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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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 他の花はない、紅吊舟だけなのが余計に見事だ。紅吊舟は一つ一つの花は小さいけれど、花そのものは八重で、何枚もの花びらが重なっていて華やかである。
 殊に緋色の花が群れ咲いている部分は、それこそ炎が燃えているようだ。オクチョンは紅吊舟の前に立ち、炎の色を宿した花たちを見つめた。
 そのときのオクチョンは、あたかも紅蓮の炎に包まれているようにも見え、殊の外美しかった。到底、齢四十二になるようには見えない。後に大人になってから、ユン(景宗)は幾度もその日の母の姿を瞼に甦らせたものだった。
 オクチョンは、ゆっくりと紅吊舟で埋め尽くされた庭を眺め渡す。就善堂に引っ越してきてからすぐに、この大好きな花を植えた。今では年ごとに花が絶えることなく咲き、毎年、オクチョンの眼を愉しませてくれている。
 思えば、長い年月をここで過ごした。スンに愛され、三人の子どもを授かり、歓びと哀しみの涙をたくさん流した。
 本当はここには大好きな赤色の花だけを植えるつもりだった。しかし、途中からユンの希望でピンクや白も植えるようになったのだ。
 ユンは昔から派手やかなものより控えめなものを好む、大人しい子だった。
 オクチョン自身は昔から今も燃えるような赤色の花がいっとう好きだ。炎のように一瞬、辺りを輝かせ、やはり炎の色を宿した椿の花のように潔く散りたい。そんな生き方をしたいとずっと願ってきた。
 オクチョンは自分より身の丈が高くなった息子を見上げた。
 ユンが何か言いたげに口をうごめかした。
「なあに」
 幼いときのように優しく問えば、ユンが首を振った。
「やはり、良いです」
「何ですか、余計に気になりますから、言ってご覧なさい」
 促せば、ユンが口ごもりながら言った。
「母上、噂は真なのですか? 母上がその、中殿さまを」
 皆まで言わず、ユンはまた涙ぐんだ。
「中殿さまもお優しい方でした。でも、母上さまも私にとっては、とてもお優しい。お二人があまり行き来をなさっていなかったのは知っています。でも、母上があの優しい中殿さまを―。私には信じられません」 
 ?呪詛?という言葉は、いかにしても使えなかったのだろう。ユンは、言うなりまた、頬を流れ落ちる涙を拭った。
 オクチョンはかすかに微笑み、視線を紅吊舟に向けた。
「母は進む道を間違えました。そなたは母と同じ過ちを繰り返してはなりません。常に心を清らかに保ち、真っすぐに前だけを見つめて歩いておゆきなさい。そして、この国の民を大きな腕(かいな)で包み込む、お父さまのような聖君と呼ばれる王になるのです」
 花が、炎が燃えている。オクチョンは、初秋の穏やかな陽射しに燃えるように輝く花に眼を細めた。今、その心は自分でも愕くほど鎮まっており、凪いだ水面のようだ。
「ですが、世子、母は、この道を選んだことを後悔はしていません。すべては、なるべくしてなった、起きたことです」
 振り返り、我が子の頬をつたう涙を丁寧に拭った。
「父上を恨まず、恨むなら、この母の愚かさを恨むのだ」
「私がもう一度、父上にお願いします。その願いを聞き届けて頂けるまで何度でもお願いします」
「世子」
 オクチョンはやや強い声で言い、息子を慈しみの籠もった眼で見つめた。
「そなたは男子、ましてや世子であり、いずれ父上の跡を継いで王となるべき身です。涙など見せてはなりませぬ、たとえ母がこの先、どうなろうと強く生きておゆきなさい」
「母上、私は」
 縋るような視線を向けるユンに、オクチョンは微笑みかけた。
「大丈夫、そなたなら、できます。信じていますよ。どこにいようと、どうなろうと、母は遠くから世子を見守っています」
「母上」
 後は、もう言葉にはならなかった。ユンはしゃくり上げ、オクチョンはまた息子を腕に抱き、あやすように背中をさすり続けた。
 紅吊舟の花が火の粉を上げて燃え盛る炎のように輝く、秋の日の午後のことだった。

 数日後、粛宗は左議政クッ・ソッキを大殿の執務室に呼び出した。
「はて、殿下が私めにご用とは何でございましょう。珍しいこともあるものですな」
 この男らしい戯れ言めいた口調にも、粛宗は笑うだけの余裕はなかった。ソッキがわざとらしく咳払いをした。
「はて、御気色が優れませんな。殿下は代わりのきかない大切なお身体です。もっと玉体を労って戴かねば」
「世継ぎであれば、世子がいる」
 すかさず言った王に、ソッキが真剣な面持ちになって言った。
「世子邸下はいまだご年少ではありませんか」
「何を申すか、私が先王殿下の突然の崩御により即位したのは、今の世子と変わらない年ではないか」
「―」
 ソッキが罰が悪そうに押し黙った。粛宗はそれは無視して続けた。
「今日、そなたを呼び出したのは他でもない」
「禧嬪さまのことですな」
「ああ」
 粛宗は疲れ果てたように頷いた。今も大殿前の広場には廷臣たちが座り込みを続け、?禧嬪張氏に極刑を望む?と主張を続けている。執務机にはやはり、禧嬪の処罰を願う書状が山のように積まれていた。
 憔悴の色が濃い王の顔をひとしきり見つめ、ソッキがおもむろに口を開いた。
「殿下ご自身のお考えをお聞かせて戴いても?」
「先般から繰り返しているのと変わらない」
 即答した王に、ソッキが首を傾げた。
「廃位の上、郊外の寺に追放、出家して一生涯を寺で過ごすものとする―、でしたか」
「そうだ」
 ややあって、粛宗は言い訳のように付け足した。
「亡き王妃も寛大な処分を望んでいた」
 ソッキが笑った。
「なるほど、あのお方であれば、そのような生温いことを仰せでしたかもれません。つくづく惜しい方を失いました」
 口ではそう言いながらも、この計算高い男がとうに利用価値のない王妃を見限っていたのは知っている。粛宗は嫌悪に露骨に眉をひそめた。この男も淑嬪と同様、気が許せない。
 養父と娘で、世子を東宮の座から引きずり下ろし、ヨニン君を次の王に据える野心満々なのだ。粛宗とて父親だ、まだ幼い次男を可愛いとは思う。だが、オクチョンの産んだユンを廃してヨニン君を立てるつもりは毛頭ない。少なくとも、自分が生きている限り、断固として、そんなことはさせない。
「殿下、私は皆が申すように、やはり禧嬪さまには極刑をもって望むべきだと存じます」
「―っ」
 粛宗が息を呑む。ややあって、体勢を立て直しソッキに挑むような眼を向けた。
「禧嬪は世子の母だ」
 畳みかけるように、ソッキは応える。
「いかに世子邸下の母君とはいえ、中殿さまに仇なすのは天下の大罪であり、それを企てた者は謀反人も同然ではありませんか」
 粛宗は言葉もない。そんな王にソッキは最後通牒を突きつけた。
「殿下のお気持ちは、同じ男としてお察し致します。私もこれでも、妻もおりますし息子もおりますゆえ。さりとて、ここで禧嬪さまの罪を私情ゆえに見逃せば、今後また同じことが後宮内で起きぬとも限りません。ここはお辛いでしょうが、ご決断をなさるべきときだと存じます」
 ソッキが静かに立ち上がり、一礼して去ってゆく。執務室の扉が閉まったのにも、粛宗は気づかなかった。
 しばらく後、粛宗は緩慢な動作で顔を上げた。