表裏めぐり
ランクは協力出版で、見積もりがそこには書かれていた。金額的には大体のことが書かれているだけで、具体的なことは書いていない。出版を前向きに考えるのであれば、さらに具体的な提案をすると、そこには書かれていた。
だが、作家にとって、そんなことはどうでもいいことだった。実際に作品を読んだ人がどのような内容の批評をしてくれているかということに興味があったのだ。
内容を見ると、最初の方では、具体的な例を示して、褒めてくれている。だが、最後の方では、辛口批評もやはり同じように具体的な事例で示してくれていた。
実はこれがありがたいのだ。
――褒めてばかりでは信憑性に欠ける。やはり辛口もなければ、本当に公平な目で見てくれているのか疑問に感じる。もし褒めてばかりしかいなかったら、相手はお金を出させるためだけに批評を書いているとしか思えない――
と感じた。
作家になりたい人の心をくすぐるような絶妙なやり方は、社会現象にまでなっていたのではないかと思えた。
ちょうどその時期というのは、世の中がバブルが弾けて、仕事人間だった人に時間ができた頃だった。リストラの嵐が吹き荒れて、仕事に何も求められなくなった人が、余暇や自由な時間をいかに楽しむかが、生きていくために必要になってきた。
もちろん、仕事人間だった人が急に生活態度を変えるのは難しいことで、無理をすると身体に変調をきたしてしまうことも多くあった。原因不明の病気になった人や、精神的に少し不安定になる人も多くいて、社会全体が変わってしまったことを誰もが認識せざるおえなかった時期だった。
そんな時期だからこそ、それまで文章を書いたこともない人が俄かで文章を書き始める。中には本当にひどい人もいただろう。文学新人賞に応募してくる人の中には、文章の切れ目で段落を作るために、一文字下げて書くという基本中の基本もできていない人が思ったよりも多かったりするという話も聞いた。
――そんな連中と自分は、同じように一次審査にも通らないんだから、話にならない――
と、自虐的にもなったという。
しかし、自費出版社から返ってきた批評は、自分が考えもつかなった観点で褒めてくれたり、悪いところを指摘してくれたりしていた。
――こういうのを待っていたんだ――
以前から、文章講座の通信教育というのはあったが、その場合でなければ批評など返ってくることもなかった。しかし、お金も掛かるし、果たして自分の望むような批評なのかどうか、甚だ疑問もあった。
先生は、それまで書き溜めた作品を吟味しなおし、自分の中で納得の行っている作品を選んで、自費出版へ送り続けた。
出版社はいくつもあるので、作品も複数送れる。それぞれに批評もありがたかったが、ただランクはすべて協力出版だった。
何作品も送り続けているので、出版社ごとに自分の担当という人が出版社内で決まっていた。
そのうちの一社の担当者とは、電話でも話をしていた。その出版社は、この業界でもパイオニアで、最初に立ち上げた会社だったという。他の会社は二番煎じで、やはりパイオニアの会社が一番信用できると思うようになっていた。
その担当者が、五作品目を送った時に連絡してきて、
「そろそろ、真剣に出版をお考えいただけませんか?」
と言ってきた。
見積もりを見ると、百万円単位の出費が必要になっているようで、いくらなんでも、そんなお金、どこにあるわけもなかった。
元々、批評がほしくて原稿を送っていたのだが、毎回似たような批評を返してくることで、次第にこちらも少し苛立つようになってきた。そこへ出版社側もこちらがなかなかなびかないことに業を煮やしてくるのだから、衝突することも否めなかっただろう。
相手の勧めに、
「いあ、僕はあくまでも企画出版を目指しますので」
と言って、やわらかくいうと、相手も次第に必死になってきて、
「今までは私の力であなたの作品を推してきましたが、それももう限界です。今のうちに出版をお考えいただかないと、協力出版の話も立ち消えになりますよ」
と言ってきた。
――それが、こいつらのやり方か?
と、相手の本音が垣間見えてきたが、それでも穏やかに、
「いえ、やはり企画出版を目指して」
というと、相手は完全にキレたのだろう。
「そんなことは不可能ですよ。今の出版業界というのは、難しいんですよ。企画出版なんてものは、名前の知れた人でなければ百パーセントありえません。たとえば、芸能人かあるいは犯罪者でなければ無理なんです」
完全に相手も本性を現した。
こうなってくれば、こちらも容赦しない。
「そうですか。分かりました。もうおたくとはこれまでですね。他の出棺者当たります」
というと、相手は電話口で舌打ちをした。
「そうですか。でもどこに出しても同じことですよ。時間の無駄です」
完全に上から目線の舌打ちだったことが分かった。
先生は怒りを抑えながら、
「さようなら」
と一言言って、その出版社とはそれきりになった。
他の出版社にも原稿は送ってみたが、完全にやる気をなくしていたので、もう原稿を送ることもなくなってしまった。
自費出版社系の会社の運命が決したのは、それから二年ほどだったのことだった。
彼ら自費出版系の会社というのは、いわゆる自転車操業だった。お金の使い道とすれば、まずは出版に興味のある人を募るための宣伝、広告費である。雑誌や新聞に公告を載せ、作品を発表したい人の興味をそそる。その宣伝文句は、
「本を出しませんか?」
というものだった。
アマチュア作家にとって、プロの小説家になるのはもちろんのこと、自分の本を本屋に並べたいという気持ちが強いのは当たり前だ。以前は小説家になってから本屋に本を並べるというやり方が主流だったが、自費出版系の出版社では、先に本を出して、プロを目指すという今までになかったもう一つの道を開拓したという意味で、作家になりたいと思っている人の気持ちを揺さぶったのだ。
彼らは、今まで小説家を目指している人にとっての難関だと思われていた部分をことごとく打ち破ったかのように見えた。
持ち込み原稿にしても、新人賞投稿にしても、作品を提示しても、結果が不合格なのは分かっている。しかし、不合格なら不合格で、どこが悪いのか分からなかったことが苛立ちを覚えさせた。苛立ちは不安からくるもので、その不安を自費出版社系の会社は解消してくれた。
彼らの批評は的を得ていた。営業の人はかなり小説を読み込んできたか、あるいは、自分たちも小説家を目指していたのかも知れない。ひょっとすると目指している途中だという人もいるかも知れないが、彼らにはそれ以外に、
「本を作らせないといけない」
という使命を帯びているので、本来の新鮮な気持ちを失ってしまったのだろう。
それを思うと、以前電話で喧嘩別れした営業の人を思い出した。彼を許す気にはならないが、同情の余地がないわけではない。ただ、彼らとしても、作家の担当や、応募原稿を読まなければいけないという多種に渡る仕事をこなさなければいけないので大変だろう。
お金の使い方としては、そんな彼らの人件費も当然かなりのものに違いない。