短編集45(過去作品)
自分が生まれたその瞬間に、他でも何人か生まれているかも知れない。同じ場所というわけではないので、実感はないが、考えてみれば奇妙なものである。どこかで繋がっているかも知れないと思うと、必ずどこかですれ違っているように思えてならない。これから出会うのだろうか?
「凪」という時間帯、夕方の喧騒とした雰囲気から、夜の帳が下りるまでのごくわずかな時間であるが、かならず一定の時間訪れる。
――すべてのものが止まって見える時間帯が存在するかも知れない――
と考えたことがあった。それは毎日必ず訪れるわけではないが、必ず訪れる時間の中に隠れていて、ふとしたことで顔を出すのだ。いや、気付かないだけなのだ。
それが凪という時間だとは限らない。しかし、消去法で考えていけばどうしても凪という時間帯が最後に残る。残るからこそ意識するのだ。普段から凪という時間帯を意識しているわけではない。夕方という一番好きな時間帯に隠れているからだ。
――すべてのものには表があって裏がある――
という考え方でいるが、裏と表は紙一重、場合によっては表が裏に、表が裏になれば、裏が表になったりするものだ。普段は表しか見ていないので、
――性格が変わってしまったのではないか――
と思われることもあるが、隠れている部分をわざと見ようとしないところから、そんな気持ちになってしまうのだろう。
「鏡の世界が裏の世界さ」
という友達がいた。確かにそれは言えるかも知れない。左右対称になっているのだから、違う自分が向こうに存在しているという考えである。
頭ごなしに否定はできないが、
「鏡と鏡の間に自分がいたら?」
と聞いたことがあった。友達は最初言葉の意味が分からなかったみたいでキョトンとしていたが、
「無数の自分が両側に展開されるわけか」
と、やっと意味が分かって、唸るように呟いた。
「だけど、それも非現実的だからね。鏡の世界が存在すればという仮定に基づいての話だよ」
「まるで、夢と現実の話のようだな」
「どこまで行っても袋小路さ。鏡の無限が終わらない限りね」
実際にはどこかで終わるのだろうが、理論的に終わることはない。平行線が交わらないのと同じ理屈だ。
煙突の煙を見ていると、何かの結論が出てきそうで、結局何も生まれない。
ずっと上を見ていると首が痛くなってくる。視線を逸らしたいと思うのだが、目は完全に煙に釘付けになっている。自分の目がうつろになっていくのが分かってきて、まるで、酒にでも酔っているかのようだ。
意識が次第におぼろげになっていく中で、記憶を呼び起こす力だけが、健在である。子供の頃に同じ場所から見た、同じ光景、そして、中学の時に見た白い帽子に白い服の女の子、橋の上から手を振っているように見える。まわりには自分しかいないので、自分に振っているように感じるが、そうでないようにも思う。まわりを見渡そうとするが、首を回すことができない。
そのすべてが夕方である。気だるさを感じる中、指先が乾燥してくるのを感じ、次第に痺れが走ってくる。痺れを感じて足元を見ると、すぐに異変に気がついた。
――影がない――
信じられないことだった。あまりにも信じられないことなので、それが夢だということを自覚してもいいのだと感じている。
――夢なら何をしても……
と感じるが、夢ほど思うようにいかないものである。いや、思うようにいかないのではなく、自分の限界を思い知らされるものではないだろうか。
――都会にいても、田舎の中にいても、結局自分は自分なんだ――
当たり前のことを当たり前に感じる。
土手にいると、いろいろなことが走馬灯のように頭をよぎる。
ここで父親と一緒によく石を投げたものだった。今でも川原に石は点在していて、拾って投げたくなる衝動に駆られる。
――しかし、不思議だな――
騒動に駆られるが決して投げたいと思わない。それは父親がいないからだろうか?
厳格な父だったが、ここにくれば性格が砕けていた。今から思えばあれが本当の性格だったようにも思う。石を投げることで童心に返れるというものだ。
「まず最初に自分の顔を川面に写して、その後に石を自分の顔の上に落とすのさ。そうすると、自分の性格が砕けるような気がするんだ」
と父が言っていたことがあった。何度かその光景を見たが、そう話したのは一度だけだった。
どういう意味かハッキリと分からなかったので忘れていたが、今こうやって川面に自分の顔を写してみると、父がやったことを自分でもしてみたくなった。
近くにある一番大きな石を探した。
自分が二重人格だということは最近になって気付いたような気がする。遅すぎるのではないかと思うが、きっと、いつもいろいろなことを考えたり想像しすぎて、自分のことに気付いていなかったからだろう。
考えが深かったり浅かったりで、想像をしていても、結局いつも最後は同じようなところで落ち着くように思う。考えが袋小路に入ってしまい。また元のところに戻ってくるのだ。
いつも自分の考えていたようにまわりが展開していたように思う。それほど深い考えがあったようにも思えないが、特に学生の頃など、考えたようにまわりが動いてくれたように感じるのは、当時は当たり前のように思えたが、今は不思議でしょうがない。
毎日を繰り返している話を思い出した。ずっと繰り返しているのではなく、時々繰り返しているとすれば、知っている通りの出来事が繰り返されるのだから、考えている通りにまわりが展開するのも当たり前というものだ。
そういえば、父も同じようなことを話していたっけ。
「時々、自分が想像したとおりにまわりが動いていることがあるんだ。きっと夢でも見たんだろうな」
そんな時に限って、この土手に石を投げに来たがるのだ。
「どうして、ここに来たくなるんだい?」
「分からないけど、ここで自分の顔に石を落とすと、何かから抜け出せるような気がするんだよ」
今まさに石を落とそうとしている瞬間に、父の話を思い出していた。父もきっと同じ日を繰り返していることを憂いていて、自分の顔に石を落とすことで何かから抜け出せると思ったのだろう。
――一体、誰から聞いたのだろう――
きっと同じようなことは自分たちだけでなく、他の人にもあったに違いない。人から言われて、どこかの瞬間に自分で呪縛を解くことができるのだ。厳格だった父が柔らかくなったのはそれからのことだった。
「お父さん、変わったわね。何か目からウロコが落ちたみたい。それまでは何かに取り憑かれたようなところがあったからね」
母も同じように感じていた。しかし、それが川原での出来事にあることは知らないだろう。
白い服に白い帽子をかぶった女性を何度も見たような気がしたが、まったく同じシチュエーションだったことから、一度だけしか見ていなかったのかも知れない。それも凪という時間帯にである。
水沼氏は手に石を持って待っている。凪になるのを待っている。川面に写っている自分の顔を眺めているが、ちょうど西日が差し込んでハッキリと見ることができない。
凪が近づいてくる。次第に自分の顔が川面に写っているのが分かってくる。
――こんな顔をしていたんだ――
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次