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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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 彼が他の女を見つめるのは耐え難い、と。
 確かに自分はオクチョンが望むような愛し方はできなかった。やはり、誰の罪が一番重いかといえば、彼自身なのだろう。
 粛宗は、やりきれない想いだった。
 更に、その夜半、事態は信じられない展開を迎えた。
 夜更けに就寝中の王妃が突如として苦しみ出し、急遽御医が呼ばれた。しかし、御医が駆けつけたときは既に呼吸が止まった状態であった。
 大殿の寝所で眠っていた粛宗も直ちに中宮殿に向かうも、王妃は息を引き取った後だった。
 王妃の亡骸は既に白布で覆われていた。
「中―殿」
 粛宗は声を震わせ、白布を捲った。王妃の死に顔に苦悶は一切なく、その白梅のような美貌はそのままに微笑さえ浮かんでいた。
「中殿!」
 粛宗は声の限りに呼び、亡骸に取りすがった。震える手を伸ばし、王妃の頬に触れ、唇に触れた。口許に手をかざしても、やはり呼吸は感じられなかった。
 クッと、王は嗚咽を呑み込んだ。
 枕頭には御医が平伏している。
「どうぞ私を死罪に処して下さい、殿下」
 御医は、こんなときの常套句を口にする。今は、そんなやり取りをするのさえ、粛宗はいとわしかった。
「何ゆえ、このように当然に中殿はみまかったのだ?」
 今、知りたいのはひたすらその原因だった。今日の朝、王妃は大殿まで彼を訪ね、オクチョンの処遇について相談していったのだ。あのときの王妃は健やかそうで、特に生命の危機に瀕しているようには見えなかったのに。
 御医は平伏したまま言上した。
「畏れながら、殿下、中殿さまは心ノ臓の発作を起こされたようでございます」
「心臓の? 中殿は心臓を患っていたのか?」
 生来身体が弱いのは知っていたけれど、大きな持病があるとは聞かなかった。だが、御医は予想外のことを言った。
「長すぎる宮外での生活が王妃さまのお身体を弱らせたのは相違ございません。あまりに質素なお暮らしで、栄養状態もすごぶる悪く、元々虚弱であらせられた王妃さまは心ノ臓を弱らせておしまいになったのです」
 粛宗は声も出なかった。御医は控えめではあるが、長すぎた忍従の生活が身体の弱い王妃の寿命を縮めた、そう言っているのだ。
 確かにと、彼は思い出した。復位してから後も、廃位中に痩せた王妃の体重は元に戻らなかった。嫁いできた頃は病弱でも、あんなに不自然にやせ細って不健康には見えなかったというのに。
 烈しい後悔が粛宗を駆り立てた。
―俺は何ということを。
 オクチョンの言い分を鵜呑みにし、何の罪もない王妃を廃位して無情にも後宮から追放した。実家で逼塞した日々を送っていると聞いても、援助の手一つ差し伸べず、捨て置いた。それでも、戻ってきた妻は彼の無情を責めるわけでもなく、以前と同じように、ひっそりと微笑んでいた。
「許してくれ。許せ」
 粛宗は何度も呟き、今は物言わぬ妻の髪を撫でた。
 随分昔のことになるが、母が亡くなったときも粛宗は泣いて、傍らにいた王妃が優しく慰めてくれた。もう今、自分を慰めてくれる者はいない。
「そなたには最後まで不格好なところを見せるな」
 粛宗は王妃の髪を撫でながら、声を上げて泣いた。

―仁顕王妃、崩御。
 悲報は瞬く間に後宮はおろか、宮殿内に広まった。王妃の気高く優しい人柄を慕う人々は、あまりに突然の早すぎる死に打撃を受けた。後宮内の至る所で、打ち伏してすすり泣く女官の姿が見かけられた。
 王妃が廃位され宮殿を去るときも嘆きの声は絶えなかったが、今回はその比ではなかった。訃報がもたらされて数日経っても、慟哭の声は絶えなかった。
 王妃急死の不幸が今またオクチョンの悲劇に繋がるとは、このときはまだ誰も思い及ばなかった。
 王妃崩御の報を受け、淑嬪こと崔ファヨンは占い師のウォルメの住処をひそかに訪ねた。
「そなた、中殿さま呪詛の祈祷を行っていたのか?」
 同じ西人派を後見に持っているとはいえ、ファヨンは王妃に対して仲間意識など端から持っていない。粛宗は王子まで生ませておきながら、いまだにファヨンに見向きもしない。だが、王妃には優しい笑みを向ける。
 むしろ、恋しい男の心を盗んだ女という点においては、王妃も禧嬪もファヨンにとっては同じだ。ゆえに、悲報を聞いても、いささかも哀しみは湧かなかった。かえって、邪魔者が一人減ったと、せいせいする。
 さりとて、王妃の存在は西人派の政権掌握のための有力材料ではある。今のファヨンは昔の小娘とは違う。王子を産んだそのときから、密偵稼業も足を洗った。
 ファヨンには守るべきものができた。それが即ち幼い息子ヨニン君だ。息子を守るためなら、ファヨンは鬼にでもなる覚悟はできていた。
 西人派の筆頭ク・ソッキは、ファヨンの産んだ孫ヨニン君を溺愛している。もちろん、血の繋がりはないが、ソッキの養女になっているため、ヨニン君はソッキの外孫というわけだ。ソッキはファヨンに断言した。
―淑嬪さまのご子息を必ずや王位につけて差し上げましょう。
 そのときは、内心、この爺イは頭がイカレたかと思ったものだったが―。
 王の母というのも悪くはない。粛宗の寵愛は得られなかったけれど、幸いにも自分は数少ない交わりで王の御子を授かり、しかも生まれたのは王子であった。
 寵愛が得られぬなら、せめて玉座を手に入れよう。他人が聞けば、信じられないというほど軽い気持ちで、ファヨンは息子をいずれ玉座につける決意をした。
 あの男は私の身体を欲しいままにし、私のあの男への純粋な想いまで踏みにじった。だが、私はその一夜であの男の子の母となり、正一品嬪という地位を手に入れた。
 あの夜に授かった息子が玉座に座り、この国の王となった時、あの傲慢な男は何を思うのか。そして、息子を王にするためには、あの男が今なお愛する女禧嬪とその息子である世子が邪魔になる。世子が生きている限り、ヨニン君は王にはなれない。
 いずれ世子も始末せねばならないが、今はまず、先に目障りな母親の方から取りかかるとしよう。明確な意図を持って、ファヨンは動いた。その布石として、まず大殿に執務中の粛宗を訪ね、禧嬪が王妃呪詛の祈祷を行っていると密告した。
 計画は今のところ、順調に進んでいる。王はファヨンの目論見どおり動いた。ファヨンが予め指示したとおり、ウォルメは五枚の呪符を禧嬪に渡した。禧嬪はそれが巧妙に仕掛けられた罠とは知らず、ウォルメの指示を真に受け、夜中、中宮殿の床下に潜入した。
 そして、その現場を粛宗が見た。更に、偽物の占い師を立て、オクチョンに依頼され王妃呪詛の祈祷を行ったと名乗り出させた。ここまでやれば、後は鞠が坂道を転がるように、禧嬪は滅亡への道を一人で勝手に落ちていってくれる。ファヨンとしては、ここで息の根を止めてやりたかったが、焦る必要はない。
 宮殿内では警護が厳しすぎ、なかなか直接手を下せないけれど、禧嬪が宮外に出れば始末するくらいのこと、腕利きの刺客でもあったファヨンには朝飯前のことだ。
―あの女は必ず我が手で仕留めてやる。
 ファヨンの意思は既に決まっていた。
 だが。運命は大きく動き、どうやら天運は王妃ではなく、自分を守護してくれているかのようにさえ思える。