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短編集45(過去作品)

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 本を読むというのは最初、贅沢な時間を味わいたくて読んでいた。それは今も変わらないが、特にその作家の作品には贅沢な時間にふさわしい魅力があった。
――気持ちに余裕が持てるような「大人の作品」――
 これがこの作家の印象である。作家の名前は坂下清、本名ではないようだが、どこにでもいる名前ということで、親近感を感じる読者もいることだろう。本当はコーヒーでも飲みながら昼下がりに読むのが一番気持ちに余裕が持てていいのだろうが、学校に通っている以上、なかなかできるものではない。休みの日だけはさすがに昼下がり、喫茶店に出かけて読むことがあるが、それも最近できた喫茶店なので、気持ちに余裕を持つにはもってこいかも知れない。
 寝る前に読むのも決して悪くない。一日を頑張ったという充実感の元、布団に入って本を開く、読み進むうちに小説世界に入り込むのだが、気持ちに余裕があるせいか、主人公になったかのような気分になっている自分と、本を読んでいる自分と二人の自分を感じることができるのだ。
――まさしく夢の世界だ――
 本を読んでいると眠くなってくる理屈がここにあるのかも知れない。
 夢の世界では二人の自分がいるのだと、いつの間にか感じるようになっていた。それがいつだったか記憶にないが、夢を夢だと感じることができるようになってからになるだろうから、それほど前のことではないようだ。
 だが記憶とは曖昧なもので、ついこの間のように感じるかと思えば、かなり前のように思うこともある。比較対象になっている夢があって、それと比較して比較にならないからだろう。
 読んでいる本は、非現実的な内容が多い。最初は普通の話なのだが、その中に少しずつ不思議な世界のエッセンスが散りばめられていて、それが伏線になっている。読み進むにつれてところどころに主人公に予期せぬ出来事が起こり始め、深層心理が渦巻く中、次第に主人公は不思議な世界に入り込んでいく……。
 最後には伏線が効いてくるのか、
――ああ、こんな結末が待っているのか――
 と、意外性で脳天をぶち割られたような感覚に陥るが、決して騙されたような気がしない。それだけ、巧妙に計算された作品が多く、「大人の作品」と感じるゆえんである。
 その作品にはストーリー展開の軽妙さを感じた。あまり意外性を感じることのない作品で全体的なインパクトが薄く、あっという間に読むことができたのだが、読み終えてからまた読んでみたいと思わせる作品だった。
 坂下氏の作品には、
――もう一度読んでみたい――
 と思わせる作品が多いのだが、それは読めば読むほど深く作品に触れることができ、気付かなかった作者の本音に気付くからである。しかし、今回はそれよりも、もっと深いところでの作者の意図である
――「深層心理」を理解したい――
 という感覚が強いのだ。
 深層心理という言葉、水沼氏は好きである。
――心の中に秘めた気持ちは、表にほとんど現われていないだろう――
 という考えを持っているからである。
 何かの本で人間の能力は潜在能力の十パーセントも使っていないということを読んだことがある。深層心理への理解も潜在意識の中ではほとんどなされていないように感じるのだ。
 だが坂下氏の作品は、深層心理をテーマにした作品ばかりではない。ほとんどが短編や短編による連作だったりするのだが、その中には、軽いテーマを用いてサラリと読める作品もある。能を見に行って、その途中に狂言があるような、そんな趣向を凝らした本がいくつもあるのだ。
 買ってきた本もそんな感じであった。深層心理を抉る作品があるかと思えば、他には純愛小説のようなものがあったり、旅行記のようなものがあったりする。しかし最後はさすがといえる持ち前のブラックユーモアで、読者を「あっ」と言わせることを忘れない。読んでいて痛快な感じがしてくるのだ。
 真剣に読んでいた作品の後に旅行記がある。水沼氏には旅行記の方がむしろ気になっていた。
――不思議とイメージが浮かんでくる――
 書かれている土地は架空の土地として紹介されている。だが、どこかの街がモデルになっていて、そこからモチーフが作られていったに違いない。読み込んでいくうちに水沼氏の頭の中で、まるで作者の頭の中を見てきたかのように次々にモチーフが浮かび、そこからモデルになっている土地の風景が鮮やかに浮かんでくる。こんなことは初めてだった。
 いつもであれば、作者が感じるように知っている土地であれば、先に土地のイメージが湧いてきて、そこからモチーフが浮かんでくる。もちろん、それも土地を知っていて初めてできることで、一度も行ったことのない土地で浮かんでくることなどありえない。
――やっぱり、一度行ったことのある土地なのかな――
 考えてみるが思い浮かばない。
 旅行が好きで高校最初の夏休みは、数ヶ所巡ってみた。それでも、短い範囲でしかなく、期間も一週間ほどだったが、帰ってくればあっという間だったような気がする。
 行ったところは北陸だったが、夏の北陸というのもいいもので、福井、金沢、能登半島と結構まわった。
 中途半端な都会というのは、育った環境の中で感じたことのないものだったので、新鮮だった。特に金沢は「古都」という言葉にふさわしい土地で、何度でも訪れたいと感じたものだ。
 だが、小説の中に出てきた土地は、そのどれでもないイメージが浮かんでくる。ガイドブックで読んだイメージがあるかも知れないが、これほど鮮明に思い浮かぶなど思ってもみなかった。
 本を読んでいて、自分がその土地を歩いているような錯覚に陥る。主人公として本の中に入り込んでいるといってもいいかも知れない。
 今までに本を読んでいて主人公と自分をダブらせていたことがあったが、それは後になって気付くことだった。その時も最初は自分が主人公の気持ちになっていることに気付かずに読んでいたが、気付いた時にはすでにその土地を以前から知っているように思えて仕方がない。
――やはり知っている土地なのかな?
 考えれば考えるほど、どこの土地かは限定できないが、行ったことはあるのだと信じて疑わなかった。
 夢で知らない土地を歩いていることがある。本を読んで客観的に感じた描写が印象に残って、そのまま夢として見せるのだろうが、将来必ず訪れるであろうという気持ちがあるのも事実だ。
 実際、将来感じていることを覚えていなくとも、何かの拍子に、
――以前にも同じようなことを感じたことがある――
 と思うに違いない。
 本を読み進んでいくうちに、その気持ちが確実なものとなり、最後まで読み終えた。普段であれば、そのままページを閉じるのだが、最後の解説の前に、作者のコメントがあったことで、本を閉じるのを思いとどまった。
 ページを開いて驚いた。作者のコメントが今の心境そのものだからだ。
「この作品をごらんになった皆さんは、きっと同じような思いを抱いておられることでしょう。
――一度は行ったことがある気がするのだが、覚えていない――
 ハッとされていることでしょうね。私の作品をそんな気持ちで皆が感じてくれれば作者冥利に尽きるというものです。
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次