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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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「私めが拝見したところ、どうやら質の悪い御風邪を召されたようにございます。ゆえに、高熱が数日は続くものと拝察つかまつります」
「それだけか?」
 いえ、と、医官は言葉を濁した。
「良い、ありのままを申してくれ。我ら、お側にお仕えする者にも覚悟が必要だ」
 医官は頷いた。
「熱が引いた頃、或いはそれよりも早いかもしれませんが、出血が起こります」
 つまり、今回またしても流産ということだ。
 ミニョンが両手で顔を覆った。
「その程度で済むものなのか?」
 申尚宮の重ねての問いに、医官は首を傾げた。
「御子さまは既に五ヶ月に入っておられます。出血と申し上げましたが、恐らくはお産と同じ経過を辿るものと推察致します」
「そうか」
 ミニョンはまだすすり泣いている。申尚宮はミニョンに言った。
「泣いている場合ではない。数日中に御産となるやもしれぬ。こうなっては致し方なきことだ、イ女官、万が一のときに慌てぬよう、お産の準備を整えておこう」
 ミニョンが泣く泣く頷いた。
「申尚宮さま、どうして中殿さまばかりがこのような目に遭われるのでしょう。あまりにお可哀想で見ていられません」
 申尚宮はミニョンの肩を叩いた。
「中殿さまは御子さまのご誕生を愉しみにしておいでであった。無理もない。昨年の秋、第二王子さまがあのようなことになられたのだ」
「またすぐにご懐妊され、流石は中殿さま、ご運の強いお方だとお慶び申し上げたばかりですのに」
 申尚宮が声を潜めた。
「すべては中殿さまご自身が選ばれた道だ。恐らく中殿さまご自身もこうなることがあるやもしれぬとは覚悟なさっておられたはず。我らが今できることは、これ以上―せめて中殿さまの御身には厄が及ばないように力を尽くすのみだ。イ女官、これで中殿さまはすべてを失われた。私はむしろ、この後に来るものの方がよほど恐ろしい」
 ミニョンが小刻みに身を震わせた。
「申尚宮さま、まさか今度は中殿さまご自身が」
 皆まで言わず、ミニョンは更に身を震わせる。申尚宮は更に声を低めた。
「ウォルメは申したであろう。仁顕王后をこれ以上追い詰めれば、かえって中殿さまご自身に災厄が降りかかると。されど、我らが中殿さまは曲げてウォルメに呪いの祈祷を依頼したのだ。この先、これ以上の厄が起こらぬとは限らないぞ」
 ミニョンは絶句した。オクチョンは恐ろしいやり取りなど聞こえないかのように、深い眠りの中を漂っている。
「ああ、オクチョン。あなたが欲しいと願った男(ひと)の心は、あなたがどれだけの犠牲を払えば手にいられるというの」
 ミニョンが絶望的な声で呟いた。

 オクチョンは、あの場所に立っていた。そう、ここは今では見慣れた就善堂の前だ。オクチョンは女官のお仕着せを纏い、スンと知り合ったばかりの十代に戻っている。隣には、やはり若かりし頃のミニョンがいる。
 これは夢の中だと、既にオクチョンには判っている。だから、これから起こることも嫌になるほど理解できた。ミニョンが必死に止めるのも聞かず、オクチョンは庭から続く就善堂の階を昇る。扉が内側から開いて―。
「―っ」
 オクチョンは凄まじい悲鳴を上げて飛び起きた。
「中殿さま!」
 聞き慣れたミニョンの声に、オクチョンは眼を見開いた。
「ミニョン」
「お気がつかれたのですね」
 ミニョンは泣いていた。枕辺には金盥と手拭いが置いてある。恐らく自分は高熱を発していたのだ。オクチョンは蓮見の最中に倒れたことを思い出した。あの時、既に身体は燃えるように熱かった。
「私、どれくらいの間、倒れていたのかしら」
 確か、女官時代に池に突き落とされ、死地を彷徨ったときも目覚めたら、側にミニョンがいた。あのときも同じ質問をしたと、こんなときなのに懐かしく思い出す。
「二日です」
 ミニョンの眼が赤いのは看病で寝不足だからなのか、オクチョンを心配して泣きすぎたからか。
「何かお召し上がりになりますか」
 ううん、と、オクチョンは甘えたように首を振った。
「それよりも申尚宮を呼んでちょうだい」
「中殿さま?」
 オクチョンは微笑んだ。
「あなたに訊ねるのは残酷だから、申尚宮に訊くわ」
 そのひと言に、ミニョンが息を呑んだ。オクチョンが既に真実を悟っているのに気づいたのだ。
「中殿さま」
 ミニョンの眼に涙が溢れた。
「申尚宮を呼んで」
 ミニョンが下がった後、オクチョンはそっと腹部に手のひらを当てた。最近、漸く少し膨らみが目立ち始めたここに、愛しい子が生きているはずだった。けれど、もう、その子はいない。いや、正しくは、生きていない。
 ほどなく申尚宮がやって来て、オクチョンは自分の哀しい予感がやはり的中していたことを知る。
 けれども、不思議と涙は出なかった。前王妃を徹底的に追い詰めると決めたその瞬間かから、どこかで覚悟はしていたような気がする。たとえ何を犠牲にしたとしても、スンの心を取り戻したい。その一心で、渋るウォルメに呪詛の祈祷を再度依頼したのだ。
―ごめんね、吾子よ。
 オクチョンは心底から腹の子に詫びた。幾ら詫びたとて済むものではないが、それでも詫びずにはいられなかった。
 人は本当に哀しい時、涙さえ出ないものだと、この時初めて知った。
 我が子の生命さえ引き替えに選んだこの道。引き返せるものなら、幾らでも悩めば良い。後悔すれば良い。
 だが、自分はもう後戻りのできない修羅の橋を渡ったのだ。これから自分が歩いてゆくのは誰に強制されたわけではない修羅の道なのだ。そんなことは、とっくに分かり切っていたことではないか。母の野望の犠牲になった嬰児(みどりご)のことを考えれば、後悔するのさえ我が子に申し訳ないと思う。
 哀しみも後悔もすべて棄て、なりふり構わず道を進むことこそ、亡くなった児へのせめてもの贖罪になるだろう。今はそう思って自分を奮い立たせるしかなかった。
 翌日から、出血が始まった。最初は少量であったそれは二日目には大出血となり、同時に烈しい腹痛がオクチョンを見舞った。正常なお産であれば、陣痛と呼べるものではあったが、あまりに性急に胎児を外に出そうとする子宮の収縮は、オクチョンに間断ない痛みを与え続けた。
 粛宗はオクチョンが高熱で意識を失っている間、一度就善堂を訪れただけで、後は一切見舞いに訪れることもなかった。しかしながら、王妃が危篤と聞いて流石に知らん顔もできなかったものか、出血が始まって二日目に漸く就善堂を訪れた。
「ううっ、うう」
 痛みに耐えるオクチョンの側で、粛宗はオクチョンの手を握り励ました。
「オクチョン、もうちょっとだ」
 オクチョンは、うっすらと眼を開いた。朧な視界に、大好きな男がいる。一瞬、これは夢ではないのかと思った。セリョンの騒動以来、スンは訪ねてくるどころか、口さえきいてくれなくなったから―。
 たとえ、死ぬような苦しみを味わっても、スンが逢いにきてくれたなら、もう思い残すことはない。
「スン、来てくれたの」
 烈しい痛みの中、呟くと、スンの端正な顔がくしゃりと歪んだ。涙もろいスンのことだから、懸命に泣くのを堪えているのだろう。無理もない。去年、第二子を失って、またも三番目の子が駄目だったのだ。どれだけ落胆していることか。