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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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第二王子の生母であるとはいえ、粛宗のこの妃への関心は極めて薄い。平素から淑嬪が大殿の寝所に上がることもなく、粛宗が彼女の方を訪ねることもない。
 一刻後、執務室を出た淑嬪の美しい面には満足げな微笑が浮かんでいた。後に残された粛宗は淑嬪とは対照的で、その精悍な顔には濃い翳りが落ちていた。
―もし私のお話をあくまでもお信じになれないのであれば、殿下ご自身でお確かめになればよろしいではありませんか。きっと私が偽りを申したのではないことをご理解頂けると存じます。
 ファヨンの言葉を心で繰り返し、粛宗は深い息を吐き出した。
―あの者は信用できぬ。
 たった二度の交わりでファヨンが彼の子を身籠もったのは、彼自身にも予想外の展開であった。思いもかけず彼の子の母となったファヨンを粛宗は嬪にまでしてやり、表面上は王子の母として遇している。
 しかし、ファヨンには何の情もないことは昔と変わらなかった。長い年月が経ち、ファヨンもまた粛宗への関心を失ったかのように淡々としている。
 二人は子をなしながら、夫婦として感情を通わせるどころか他人同然の間柄だ。
 よもや粛宗は考えてもいなかった。ファヨンが今も彼に恋心を―振り向いて貰えないからこそ、憎しみにも近い烈しい恋情を抱いていることを。
 男の心を得るために恋敵を消そうとするのは、何もオクチョンだけではない。ファヨンもまた意のままにならぬ男への復讐として、粛宗の一番大切な女を消すためには生命すら賭けるだろう。

 虫のすだく音が周囲から潮騒のように押し寄せてくる。オクチョンは腕の中の薄い紙切れをひしと握りしめた。まるで、最後にこれしか頼るべきものがない命綱のように掴み、握りしめた手に力を込める。現実として、もう、これに賭けるしかないのも実情ではあった。
 オクチョンの耳奥で申尚宮から聞いたウォルメの科白がありありと甦った。
―この五枚の呪符を中宮殿の床下に置くようにとのことでした。
 札は全部で五枚、その中の三枚は必ず王妃の寝間の真下に置くようにとは、ウォルメの指示である。
 しかも、ウォルメはこうも言ったというのだ。
―中殿さまのご寝所の下には他の者ではなく、禧嬪さまご自身の手で呪符を置いて戴かなければなりません。他の者の手を借りれば、呪いの効力は失われ、祈祷は失敗に終わるでしょう。
 極めて危険な賭けであった。ミニョンはオクチョン自らが手を下すのを最後まで反対した。だが、申尚宮が
―さりとて、祈祷が失敗致せば、禧嬪さまに災厄が降りかかるも必定。ここは祈祷が上手くゆくことを願い、禧嬪さまおん自らに動いて戴くしかなかろう。
 と、言ったのだ。それはまた道理でもあった。動かねば失敗は見えている。ならば、まだしも一縷の望みを抱いて動いた方が賢明というものではないか。
 そのときのオクチョンはまさかウォルメがファヨンと繋がっているとは想像だにしていなかった。ウォルメは最初から呪詛の祈祷などせず、ただのそれらしく見せかけた紙切れを申尚宮に渡したにすぎなかった。
 また、オクチョン自身に手を下させたのも粛宗に現場を目撃させるためだったのだ。
 女官のお仕着せを纏い、身をやつしたオクチョンはミニョンと共に中宮殿の床下に忍び込んだ。まずはミニョンが二枚の呪符を適当な場所に置き、今度はオクチョンの出番である。
 ミニョンの手引きで王妃の寝所と思しき室の床下に辿り着き、オクチョンは何とか三枚の呪符を床下に置いた。見つかってはならないので、土を手で少し掘り返し、呪符を入れて土をかける。
 オクチョンが三枚目の呪符を土に埋め、薄い闇の中、主従は目配せし合った。後は早々に就善堂に戻るのみだ。ミニョンが先に立ち床下を匍匐(ほふく)しながら進む。
 と、突如として細い光が前方を照らした。ミニョンの動きが止まり、オクチョンは訝しげに声を洩らす。
「どうかしたの―」
「お静かに。誰か来ます」
 やがて、ミニョンの声が震えた。
「禧嬪さまはお逃げ下さい」
「ミニョ―」
 言いかけたオクチョンをまばゆい光が照らした。ミニョンも光から顔を背けている。
 何ものかが光を向けて、床下の様子を窺っているのだ。
 床下の向こうには複数の脚が見えた。
 オクチョンの全身が総毛だった。万事休す、見つかったのだ。すかさず逆方向を見ても、案の定、反対側にも逃げ道はなく、既に何人かが待ち受けているようだ。
「行きましょう」
 オクチョンは呟いた。
「禧嬪さま」
 ミニョンが身を震わせている。オクチョンは微笑んだ。
「ここまで来たら、もう逃げ隠れてしても無駄よ。良いこと、あなたは私に命じられて無理に企みに荷担させられたのだと言い張りなさい。すべては私が背負うべきことよ」
 オクチョンは四つん這いでそそろそろと床下を進み、堂々した態度で立ち上がった。
 が、そこに思わぬ人の姿を見て言葉を失った。
 ―粛宗がその場に佇んでいた。
「オクチョン」
 大好きな男の瞳が揺れていた。いずれ知られるとしても、まさか今ここにスンがいるとは思わなかったのだ。
「これは、一体どういうことだ?」
 粛宗の問いに、オクチョンは顔を背けた。今更、何の言い訳ができるというのだろう。
 自分は賭けに負けたのだ。そして、今、一番見られたくない男にこうして無様な姿をさらしている。
 粛宗の背後には、屈強な内官数人が王を守るかのように立っている。しかし、その中にはホ内官はいなかった。予めミニョンがいることを想定した粛宗がホ内官をわざと外したのだと判る。兄とも信頼するホ内官を妻の捕縛に立ち合わせまいとする王の配慮なのだ。
 見たところ、義禁府の武官が配備されている様子もない。この期に及んでも、粛宗がまだ隠密裡に事を収めようとしているのがオクチョンには痛いほど伝わった。
「皆の者、少し外してくれ」
 粛宗のひと声で、内官たちがザッと散らばる。四方に待機して、王を守る態勢を取っているのが窺えた。彼はオクチョンと二人きりで、一対一で話したがっているのだ。
「オクチョン、どういうことか説明してくれ」
 真正面から見つめられ、オクチョンはうつむいた。
「チャン・オクチョン、そなたはいつから俺の眼を見て話もしないような女になったんだ? 俺が知るオクチョンはもっと凛としていて、太陽に向かって咲く花のような女だった」
 その言葉に、オクチョンはゆるゆると顔を上げた。
「言い訳はしないわ。見てのとおりよ、それがすべてだわ」
「そなたが中殿を呪詛していると通告してきた者がいる」
「そう」
 オクチョンが気のない様子で呟くのに、粛宗がつかつかと歩み寄ってくる。彼は両手でオクチョンの肩を鷲掴んだ。
「何か申し開きをしろ。このままでは、そなたを中殿呪詛の罪で断罪せねばならなくなる」
 オクチョンは微笑した。
「何も言うことはない。否定したところで、証拠は揃っているもの。あがいても、罪は逃れられないわ」
「愚か者」
 粛宗が怒鳴った。
「何でも良い、言い訳をするんだ。側近にそそのかされたからでも良い。なっ、そう言え。今回の謀はすべてお付きの者たちにそそのかされ、オクチョンは不承不承乗った」
 オクチョンはキッとなった。