短編集45(過去作品)
白いドレスが似合う女の子で、中学生くらいなのだが、学校で見かけたことはない。いつも白い帽子を目深にかぶり、水沼氏が石を投げて遊んでいると、気がつけば橋の上にいるのである。
いつもいるので不思議に思い、絶えず橋の上に意識を持っていきながら石を投げていたが、意識している時に現われることはない。
人間、そう集中力を持続することは不可能で、ふとした瞬間に集中力が分散してしまうことがある。それでも一瞬、一秒あるかないかの瞬きの時間ほどである。
――そんなバカな――
再び集中力を橋の上に向けるといるではないか、信じられない。
だが、考え方によっては、一秒ほど逸らしていただけでも、一旦離れた集中力を元に戻すためには、さらに数秒が必要ではないだろうか。そう考えると少しは合点がいくというものである。
――それにしても――
それでも偶然にその瞬間ということへの答えにはならない。なぜならその思いを感じたのは一度だけではなかったからだ。
気持ち悪さすら感じた。白い帽子に白いドレス、これ以上ないというほど目立つ姿なのに、橋の上でしか、その存在を感じたことがないのだ。
――彼女は一体、どこの誰なんだ――
当然の疑問である。
だが結局その疑問が解消されることはなかった。一度友達に聞いたことがある。
「あそこの橋の上に時々いる女の子は誰なんだろうな」
「橋の上の女の子? そんなの知らないぞ」
数名その場にいたが、皆きょとんとして、そのまま顔を見合わせていた。どうやら誰も知らないようである。
「白い服に白い帽子の女の子だよ」
きっと知らないという返事が返ってくることを予感して聞いた。
「ああ、知らないな」
やはり答えは変わらない。
結局その娘が誰か分からないまま、高校生になってしまった。高校に入学すると、遠くの学校になったので、なかなか川で釣りをするなんて暇はなくなった。駅まで行くのに橋を渡るので橋の上から下を見下ろすことはあるが、最初だけは気にして見ていた。
――こんなに高いんだ――
それまでにも渡ったことはあったが、気にして下を見下ろすようになって余計に高さを気にするようになった。川原に敷き詰められたような白い石が小さく見えて、自分がその場にいると、どれほど小さいかを想像してしまう。
遠くを見つめていると、緑の木々が靡いている。青い空を見上げていた中学時代を思い出すが、今同じ場所から同じように空を見上げればあの時のような青い空が見えるだろうか?
ずっと見ていた頃は新鮮だったが、今思い出しながら見ると新鮮さは半減しているように思う。
――青いという色を本当に青だと認識できた頃――
そんな時期だったに違いない。
似たような色を見て、
――これがあの時の青だ――
と思うだろうか? 比較するものがないので、青い色すべてがあの時の青さに結びつくような気もするが、比較対象がない分、却って新鮮な青を侵蝕したくないと思うだろう。
色というのは実に神秘的なものだ。
水沼氏は色に対して独特な考えを持っている。カラフルな色が塗られた円盤の中心に糸を張って高速で回転させるのをテレビで見たことがあるが、次第に色が一つに集約されていく。その色は白だったのだ。
――白というのが、色の中心なのかも知れない――
その時に初めて気付いた。
そういえば白という色はいろいろな特徴がある。
まず、どんな色にも染まりやすいという特徴だ。汚れめがするのも白である。
そして一番明るい色も白だ。光を反射するからだろうが、太陽の光の恩恵を受けて生きている我々人間にとって一番感じやすい色なのかも知れない。円盤の回転によって作られた白は、すべての色の中心であることから、反対の色を思い浮かべると、その中心には必ず白があるのだ。真っ青な空を見ながらそれほど眩しくなかったのは、無意識に白という色を感じていたからかも知れない。
――白いドレス、白い帽子――
それだけでも印象が深かったのは、当たり前のことだったのだ。
川のせせらぎを聞きながら駅へと向かう高校時代、水沼氏は通学途中で恋をした。初恋である。同じ路線で通う女の子であるが、学校は違う。水谷氏よりも先の駅まで乗っていくので、降りる時に凝視してしまうが、相手は気付くはずもあるまい。いつも本を読んでいて、表情も真剣そのものだ。朝なのに眠そうな表情一つしない彼女を尊敬していた。
本を読んでいるとすぐに眠たくなるものだと思っていた水谷氏は、読むとすれば寝る前だけである。寝る前が一番いい理由にはもう一つあるのだが、それは読んでいて自然に感じてきたことだった。
「一日の中で一番幸福を感じる時間は?」
と聞かれると、迷わず、
「寝る前」
と答えるだろう。逆の場合は、
「起きる瞬間」
と答えるに違いない。夢とうつつの間を毎日のように行き来しているにもかかわらず、それを意識することもなく過ごしているのは、幸福な時間と辛い時間を自分なりに分かっているからだ。
そう、寝る前に読んでいると幸福な気持ちに包まれる。気持ちに余裕が生まれて、贅沢な時間を過ごしているように思うのである。それが、読書の醍醐味となるのだが、読書はどうしても疲れるイメージがあるので、思い立った時にしかすることはない。そのかわり思い立ったら時間を感じずに一気に読んでしまう。きっと電車で本を読んでいる女の子と同じように真剣な顔をしているに違いない。自分でも見てみたいものだ。
電車に乗って彼女を見ている時間はどれくらいのものなのだろう。時間にして二、三十分くらいではないだろうか。しかし、時には十分くらいに感じることもあるし、一時間くらいに感じることもある。
――体調のせいかな?
とも感じたが、自分の中の潜在意識が感じている時間が普通に感じている時間と差がある時に感じるように思えてならない。
電車の中で見ている彼女は、電車の中だけでしか会うことができない。
――このままでいいのか?
勇気がなくて声を掛けることもできない。どこの学校かは想像つくが、それ以上のことは分からない。いつも本を読んでいるだけで、他の人と話をしているわけではないので、性格的に明るいのか暗いのかさえも分からない。
他の生徒は同じ車両で騒いでいる。特に女子高生はまわりを気にすることなく大声で騒いでいる。そんな様子を気にすることなく本を読んでいる姿は、凛々しさを感じ、さらに自分の中のペースを崩したくないという強い意志を感じる。
一度彼女の隣に座ってみたことがあった。読んでいる本が何であるか知りたかったからだ。作者に見覚えがあった。水沼氏が以前好きで読んでいた作家なのだが、その時彼女が読んでいる作品は、まだ読んでいなかった。新刊本なのだろうか。
さっそくその日の帰りに本屋に寄って、彼女の読んでいた本を探してみた。
――なるほど新刊本だ――
背表紙カバーの裏を見ると作者の作品集が乗っているが一番後ろに書かれている。最近自分があまり本を読んでいない証拠でもあった。
さっそくその日の夜、読んでみることにした。いつもは寝る前までテレビを見るかゲームをしている水沼氏だったが、早めに切り上げて布団に入った。
――久しぶりの感覚だ――
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次