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短編集45(過去作品)

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「あの子、どうやら自分の死が分かっていたみたいなところがあるんです。死ぬ数日前から、何かに怯えていて、私が元気出しなさいって、励ましていたつもりだったんですよ。こんなことになるんだったら、もっと一生懸命に聞いてあげるんだったわ」
 と言って、すすり泣き始めた。自責の念に駆られているに違いない。
「あまりご自分を責めてはいけないですよ」
 それだけしか言えない自分が情けないと思う俊介だが、母親の気持ちはよく分かった。何となく煮え切らなかったが、友達の死は真実である。厳粛に受け止めるしかなかった。

 それから十年が経とうとしているが、二十歳の時に死んだ友達のことはすっかり気にしなくなっていた。
 忘れるまでにそれほど時間が掛からなかったのは、傍から見ていると平和に見えるキャンパス生活だが、実際に感受性が強く、精神的に浮き沈みの激しい時期だったのは、卒業してから感じることだ。学生時代、社会人というと未知の世界、期待もあるが何よりも不安が大きい。その不安をずっと感じながらの学生生活というものは、表から見ているよりもずっと気持ち的にはシビアなものだったに違いない。
 絶えず何かを考えていた。
 将来のことについてのことや、お互いの性格についてのことなどを話す友達がいて、よく彼の下宿で夜を徹して話したものだ。
 数十年前の学生ならよく聞くことだが、最近の学生では珍しいのではないだろうか。いや、今でも同じような学生が目立たないだけで結構いるのかも知れない。いるのだと信じたい。そうでないと無気力人間ばかりが蔓延ってしまいそうで恐ろしい。
 社会に出ての最初の一年間は、とにかくがむしゃらだった。
 まずは、学生時代の甘い考えを払拭すること、それができないとまわりから取り残されてしまうのは分かりきっていることだし、まず自分の不安が解消されない。
 会社に慣れるということは、自然と仕事にも慣れることだった。人間関係さえ確立できれば、
――仕事なんて、覚えてしまえば何とかなるものさ。問題は人間関係だけなんだ――
 と思えた。少々仕事がきつくても、残業時間が多くても、
――皆同じじゃないか――
 と思えることで、かなり気分的に楽である。しかし人間関係がギクシャクしていると、孤立した自分しか見えなくなり、
――なんでここまでしなきゃいけないんだ――
 と被害妄想に苛まれてしまう。被害妄想はマイナス面しか示さない。しかも、そのマイナス面を増幅させるだけなのだ。身も心も一気に苛まれてしまうことだろう。
 そうなってくると、感覚が麻痺してしまう。絶えず何かを考えていないと気がすまないだけに、ストレスで心の中が飽和状態になると、一旦感覚を麻痺させる以外に、状況を帰ることはできないからだ。
 麻痺させる感覚は無意識だった。だが、無意識に働いた感覚から、今度は抜けられなくなってしまった。感覚が麻痺したままの時期がしばらく続く。
――その方が楽だからな――
 もう一人の自分に言い聞かされているように感じる。
 感覚が麻痺してからの毎日は短かった。二十代の前半と後半とでは、圧倒的に前半の方が長かった。とはいえ、後半が悪かったわけではない。仕事にも慣れ、第一線での活躍の場を見つけると、まるで水を得た魚のように仕事にのめりこんでいたのである。
 しかし、どこか感覚は麻痺していた。楽をしたいという気持ちが前面に出ていたからだ。仕事をしている時の気は楽だった。それ以外のことは他力本願になっていたからで、
――果報は寝て待て――
 ということわざではないが、
――一生懸命に仕事をしていれば、そのうちにいいことも向こうからやってくるさ――
 と思っていたのだ。もし来なくとも、仕事が充実しているだけでもよかった。二十代後半という時期はそんな時期だった。
 ある時期になると開き直りが生まれてくる。仕事とは別に趣味を持ちたいと思い、いろいろなことをしてみたくなる。かといって人とする趣味は、俊介の性格からいってまず考えられない。一人でこつこつこなすような趣味でなければならない。しかも、お金の掛からないような……。
 まず考えたのが読書だった。本を読んでいると、優雅な時間を過ごすことができる。しかも、気がつけば時間が過ぎていて、過ぎた時間を有意義に感じることができるのだ。
 それまではというと、過ぎていく時間については何事もなく過ぎるのが当たり前と考えていたため、麻痺している感覚が何であるか分からなかった。しかし、読書を始めてそれが何であるか分かるようになった。
――感じていたいと思っているはずの幸せというものを、感じずに過ごしていたんだ――
 それがいくら小さく些細な幸せであっても、気付かないことがどれほどもったいない時間を過ごしていたかということを感じずにはいられない。
 趣味を持てば、見えなかった世界が見えてくるというのは本当のようだ。特に仕事では専門的な分野をこなしていると、一般娯楽などを趣味にしたくなるものだ。
 かといって、パチンコや公営ギャンブルに手を染める勇気もない。そのあたりはしっかりしていて、金銭感覚が麻痺してしまうことを恐れていた。ただでさえ、一旦は気持ちが麻痺したということを自覚していたこともあって、麻痺という感覚には敏感であった。自覚があるからこそのことである。
 本を読んでいれば、そのうちに自分でも書いてみたくなった。いつも発展的な発想を持っているのと、想像力が豊かになることで、書いてみたいと思うのだ。
 小説を読んでいると自然に自分の世界を作っている。作った世界に入り込んで読んでいると、きっと感受性が研ぎ澄まされ、他の人と違う世界が広がっていることを感じているに違いない。
 そんな世界を自分の手で作り上げたいと思うのは、それだけ発展性のある考えがあるからだろう。しかしそれがすべてにというわけではなく、やはり自分が興味を持ったことにだけになるのだ。
 小説の世界は、十分に発展性を持たせてくれる。最初こそ、なかなか書けなかったが、その理由は自分なりに分かっていた。
――どうせ書けないんだ――
 と思っていたからに違いない。
 現実的な考え方は、仕事をしている副作用もあるからかも知れない。余計なことを考えるのは時間の無駄と無意識に思っていたからだ。そして、実際に普段からいろいろなことを考えていると、所詮、心のどこかで無理なことは無理だという結論に達している自分に気付く。
 しかし、書けないというのは、努力をしないで考えた結論だ。いろいろな発想ややり方を変えることで、見方も変わってくる。
――話せるんだから、書けるはずだ――
 書けるようになったきっかけは何かと聞かれたら、そう答えるだろう。そう感じるだけで気が楽になったのも事実。まわりの描写も描けるようになると、原稿用紙を埋めることが苦にならなくなった。
――現実の自分と、小説世界に入り込んだ架空の自分と二人の自分を感じるが、きっとどちらも本当の自分に違いない――
 と考えるようになった。
 書けるようになると、毎日が楽しくて仕方がない。一気に気持ちに余裕ができ、自分がまるで小説家になったような気分だ。
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次