小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

INDEX|4ページ/41ページ|

次のページ前のページ
 

 粛宗の落胆は烈しかった。世継ぎは既にユンがいるけれど、それでも王子一人では心許ないと思っていたから、この子が月満ちて健やかに生まれていればという想いは余計に強かった。第二王子は?盛寿?と名付けられ、王族として丁重に葬られた。その名前は粛宗がやがて生まれる我が子のために早くから用意していたものだ。
 既に息絶えた赤児に?盛寿?とは哀しいほど皮肉で、不似合いな名前だとオクチョンは思った。けれども、生まれてくる我が子が末永く栄えて健やかであるようにとの願いをこめてスンが考えた名前について、その想いを口にすることはできなかった。
 ふた月前、都の桜があらかた散った頃、オクチョンは再び懐妊した。三度目の慶事ではあったが、今度は何故か粛宗はあまり歓ばなかった。第二王子のことがよほど堪えたのかもしれないが、オクチョンにはスンの冴えない表情の原因は判らなかった。
―盛寿の代わりとなる息子が生まれるかもしれないのに。
 スンが予想外に歓んでくれないことが、オクチョンには哀しかったし、傷ついた。今、腹の子はやっと四月に入ったところだ。二番目の子のときは初期は腹の子の発育が思わしくないと言われたが、今度は何の障りもなく順調だと御医も太鼓判を押している。オクチョンは三十二歳で、かなりの高齢出産ではあるが、これは
―中殿さまは既に二度もお産を経験されておられますゆえ、大丈夫でしょう。
 とのことだ。要するに、高齢の初産であれば懸念すべきところではあるが、既に二度も経験があるのだから、そこまで不安になる必要はないらしい。
 二番目の子ことがあるせいか、オクチョンよりむしろ、側にいる申尚宮やミニョンの方が気の毒なくらいに気を遣ってくれている。
 ミニョンは女官時代のように気の置けない言葉で、オクチョンを懸命に宥めた。
「オクチョン、落ち着いて。お願いだから」
 オクチョンは茫然として、ミニョンを見た。
「そう、ね。私には世子も、この子もいる」
 まだやっと少し膨らみかけてきたばかりのお腹を押さえた。
―今度こそ、この子を無事に産まなければ。
 第二王子を失い、一旦は取り戻しかけたスンの心をオクチョンはまたも失いかけている。
 流産してからというもの、スンが就善堂に来る回数はめっきり減った。以前であれば、ユンが来ているときくらいは顔を見せたのに、最近は東宮殿からユンを連れてきても、スンは顔を見せもしない。
 では、他の女のところに通っているのかと思えば、そうでもないらしい。例の新参の崔尚宮のところにもまったく渡っていないというし、かといって、大殿に女官が召されたという話も聞こえてこない。
 それでも間遠ではあっても、たまに夜のお渡りがあったからこそ、オクチョンは幸運にも懐妊できたともいえる。以前はなかなか身ごもれず、もしや我が身は懐妊できない身体なのかと思っていたが、実際は違った。巷でも、なかなか子宝に恵まれなかった女が一度妊娠すると、以後は立て続けに身ごもったという話を聞く。もしかしたら、オクチョンの場合も、そういうものなのかもしれない。
 いずれにせよ、新たに授かった小さな生命は二番目の子のときより更にスンの心を取り戻すには必要なものだ。
 最早、オクチョンは我が子への愛というよりは、自分の中で芽生えた小さな生命を王の寵愛を取り戻すための手段として捉えていた。ユンを懐妊した頃、純粋に子を授かった母としての歓びに浸っていたときの彼女とは違う。あの頃は、ただ母心としてお腹の子の無事な成長を願っていた。そのことに、オクチョン自身は気づいていない。
 オクチョンが漸く落ち着いたのを見て、ミニョンはホッとしたようだ。
「殿下が中宮殿に通われていたこと、気づかなくて、ごめんね。もう少し詳しいことを調べてみるから、今は心を波立てることなく、オクチョンはお腹の御子のことだけを考えてちょうだい」
 ミニョンが囁き、オクチョンは涙に濡れた眼で頷いた。
「ああ、おかしいわ、オクチョン。これから三人めの御子の母君になられようという方がそれこそ子どもみたいにべそをかくなんて、母は強しというでしょう。もっと心を強く持たなくては駄目よ」
 ミニョンは笑いながら、まるで幼い子をあやすように袖から出した手巾でオクチョンの涙を拭った。

 翌日の朝、宮殿の裏門から女輿がひっそりと出た。付いているのは、輿を担ぐ屈強な男数人と、傍らを歩くお供らしい女だけだ。その女も頭からすっぽりと外套を被っている。
 輿は静々と道を進み、いつしか人気のない町外れに至った。そこら界隈は両班の別邸が点在する場所だ。そのため、昼間でも無人の屋敷が多い。もちろん、屋敷を管理する使用人たちは暮らしているが、それでも、ひっそりとしたものである。
 輿はそんな屋敷の一つの前で止まった。付き従っていた女が輿の前扉を開けると、ほっそりとした女人が降りてくる。このような町はずれには目立ちすぎるほどの華やかな美貌ではあるが、それも彼女が目深に外套を被ったため、すぐに隠れた。
 女は躊躇いもせず、しっかりとした足取りで屋敷を囲む塀についた門を通り抜ける。お付きの女がすかさず背後に従った。
 庭を歩いていた女が外套を脱ぎ、振り返った。
「懐かしいわね。もう少し早く来れば、白木蓮が咲いたところを見られたでしょうに」
 女―オクチョンは微笑して、ミニョンを見た。ミニョンが頷く。
「そうですね、あと三ヶ月早ければ、きっと美しく咲きそろった花が見られましたね」
 ここは、かつてオクチョンが不遇の時代を過ごした別邸であった。そう、今からもう十年も前のことだ。粛宗の母明聖大妃に疎まれたオクチョンは、前々王妃呪詛というありもしない罪を着せられ処刑されるところだった。大妃のオクチョンへの憎悪は強く、粛宗にオクチョンを後宮から追放すれば、オクチョンの生命だけは助けようと交換条件を申し出たのだ。
 そのため、大王大妃の計らいで、この屋敷が用意され、オクチョンは一時ここに身を寄せていた時期があった。
―今は忍従のときだ。
 大王大妃は終始、オクチョンの味方になってくれた。あの時、彼(か)の人はそう言ったのだ。けれど、今になってみれば思う。あの忍従の時代の方が今よりは、はるかに我が身は幸せであったのだと。たとえ身体は宮殿とここに離れていても、オクチョンの心はスンのすぐ側にあった。どんな離れていても、すぐ側に彼の心を、存在を感じ取ることができた。
 だが、今はどうだろう。
 同じ敷地内に住み、世にも許された夫婦、正式な?妻?となり得たのに、スンの心がオクチョンには見えない。あれほど願った正室という立場、王妃という立場を得ても、今のオクチョンは少しも幸せではない。
 王妃になれば、大好きな男の唯一無二の存在になれると思っていたのに、自分はどこでどう読み間違えたのだろうか。
 日々、冷たくなってゆくスンの態度の理由も皆目判らない。
 物想いに耽っていた最中、ミニョンのやや緊張した声が響いた。
「中殿さま、ウォルメが参っております」