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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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 王妃が突如、亡くなった。最早、自分が手を下す必要はない。禧嬪の呪詛が判明した直後に、呪われた王妃本人が突然死した。これが何を意味するかくらいは、三つの子どもにでも判る理屈だ。
 とはいえ、ファヨンは解せなかった。王妃は天に守護された者だと占い師は言ったはずだ。なのに、何故、頓死したりしたのか。それが知りたくて、平民の女に身をやつして単身、町外れのあばら屋までやってきたのである。
 ファヨンとウォルメはひと部屋しかない掘っ立て小屋の中で向き合っていた。
 ファヨンが問うと、ウォルメは真顔で首を振る。
「いいえ、私は、そのような祈祷は一切致しておりません」
 昔と違って、ウォルメは高位の側室たるファヨンに丁重な態度を崩さない。けれど、ファヨンは知っている。この抜け目ない占い師が上辺はどれだけへり下っていても、内心はファヨンを昔のように侮っているのを。
 だが、それで良い。自分だって、この占い師を利用しているだけだ。もしファヨン自身に危険が及べば、占い師だけを切り捨てて知らぬ存ぜぬを通すつもりなのだから。
 ウォルメはウォルメで、今は王の側室にして王子の母となったファヨンに寄生し、甘い汁を吸えるだけ吸えれば良いと思っている。だから、お互いに持ちつ持たれつ、利害が一致している間、この均衡が崩れることはない。
 ウォルメは口調だけは慇懃に続けた。
「祈祷などせずとも、禧嬪さまの悪意だけで事は成就するといつかも申し上げました、淑嬪さま」
「天に守護された中殿を呪う者は、しっぺ返しを受けるという話であろう。それは憶えている。されど、何故、天の守護を受けた中殿がこのように頓死したのだ? 私にはそれが解せぬのだ」
 このときばかりは本音を口にすると、ウォルメは物想いに沈む様子で言った。
「中殿さまのご不幸は、偶然のものです」
「偶然? 天の加護を持つ者でさえ、死は避けられぬというか」
「さようです。考えてもご覧下さい。天の加護を受けた者であっても、永遠に生きることはできません。不老不死ではないのです。ましてや、中殿さまは一度、あらぬ容疑をかけて廃位されてもなお、復位して昔の栄華と王さまのお心を取り戻されました。あれこそが、まさに中殿さまが天の守護を受けていた証というもの、今回のご崩御は避けられぬ運命、恐らくはご寿命が尽きたということでしょう。私も、こればかりは予見できませんでした」
「中殿が王さまのお心を取り戻したと、そなたには、そのように見えたのか?」
 俄に険悪になったファヨンの剣幕に、ウォルメは自分が迂闊にも口を滑らせたのを悟った。だが、私利私欲で粛宗に近づいたファヨンが何故、ここまで恋する女のように感情を露わにするのだろうか。ファヨンの粛宗への烈しい恋情を知らないウォルメは戸惑うばかりだ。
「まあ、良い」
 少しく後、ファヨンは取り乱した自分を取り繕うかのように笑みを貼り付けた。
「天に守護されていても、死は免れぬ。なるほど、それは判った。ここでそなたに訊ねたいが、そなたの眼に私の運命はどのように視えている?」
 ウォルメはハッとしたように細い眼を瞠り、またたかせた。これまでファヨンが自身の未来を訊ねたことなどなかったからだ。
 永遠にも思える沈黙が流れ、ウォルメが応えた。
「それが私にも判らないのです」
「判らない?」
 咄嗟に鋭利な刃物が喉元に突きつけられ、ウォルメは恐慌を来した。
「な、何をなさいます」
「私はそこいらの阿呆な女と違うぞ。口先だけで私を言いくるめられると思うな」
 ウォルメは眼を白黒させながら言った。
「嘘ではありません。本当に何も視えないのです」
「それは真か?」
 疑い深い眼のファヨンに、ウォルメはコクコクと頷く。
「大概の者の未来は、ある程度鮮明な映像という形で視えます。しかし、淑嬪さまの未来を読もうとしても、白い靄のようなものに視界を閉ざされ視えないのです」
 ほどなくして小刀が離れ、ウォルメはホウっと息を吐き出した。
「まあ、未来など判らない方が幸せだ。明日、お前は死ぬるなどと予言されたら、それこそ生きる気力も何もあったものではない」
 ファヨンが呟き、口の端を引き上げた。
「中殿呪詛をしてないのであれば、それで良い。私は王妃に何の借りもないが、あれでもミン氏の息女であり、西人にとっては大切な駒だ。今、王妃を失うのは西人にとっても有益ではない」
「ヨニン君さまのおんためにもなりませんね」
 先回りをして、ウォルメが言った。
 ヨニン君の即位を望む西人が力を失うのは、ファヨンにとっても痛手だ。ウォルメはちゃんと時の趨勢を読んでいる。この女は占いだけでなく、現実的に物事を考えるのにも長けている。まったく小賢しい女だ。
 だが、その小賢しさがファヨンは嫌いではない。けして好きにはなれない相手なのに、何故か出逢ったときから憎めないのは、恐らくウォルメの中に自分と同質のものを見ているからに違いなかった。
「しばらく都から姿を消せ。偽の占い師は計画どおり始末する算段だが、万が一を考えて、そなたは身を隠すのが賢明だ。私は、できればそなたが死ぬのを見たくない」
―たとえ、我が身を守るためにそなたを切り捨てる覚悟はしておってもな。
余計なひと言は飲み込む。
 ファヨンは袖から持ち重りのする巾着を出し、床に無造作に放った。かなりの金子が入っている。
「いずれ、また、そなたの力を借りるときも来よう。それまで達者でな」
 王妃の頓死は確かに西人には打撃ではあった。けれども、また別の見方をすれば利点もある。王妃の死によって、あの女はもう言い逃れがない場所まで追い詰められることになる。これで、ファヨンが直接、あの女の血で手を汚す必要はなくなりそうだ。
 ファヨンは立ち上がった。ウォルメが深々と頭を垂れるのに振り向きもせず、ファヨンはあばら屋を後にしたのだった。
 後に残ったウォルメは一人、肩を竦めた。
「まったく、氏素性は争えない。どれだけお偉いお妃さまになっても、すぐに刃物が飛んでくるのは頂けないねえ。ああ、物騒だ、怖い怖い」
 ウォルメは床に転がった巾着を拾い、中身を検めた。
「何だ、これっぽっちかい。こっちとら、生命を賭けて大それた所業に協力してやったのに、しけてるね」
 肩を竦め、鼻を鳴らす。
「マ、しばらく都を離れて骨休めしようか。あの女の息子は、もしかしたら王になるかもしれない。王さまの専属祈祷師っていうのも悪くはないもの」
 淑嬪の未来が読めないのと同様、あの女の産んだ王子の未来も幾ら読もうとしても読めなかった。だが、禧嬪の産んだ世子の運命は既に長からぬ生命と出ている。
 ヨニン君自身の運命は未知ではあっても、今の世子が早世すれば、次に登極するのは順番的にも淑嬪の子しかいない。
 このまま、あの女の言うなりになっておけば、いずれ自分にももっと大きな運が巡ってこないとも限らないのだ。報償は淑嬪の出世払いにするとしよう。
 ウォルメは巾着を手で弄びながら、そんなことを考える。
 その夜の中に、占い師の姿はあばら屋から霞のように消えた。

 ウォルメでさえ予見できなかった王妃の突然の崩御により、オクチョンの罪状は酌量の余地がなくなった。