルメはその場に平伏した。
「お許し下さい。私の力が足りなかったことについて、中殿さまにはお話しできませんでした」
「そなたっ」
 ミニョンが今にも飛びかからん勢いで立ち上がりかける。オクチョンはまたしてもミニョンを止めた。
「止めなさい。今更、この者を咎めたからといって亡くなったあの子が生き返るわけではない。それよりも、私は一体、何がどうしてそうなったのか知りたい。ウォルメ、せめて今となってはすべて話してくれるわよね」
 ミニョンとは裏腹に優しく諭すように言われ、ウォルメはすすり泣いた。
「どうか、私を殺して下さい、中殿さま」
 オクチョンはいっそう優しげな声音になった。
「そなたを殺しても、息子が生き返るわけではない。すべてを話してくれ」
「はい」
 ウォルメは嗚咽を抑え、話し始めた。
「すべての祈祷を終えた時、あのときは間違いなく手応えを感じました。ゆえに、私めもまさか祈祷が失敗するとは想像だにしなかったのです」
 むしろ、これまで行ったどの祈祷よりも、手応えを感じたほどであったという。だから、前王妃の廃位を王があっさりと言い出したときも当然の結果だとウォルメは思ったという。
 しかしながら、ついに王妃の座に上り詰めたオクチョンが流産したと聞いた時、ウォルメは愕然とした。
「あの時、私は悟りました。祈祷は成功したのではなく、失敗したのです」
「失敗の原因は判るか?」
 オクチョンの問いに、ウォルメは心もち首を傾げ、慎重に言葉を選びながら応えた。
「以前、占い師が生命を落とす原因について、私が中殿さまに申し上げたのを憶えておいでですか」
「ああ、憶えているとも。あの折、そなたは申したな。単純に口封じとして生命を奪われるときもあれば、祈祷に失敗したときも生命を失うと」
「さようにございます」
 ウォルメは、それきり言葉を失ったかのように押し黙った。
「では」
 オクチョンはここで息を継いだ。
「今回、私が流産したのは、その?呪い返し?であったというのか」
「―はい。仰せのとおりです」
 ウォルメは眼を伏せて言った。
「自慢にも言い訳にもなりますが、中殿さま、私はこれまで一度も祈祷に失敗したことはありません。恐らく中殿さまのご安産の祈祷でさえ、失敗ではなかったと存じます」
 傍らから、ミニョンがまた声を荒げた。
「ええい、そなたの申すことは訳が判らぬ。ご安産の祈祷が上手くいったのに、何故、中殿さまは流産されたのだ!」
 ウォルメは今度はミニョンに視線を移した。
「イ女官さま、思い出して戴きたいのですが、私に祈祷をご依頼された時、中殿さまのお腹の御子さまは確かに弱っておられました」
 あの時、当の妊婦には控えていたが、確かに御医の診立ては正しく、胎児は放置すれば、ほどなく息絶えていたはずとウォルメは語った。つまり、もう生まれても育つほどに成長することさえできなかった―ウォルメの祈祷の力で八ヶ月まで育ったというのだ。
 言葉もないミニョンに、ウォルメは淡々と続けた。
 ウォルメの祈祷で、腹の子は生命を繋ぐことができた。生まれてきても虚弱児ではあるかもしれないが、この分では、この世の光を見ることはできそうだとウォルメは安心していた。
「ところが、不測の事態が起きました」
 不測の事態というのが流産であるとはオクチョンにもミニョンにも知れた。
「何ゆえ、そのようなことにあいなったのであろうか」
 それはウォルメにというより、オクチョン自身が自分に問うているようでもあった。
 ウォルメはやや間を置いて応えた。
「実は、それが私にもよく判らないのです。強いていえば、天意とでも申せばよろしいのでしょうか。何か人の力の及ばぬ大きな力が働いていて、それがあのお方を守っています。いかな私の祈祷をもってしても、天意には敵いません。天意はいわば神の力でもありますゆえ」
「神の力があの方を守っている―」
 オクチョンが呟き、気丈で滅多なことで取り乱さないミニョンが大きく身を震わせた。
「さようです。ですから、この先、幾度祈祷を行おうとも、恐らくは失敗に終わるかと存じます。今回、中殿さまが再び、めでたくもご懐妊されました。私がお受けできるのは、以前と同様、ご安産の祈祷くらいのものにて、これ以上の呪詛はお受けできません」
「もし、曲げて頼めば、どうなる?」
 ウォルメは眼を伏せた。
「失敗に終わる可能性が高く、その代償として、中殿さまはまたも大切なものを差し出さねばならないことになります」
「つまり、また腹の子を失うということか?」