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短編集45(過去作品)

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 どぎまぎとしている自分を夢に見ることがある。主婦連中が自分の知らないところで噂をしているのを聞いてしまったという夢だった。何とも言えない情けない表情をしているが、その表情を誰にも見せることはないだろう。
 それだけに夢で見ている自分は衝撃だった。人に言えるはずもなく、一人悩んでいる。
 そんな気持ちを一番分かってほしいのが夫なのに、夫は気付いてくれない。鈍感な人だとは思っていたが、いつも自分のことを考えていてくれているのだと思ったからこそ結婚したのだ。
――まさか――
 頭の中でしたたかな夫の顔が浮かんだ。
 知っていてわざと知らないふりをしているのではなかろうか。考えただけで夫への不信感が募ってくる。考えない方がいいのかも知れない。だが、一旦浮かんだ考えを打ち消すことは至難の業ではなかった。
 結婚してから早五年、小さいことで不信感が芽生えたりはしたが、表向きは仲のいい平凡な夫婦である。傍目からはお互いに気を遣いながらの生活に見えるだろう。それはさぞかし微笑ましいに違いない。だが、そう思っていると感じれば感じるほど、
「そんなに仲のいい夫婦じゃないわ」
 と大声で叫びたくなってくる。
 一度本当に離婚しようかと思ったことがあった。些細なことから喧嘩になったのだが、お互いに言葉での詰りあいになっていた。売り言葉に買い言葉、次第にエスカレートしてくる。そんな中で、康友の一言がやよいの胸を一気に貫いた。
「あんたら親子は似たもの同士だ」
 父を早く亡くしたやよいを女で一つで育ててきた母親の悪口を言ったのだ。母は、スナックなどの水商売の経験もある。詳しいことは知らないことなので、自分で感じる分には仕方がないが他人に、しかも一番肉親に近い他人に言われるのが一番辛いことだ。
 一気に噴出した旦那への不信感。康友に冷酷さを感じたといっても過言ではない。
――どうしてこんな人と一緒になったのかしら――
 この際、交際期間の長さの問題ではないだろう。きっと彼のような性格は結婚して一緒に暮らしてみないと見えてこないところが多そうである。
 話をしていて、いつもは暖かいはずのダイニングに冷たい風を感じる。電気もいつもより暗く感じる。テレビが着いていないと耳鳴りが聞こえてきそうだ。
 そんな時に感じた居たたまれなさは、子供の頃にも感じた。あれは父が死んでからしばらくして、母がスナックに勤め始めた頃だ。
 いつも一人での夕食、学校から帰ってきて、木造アパートの鍵を開けて入るのも毎日自分だった。
 小学校五年生くらいだっただろうか。テーブルの上には白い布の掛かったご飯が用意されていて、すでに冷たくなっている。一人でテレビを見て、一人で寝る生活。時々そんな自分を想像してしまっているもう一人の自分を感じるが、自分だと思ってもあまり気持ちのいいものではない。
 母と二人だけの生活に慣れかけていた頃だっただろうか。毎日のようにやつれて帰ってくる母がかわいそうで見ていられなかった。母が帰ってくるのは明け方だった。やよいが学校に行く時間には爆睡している。寝ているのを起こさないように用心して帰ってくれているので、帰ってくる時間に気付くことは稀だった。
 母のそういうさりげないところが好きである。自分もそういう大人になりたいと思ったものだ。
 だが、そんな母が家に帰ってこない時期があった。帰ってくるのだが、やよいがいる時間に帰ってくるわけではない。学校に出かけてから帰ってくるようだが、家で寝ているような雰囲気がないのは、着替えだけを取りに来ているのかも知れない。洗濯は昔からやよいの仕事だったので、家に帰ってきてすることといえばあまりない。だから着替えだけを取りに来たとしても不思議でも何でもないのだ。
 なぜなのか分からなかった。しばらくして母がいつものように家にいる時間が増えたが、完全にやよいを避けるようになっていた。
――何があったのだろう――
 聞くに聞けない。聞いたところで答えてくれるはずもなく、ただ見守っているしかないのだ。
 その時の記憶がよみがえる。しばらくしてその時の母の気持ちが痛いほど分かるようになるのだが、その時は分からなかった。
 夫に対して感じた居たたまれなさ、それを解消するには自分で行動を起こすしかない。
 カマをかけてみるつもりで話してみた。
「ねえ、私も前のようにパートに出ようかしら」
 新婚当初なら、
「何言ってるんだ。俺が稼いでくるから、君は家のことをしてくれていればいいんだ」
 と少し大袈裟に怒ったような言い方をしながら、顔はニコニコ笑っているのが目に浮かぶ。だが、
「パート? いいんじゃないか」
 たった一言それだけだった。しかもやよいの顔を見て話しているわけではない。振り向こうともしないのだ。
――この人は冷めているのか、それとも心ここにあらずなのか、どちらかだわ――
 と感じた。前者がいいのか後者がいいのか分からない。後者なら、どこかに誰か想う人がいるということを示している。もし前者なら、もっと深刻かも知れない。修復不可能だったらどうしようかと考えた。
――とにかく自分の環境を変えてみないと、相手の気持ちも分からないし、状況の打破には程遠い――
 と感じていた。
 離婚という二文字が浮かんでは消えるが、どうしても離婚ということになると踏み切れない。ピンと来ないのだ。いくら今離婚率が高く、バツイチが目立たなくなったとはいえ、どこか煮え切らない。自分の気持ちの中の信念のようなものが壊されるのが怖いのだろうか。やはり環境を変えるのが一番だろう。
 パートの口はすぐに見つかった。お給料は知れているが、目的は気分転換、お金ではない。駅前に新しくできた喫茶店で募集していたのを買い物の帰りにふと見ていたのだ。名前を喫茶「アルテミス」という。
――広告を見たから、パートしてみようと思ったのかも知れないわ――
 とも考える。喫茶店という響きがコーヒーの香りを思い起こさせ、そこに気持ちのゆとりを持たせたとしても何ら不思議のないことだ。
 以前もパートしていた時によく喫茶店に寄っていた。昼食を摂るためのランチタイム専門だったが、それでも日の当たる窓際に座って食べるランチは最高だった。その頃、一日のうちでの一番の楽しみがランチタイムだっただろう。
 その店で借りた真っ赤なエプロン、とても新鮮だった。家でも真っ赤なエプロンをすることもあったが、やはり皆に見られていると思うと、気持ちのいいものである。
 やよいは恥ずかしがり屋なくせに、見られることが好きな性格でもあった。一見矛盾しているように思うが、羞恥心と目立ちたいという気持ちは元来別のものではないだろうか?
 純粋に赤い色が好きで、情熱的なのかといえば、そうとも限らないところがある。短気なところがあるわけでもないが、のんきというわけでもない。自分では分かりにくい性格に思えたが、康友に言わせると、
「お前は分かりやすい性格をしている」
 ということになる。どうしてなのかと聞いたこともあったが、
「すぐ喜怒哀楽が顔に出るじゃないか」
 と言われたが、自分ではピンと来ない。なるべく気持ちを抑えようとしているが、それが却って目立たせる結果になるのかも知れない。
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次