短編集45(過去作品)
――凪という時間帯は、一日の明と暗を分かつ時間であって、一番人間にとって寂しい時間帯である。そんな寂しい心の中に入り込む妖怪もいるようで、昔から魔物が出やすい時間とされている――
と書かれていた。
さらに、一番事故が起こりやすい時間だという。その理由についても書いていたが、それを思い出した瞬間、
――そうか、そうだったのか――
と今まで悩んでいたことが解決したように思えてきた。
――色がないんだ――
西日が当たってオレンジ色に染まっていた時間帯を過ぎると、襲ってくるのは漆黒の闇だと思っていた。しかしその間数分くらいであろうか、色を識別できずすべてのものがモノクロに見える時間帯がある。それが「凪」と言われる時間なのだ。
事故が頻繁に起こるのも分かるというものだ。何しろ色を識別できないのだから、色盲が運転しているのと同じである。しかもヘッドライトで目の前を照らされては、さらに見えなくても仕方がないのかも知れない。それを現代の魔物だと思うと、昔の人の発想もまんざらでもない。
――いや、本当に魔物が出たのかも知れない――
いくら言い伝えとはいえ、何の根拠もなく末代まで伝わることはあるまい。きっとそれらしい伝説が残っていることだろう。そんな話も田舎にいる頃、聞いたような気がする。
田舎でも「凪」というのはあった。しかし、意識したことはない。田舎自体あまり色を意識することがなかった。ほとんどは自然による原色が当たり前のように目に写っているので、自然現象である「凪」に対しても意識することはなかった。
田舎に住んでいると、暗闇の訪れは早い。ほとんど凪など意識することはない。学校から帰ってくる頃はまだ夕日の影響を受けていて、後はほとんど表に出ることのなかったので、暗闇を感じることはなかったのだ。暗闇を避けていたのかも知れないが、それは意識の外でのことだった。
――土手から見ていて、小さい頃に「凪」を本当に感じたのだろうか――
という気がしてならない。これだけこの時間にいつも見ていて、色のないことに気付かなかったなど信じられない。
白い色はあまり好きではなかった。汚れ目がするのも理由の一つだが、何となく物足りない気がするのだ。確かに綺麗ではあって鮮やかかも知れないが、原色が好きな水沼氏には青や赤の方が華やかに見える。
――色の中心は白だ――
と思うようになってからも、頭の中で半分信じられなかった。
あまり鮮やかだと目にも悪い。鮮やかすぎて、他のものを見た時のギャップの激しさで、まともに見えないように思えるからだ。
白い色を気にするようになってからというもの、他の色を暗く感じるようになった。嫌いになったわけではないが、中心に白を置いて、まわりを他の色が彩るのが一番自然に見た。
中心は小さい方がいい。中心の白が目立たない方が、白が強調させる。さらには、中心に向うほどに、遠く感じられるのは、色のトンネルを抜けて、白く見える明るい出口を目指しているように見える。
そんなことを考えていると、すべてをグレーに覆い被せてしまう凪という時間帯が、神秘的なものに思えて仕方がないのだ。
毎日時間帯は少しずつずれている。季節があるのだからそれも仕方がない。だが、身体で覚えている凪という時間は、水沼氏にとって、変わるものではない。工場の風景がどこか違っていると感じるのは、変わらないという意識の元で、季節が巡っているのを無意識に感じているからだろう。
水沼氏は夕方が好きだった。何となく感じる気だるさに、充実感のようなものを感じるからだ。小学生の頃には、何ら目標など持っているわけではないが、目標がないからこそ、一日一日が完結される目標なのかも知れない。
目標のなかった頃を思い出すと、あの時期にまた戻りたいとは思わない。それは自分に何か目標があるからだ。
――水沼氏の目標とは何だろう?
考えてみるがハッキリ口に出して言えるものは何もない。
土手に座っていればおぼろげに見えてくるように感じるのは、気のせいだろうか。その日を無事に終えればそれでよかった頃は、何も自分のことを考えることはなかった。だからこそ、毎日を同じリズムで生活していても何も感じなかったのだろうが、その日一日にそれほどの長さを感じなくとも、数日経って思い出せば、かなり前のことだったように思えてならない。一日が完結しているからだろう。
そういえば、毎日を繰り返している男がいるのではないかと考えたことがあった。ある一日からどうしても抜けられないのだ。
毎朝同じ時間に目が覚めるところから始まる。目覚ましなどなくとも目が覚めて、気がつけば家を出ているのだ。朝の支度をしているのだろうが、まったくの無意識で、気がついた時にはすべての支度をしていて出かけるところである。
表に出て時計を見る。ジャスト午前八時、溜息をつくところまで一緒だ。
会社につくと、相変わらずくだらない話をしている男が女性社員をからかっている。それを見てバカにしたような表情になっている自分に気付く。
同じ日を繰り返していても、一日の終わりが近づくと充実感を感じるもので、夕焼けを見ている時間が一番好きだった。
――似ているな――
どうしても、自分と照らし合わせて考えてしまうものだが、自分が同じような環境に陥るなどという発想は浮かんでこない。完全に他人事なのだ。だが、創造した男には夕焼けを見ながら充実感を感じてほしい。そうでないと、創造してしまった自分に、いつ同じような境遇が回ってくるか分からないからだ。
何かを創造すると、それが自分に帰ってくるのではないかと思い、怖くなることがある。何かを作ることが好きなくせに、矛盾した考えだ。
まるで鏡を見ているようだ。鏡の向こうに自分がいて、気がつけばそのまた向こうに自分がいる。さらにその向こうに……。
――なんだ、鏡を自分の両側に置いただけじゃないか――
気づいてみればそんなところだろう。だが、鏡と鏡の間に挟まれた実に限られた世界の間で気付かなければ無限を思い知らされる。違う毎日を繰り返しているとしても、それは鏡と鏡の間の世界のように、無限に見えたとしても、それはどこか共通した中で暮らしているのかも知れない。
同じ毎日を繰り返しているという発想は、そのことを気付かせてくれる。西遊記の孫悟空が、お釈迦様の手の平の上で弄ばれているがごとくである。
土手に座って煙を見ていると、出所は変わらず、後はまっすぐ上に舞い上がり、そのまま空に飲み込まれていく。それをひたすら繰り返している。下からは絶えず黒煙が吹き上がり、同じように消えていく。どこをとっても、いつ見ても同じ光景が繰り返されるだけである。
――同じ一日を過ごしているようだ――
と感じるのも当然のことだ。あるいは、煙を見ていて感じたことが、
――同じ一日を繰り返している男――
という発想に結びついたのかも知れない。繰り返される毎日、煙突から生まれて空に消えていく数秒間だけ生を受けるが、絶えず繰り返されることによって、存在を感じさせるに十分である。
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次