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短編集45(過去作品)

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 とりあえず、付き合ってみて、自分好みの男性に変えることくらいしか思い浮かばなかった。だがそれでもせっかくのあどけなさという魅力をこのまま面白くない男にしてしまうのも嫌だった。目に見えて分かるだけに、やよいの中で確信めいたものがあったのだ。
 セックスは淡白だった。初めてではないというわりに女性の扱いはまったく慣れていない。ぎこちないが、それだけ自分に主導権を持てることが嬉しかった。
「そうじゃないの、信之君。ほら、違うわよ」
 語句は厳しいが、喋りは穏やかだ。慌てふためく本人がどう感じたか分からないが、やよいはちょっとした「女王様」気分だ。
 信之はやよいのことを「やよいさん」と呼ぶ。さすがに男としてのプライドが許さないのか、「お姉さま」とは呼ばない。もし呼ばれていたらやよいはどんな気分になるだろう。女王様気分に拍車が掛かるかも知れない。
 しかし、ベッドの中では言葉は無用だった。重々しい空気の中で漏れる湿った声、敏感になった身体に比例しているようだ。時折弾けるような反応をする身体からは熱さが伝わってきて、身体全体で脈を打っている。それはやよいにしてもそうで、きっと信之も感じているだろう。
 ある時を境に立場が逆転する。ぜんまいの切れたおもちゃのように、とどまるところを知らない身体から痙攣と、のけぞった口元からは切ない声が次第に大きくなる。
 その声を聞いて、信之はやっとオトコになるのだ。オトコになった信之は、容赦なくやよいを責める。
――この瞬間を待っていたんだわ――
 これがこの人の本性だと感じた時、やよいもやっとオンナの悦びに浸ることができる。ここまで男性からオトコに変わる瞬間がハッキリ見るのも今までになかったことだ。それが嬉しかった。
――この人は私のもの――
 果てる瞬間、頭の中が真っ白になる中で、考えた唯一のことだった。
 普段は傍から見ると兄弟のように見えるだろう。少し化粧を深くすると、想像以上に落ち着いて見えるやよいに対し、あどけなさが前面に出ている信之とでは歳の差以上に雰囲気の違いは明らかだ。
 最初こそ、一緒に歩くのを戸惑っていた信之だったが、次第に大胆になってくる。腕を組むこともあれば、寄り添ってくることもあるくらいで、さすがにやよいもビックリだ。
 元々、主婦であるやよいの方が気をつけなければいけないのだろうが、不思議と信之との間ではあまり意識をしない。むしろ最初戸惑っていた信之を見ていて、
――なんて可愛いんだ――
 と思ったくらいで、苛めたくなる衝動に駆られてしまう。そうすればするほどベッドの中でのギャップに震えがくるほどの快感が襲ってくるのだ。
 だが、そんなやよいだが、パートをしている喫茶店だけは教えなかった。あそこは自分だけの空間だと思いたいところがあり、こだわりというべきだった。信之も、あまり詮索することがなかったので助かっていた。だが、それもやよいの雰囲気がそうさせるのだろう。
――あそこだけは誰にも侵されたくない――
 自分の城というには大袈裟だが、喫茶「アルテミス」は夫や信之にない雰囲気を持ったところだった。客層も二人とは違い、明るい中年の男性が多かった。
 それもそのはず、近くの商店街に店を構えるオーナーがほとんどで、午前中に立ち寄っては情報交換をしていた。普通の世間話をしていることもあれば、真剣に経営についての話をしていることも多い。
 それでも彼らは明るいのだ。それが一番の魅力であり、
――明るい中年――
 のイメージは今まで知っている男の中にはいなかった。
 これも子供の頃の記憶だが、学校の先生に雰囲気の似た人がいたように思う。中学の頃だったか、子供のくせに、
――所詮学校の先生も公務員、仕事としての義務だけで生徒に接している――
 という冷めた考えをしていた。
 やよいは、店の常連から、
「やよいちゃんはこの店のマスコットだね」
 と言われていた。マスコットと言われるほど可愛くないし、年齢的にもそれほど若くないが、常連の中年から見ればそうだろう。
 その店ではマスターと女の子が三人いて、それぞれローテーションで仕事をしている。だからやよいは他の二人の顔を知らない。二人とも主婦だというが、どんな雰囲気なのか会ってみたい気もしていた。
 だからこそ、信之といえども、いや、信之だからこそここの生活を知られたくない。むしろ夫よりも信之には知られたくなかった。
 誰にも知られていない世界が他にあると思うだけで、気分的に余裕ができる。最初は逃げ場が見つかったという気分だけだったが、それだけではない。逃げ場にするのではなく、探していた自分の心の拠り所を見つけたのだ。
 ここの店で知り合った人とは、まず他の場所で会うことはないはずだ。きっと顔を合わせたら、軽く笑顔で会釈することはあっても、声を掛けることはないだろう。それは相手にしてもやよいにしても同じことである。
 常連客の中には芸術家の人もいて、自分で店の中にギャラリーを持っている。店はアンティークの店だが、こじんまりとした店にたくさん展示しているわりに、こまごましたところが見られない。それこそが店主のこだわりなのだろう。レイアウトもすべて自分で決めたらしく、さすが芸術家を思わせる。
「一度来てみるといい、きっと世界が変わるかもよ?」
 と言われ、さっそくその日の午後には顔を出してみた。地下に降りていくギャラリーは、一階の店に比べてシックなつくりであった。一階はさすがに商売っ気があり、所狭しと展示されていたが、地下に下りると完全に違う世界が広がっている。
――まるで私にとっての、喫茶「アルテミス」みたいだわ――
 そう感じて目を閉じると、喫茶「アルテミス」の壁にシックな雰囲気が加わったみたいに見えた。
――自分の隠れ家をいつも心の底で求め続けていたように思う――
 身体の相性と、心が求めているものが本当に同じものであれば、それが一番幸せであろう。しかし今、身体の相性で一番だと思っている信之と、隠れ家として求めている喫茶「アルテミス」、どこまで行っても交わることのない平行線をたどっている。
 最近、康友はやよいの顔をまともに見ない。後ろめたさを感じるのは、自分が信之と関係を持ったことで、後ろめたさには敏感になったからだろう。そういう意味でいけば夫も同じ立場、康友にも何か思うところがあるのかも知れない。だが、それを差し引いてもパートをするようになって得た心の余裕に勝るものではない。パートに出たこと、そして信之と知り合い、信之に心の安らぎを感じていることを微塵にも後悔などしていない。
 アンティークショップの地下ギャラリーに下り、
――月が綺麗に描かれている――
 と感じたことが一番大きいかも知れない。
 他にも太陽は風景画なども多いのだが、暗い雰囲気の店内にひときわ目立つのが黄色い色なのか、月だけが気になっていた。他の絵はそれぞれの個性というよりも、まわりの雰囲気やレイアウトで綺麗に引き立っていたが、月だけはそんなことはない。ポツンと月の絵だけがそこにあっても、十分に引き立つのである。
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次