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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第四巻

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 あの時、申尚宮は何と応えたか? 確か
―診察していたといいましても、脈診もさせず問診だけで通しておりましたゆえ、御医も気づかなかったのでしょう。
 その応えに粛宗は特に不審も抱かず、
―脈診もさせなかつたというのなら、懐妊だと気づかずとも道理だな。
 と、納得して中宮殿に向かったのである。
 咄嗟に思った。今、あのときの御医を召し出し、事の次第を詰問すれば、真実は明るみに出るかもしれない。
 けれど、そんなことを今更して、どうなるというのか。彼は一時の怒りに負けて冷静さを失い、前王妃を廃して宮殿から追い出した。そして、空席となった中殿の座にオクチョンを据え、結果、世子であるユンは庶子ではなく正室の産んだ嫡出子となったのだ。
 ユンのためには、間違いなく生母が正室である方が良かった。幼い息子の将来を考えれば、生母であるオクチョンの罪を陽の下にさらすのが良くないのは道理だ。
 この時点で、粛宗はある程度の確信を持っていた。前王妃は罪を犯したのではない、犯してもいない罪を何者かによって着せられ、陥れられたのだ。その?何者か?がそも誰なのか、恐らく解き明かそうとすれば真実は見えてくるだろう。
 だが、今の時点で真実を白日の下にさらして得をする者がいるとは考えられない。何より我が生命より大切な、たった一人の息子のために、粛宗にはオクチョンを断罪する勇気は持てなかった。
 気が付けば、いつしか眼前の机には書状が山積みになっている。これを今日中に眼を通して決裁しなければならないのだ。余計なことに心を囚われている時間はない。
 自分は良人であり一人の男である前に、国王なのだ。王はいついかなるときも泣いてはならないし、私情を優先してはならない。彼がまだ世子であった時代、父顕宗が繰り返し幼い彼に言い聞かせた言葉だ。
 だが、と、粛宗は力なく首を振る。
―父上(アバママ)、王も人間ですゆえ、弱い生き物ではありませんか。だからこそ、父上も母上にはずっと亡くなられる前まで頭が上がらなかったのでしょう?
 父顕宗は生涯、一人の側室も持たなかった。その点、彼自身とは違うし、ただ一人の妻である母を不自然なほど立てていた。臣下たちが?殿下は恐妻家だ?と影で笑い合っていたのは知っている。
―俺が父上のように正妃一人しか持たなければ、今のような厄介な事態は起きなかっただろうな。
 そうは思うけれど、この期に及んでも粛宗はオクチョンと出逢わなかった方が良かったとは思えない。彼女と出会わなければ、世子を授かることもなかった。
 オクチョンは彼にたった一人のわが子をもたらしてくれた女でもあった。
 たとえ、どれだけオクチョンの悪い噂を耳にしても、心のどこかで彼女を信じたいと願う自分がいる。恐らく御医を召し出して真実を追求しないのは息子のためではない。彼自身のためだ。真実が明るみになり、オクチョンを失うのが怖い。だから、粛宗は前王妃が陥れられたと半ば予想しつつも、見て見ぬふりをし続ける。
 一体、自分はどれだけ不甲斐ない男なのだろう。これでは臣下たちが言うように
―禧嬪張氏の色香に血迷って前王妃を追い出した好色で腑抜けた王。
 そのものではないか。
 粛宗の悩みは尽きない。彼の悩みと呼応するかのように、ホ内官が運んでくる承丞院(スンジヨンウォン)から上がってくる書状は眼の前に積み上げられてゆく。
 粛宗は再度溜息をつき、諦めたように書状の一つを手に取り眼を通し始めた。
  
 翌日もまた、前日と同じようなものだった。朝一番に廷臣たちを集めての御前会議に出席し、その後は執務室で上訴状の山に迎えられた。
 信頼するホ内官は粛宗の妻、王妃オクチョンに仕える女官ミニョンの良人でもある。この日、粛宗は気軽にホ内官に問うた。
「そういえば、先日の話はどうなった?」
 ホ内官は去勢した内官なので、子孫は残せない。従って、他の多くの内官同様、養子を迎えて家門を存続させる。ホ内官自身も同様に前の内侍府長にその優秀さを見込まれて養子に迎えられたのだ。
 半月ほど前、ホ内官が雑談の折にこんなことを言っていた。
―近々、養子を迎えようと思います。
―子を持つというのは良いことだ。遅まきながら、俺も世子を授かり、我が子というのは本当に可愛いものだと悟ったよ。
 粛宗自身の想いも語った。どれだけ信頼しようとも、彼が人前で?俺?と素を出すのはオクチョンとこのホ内官しかいない。亡き明聖大妃の前でさえ、粛宗は?俺?とは口にしてことがないのだ。
 ホ内官は前任の大殿内官、粛宗の幼少時代の守り役だった内官の後任として抜擢された。大切なオクチョンの生命の恩人だというのが元々の理由ではあるが、この男の有能さは長年側に置いた粛宗自身が心得ている。頭脳の明晰さは言うに及ばす、武芸の心得もあるし、何より口が硬い。
 恐らく粛宗の側にいちばん近くいるから、王のどんな私的な事情にも通じているであろうのに、一切を語らない。それは妻のミニョンに対してさえで、その意味ではミニョンがまた良人であるホ内官にオクチョンの秘密を語らないのと同じかもしれない。
 忠誠心と妻、或いは良人への愛。どちらかを秤にかけたとしたら、恐らくは前者を選ぶ。そういう類の者たちで、似た者夫婦ではある。だから、粛宗もホ内官を通じてオクチョンの動向を探ろうなどと考えたことは一度もない。
 粛宗の問いに、ホ内官は精悍な顔をほころばせた。
「先日、内子院(ネジャイン)を訪ねて参りました」
 内子院は、内官志望の幼い少年たちが王宮に入る前に教育を受ける機関である。もちろん、既に彼等は去勢手術を済ませている。多くは平民のその日暮らしの家の子が家族に金と引き替えに売られるも同然に連れてこられるのだ。しかし、中には零落した両班家の子息が自ら志願してくることもある。彼等は一様に内官となって落ちぶれた家門を立て直そうと健気な野心を抱いていた。
 過酷な去勢手術で生命を失う者もいる。内官は常に王に近侍するから、身分そのものは低くとも王室の機密事項を知る立場にある。
 過去には、内官が絶大な権力を握った王の御世もある。そのため、内官を志願する者は意外に多いのも実情であった。
 ホ内官自身は平民の出で、特に両班の出ではない。
 粛宗は笑顔で話を続けた。
「誰か良い子はいたか? ホ氏といえば、代々、内侍侍長を輩出した名家だ。その家門を託すのだ、将来有望な子を見つけねばならぬぞ」
「そうですね。私も妻と色々な子を見て、実際に会話などもしてみました」
 粛宗は眼を瞠った。
「内子院には奥方と出向いたのか?」
 彼の信頼する内官は、当然だというように頷いた。
「迎える息子には、我ら夫婦の老後を託さねばなりません。また、私一人の息子ではなく、妻の息子ともなるべき子ですゆえ」
「そうか」
 粛宗は軽い笑い声を立てた。
「内子院の帰りには、恵民署(ヘミンソ)にも立ち寄りました」
「恵民署?」
 恵民署は病や飢えに倒れ、行き場のない民を一時的に受け入れ、治療したり世話する公的機関であった。何故ここに恵民署が出てくるのかと首を傾げると、ホ内官が今度は笑った。