短編集45(過去作品)
――自分を美化して考えたい。そして余計なことを考えたくない――
という考えから派生したものだと考えるようになっていた。否定したいのだが、否定する術がない。しかも余計なことを考えたくないと思いながら、絶えず何かを考えている自分との矛盾を、どう説明していいのか分からない。それが無意識のうちに、まわりに対してバリケードを作ってしまい、バリケードの内側には、勝手な妄想を描くようになっていた。つまり、自分の作った殻の中で、勝手に踊っているだけなのである。
そのことに気がついた時、初めて鬱状態から抜けることができる。逆をいえば、必ず気付くのだ。しかもその期間は一定している。
大体二週間くらいが平均だろう。それ以上長くもなければ短くもない。それ以上長ければ、鬱状態に耐えるだけの精神力や体力が持たない気がする。ちょうどの長さというのを知る力は、人それぞれに持ち合わせている潜在能力のように思えてならない。
時が傷を癒してくれるというが、聡子とのことについては、
――本当にそうなのだろうか――
と疑ってしまう。それまでは少々辛いことがあっても、
――時が解決してくれる――
と、心底信じていただろう。あまり意識することもなく、気がつけば傷が癒えていることが多かった。
――聡子とは付き合っていたと言えるのだろうか――
俊介本人は付き合っていたと思っているが、案外聡子の方では付き合っていたなどと感じていないかも知れない。
聡子とは、その時を最後に会っていなかった。会いたくないというわけではないが、会って目を合わせたとしてもどうしていいか分からないだけだろう。それならば会わない方がいいに決まっている。
それから、女性との出会いがないわけではなかった。しかし、なぜか付き合うところまではいかない。寂しさが嵩じて、
――誰でもいいや――
などと自棄的になったこともあったが、身体と心が一体でなければならないのに、切り離して考えていた時期があったからに違いない。
三十歳が近づいてくるにつれて、寂しさが募ってくる。そういえば二十歳になった頃もそうだった。大学三年生といえば、一番楽しい時期であったにもかかわらず、心のどこかに風穴を感じ、そこから吹き抜ける風を感じていた。
――誰かに会いたい――
闇雲に会いたいというわけではないが、懐かしい人に会いたいと頻繁に思っている。寂しさがそうさせるのか、その時期になったら、幼馴染の夢を見るのか、予感めいたものがあるのだ。
小学生の頃によくケガをしていた。事故に遭ったりすることも多く、よく親に心配をかけたものだ。厄払いということで、旅行がてら霊験あらたかといわれる神社仏閣を巡った記憶がある。線香の匂いや、薬の匂いを感じて懐かしく思うことがあるのは、その時の名残りである。
最近見る夢は小学生の頃の夢が多い。よくケガをしていた頃の夢なのだが、その頃に一緒に遊んでいた友達が夢にも出てくる。
「お前はケガばかりしているけど、よほど運が悪いんだな」
と笑っている。そんなことをいうやつじゃなかったのに、夢の中では人格が違っているのだ。顔は友達なのだが、人格はまるで別人、しかもそんな人格の人間を俊介は知っているのに、それが誰だか思い出せない。
「俺だって、したくてケガしてるんじゃないぞ」
と叫んでいるが、普段から自分のことを「俺」とは言わないのに、夢の中の自分は言っている。夢の中の主人公である自分は、本当の自分ではないのかも知れない。
――自分の中にもう一人いるような気がする――
何度となく感じたことがあったが、それは夢で感じたことなのには違いない。夢以外でも、ふとしたことで感じるもう一人の自分、そんな時、夢で見たことを思い出せそうな気がするのは偶然だろうか。
「だけど、お前はいいよな。ケガをしても大したことないから」
これはその友達が話していたことだが、俊介自身も感じていたことだ。その時の友達の顔が思いつめているように見えるのが印象的だが、
――どうせ夢の中なんだ――
と思っているから、あまり気にもしていない。
その友達の訃報を聞いたのが、二十歳の誕生日に彼が尋ねてきてから、数ヶ月後だった。
――そんな予感がしたんだよな――
というのも、前日に夢を見たからだ。
「虫の知らせ」というものをあまり信じることのなかった俊介だが、その日を境に信じるようになった。
何しろ、その時に一番会ってみたいと思っていた人が尋ねてきたのだ。偶然で片付けられない何かがある。
名前を田中といい、彼は大学受験をすることなく、高卒で就職した。勉強が嫌いだったわけではないのだが、そのあたりの理由はハッキリと聞いていない。
その時は大した話をしたわけではない。サラリーマンになって忙しい話や、学生時代の頃のことを軽く話した程度だった。まさか、もう話せなくなるなど思ってもみなかったので、尋ねてきてくれたことで、頻繁に会える気がしたのだ。
しかし、それも一緒にいる時までで、彼が帰ったあとに残った虚しさは、今までに感じたことのないようなものだった。それがいわゆる「虫の知らせ」を感じた一瞬だったのだろう。
葬儀に参列した時に、近くで噂が聞こえた。
「交通事故だったらしいじゃないですか。しかもバスに乗っていてのことだから、避けられるわけもないですよね」
行ってからすぐに聞いた話だった。まだ家族の顔を見る前だったので、どんな顔をすればいいのか分からなかったが、実際に死についての話を聞くと、初めてそこで田中が亡くなったと実感できた。
線香の匂いが漂ってきたが、祈願のために行った神社とはまた違った匂いである。身体を強くしようと思う一心から願いを込めて嗅いでいた匂いと、もう二度と会うことができない人への訣別の匂いとを比較する方がおかしいのかも知れない。
家族に会って話を聞くと、いかにも青天の霹靂だったようだ。
「まわり皆が倒れても、どんなことをしてでも何とか生き残るように思えてならなかったあの人がまさか一番最初に死んでしまうなんて……」
知り合いの女性なのだろうがすすり泣きの中で話していた。病気はおろか、風邪やケガなどにはまったく無縁だったらしい。そんな人がぽっくりと逝ってしまうという話はよく聞くが、それも避けられない事故であれば、悲しみや惜別の思いはさらなるものである。
その話をしていた女性のことが何となく気になっていた。初めて見たのに、初めてではないような気がする。どこかで会ったことがあるのだろうか?
だが不思議なのは、感じているのが懐かしさではないということだ。どちらかというと未来へ向いている気持ちのように思う不思議な感覚だった。
今さらながらに昔話したことが思い出される。
「だけど、お前はいいよな。ケガをしても大したことないから」
という言葉が耳の奥に悲しく去来している。とにかく大袈裟に羨ましがっていた。
――おかしいな――
とまで思わせるほど大袈裟だった。彼が死んでしまった今となっては、羨ましがっていた顔がまるで形見のように目を瞑れば浮かんでくる。
母親と会って話を聞いてみると、さらに不思議なことを言っていた。その顔は、大袈裟にこわばっていた。
作品名:短編集45(過去作品) 作家名:森本晃次