表裏めぐり
晴美は、急に考え込むようにして、少し間をおいて、一言言った。
「えっ?」
「つかさは、釘谷真由という作家を知ってる?」
急に晴美が別の作家の名前を口にしたので、つかさは一瞬何が起こったのか分からないという表情になり、きょとんとしていた。別に大げさに驚いているわけではなかったが、晴美には違和感があった。つかさの取る態度に、こんな雰囲気は今までに感じられなかったからである。
「聞いたことはないわ」
「そうでしょうね。まだ作家としてデビューしているわけではないので、本屋に並んでいるというわけではないからね」
「どういうことなの?」
「十年くらい前から注目されるようになってきたネット小説サイトに投稿している作家さんなんだけどね。私はこの作家の作風が好きなのよ」
「へえ、珍しい。晴美は春日博人一択じゃないの?」
「ええ、文庫になったものでは彼一択なんだけど、最近ネット小説も気になって読むようになってから、この人の作品に興味を持ったの」
「どんな作家さんなの?」
「春日博人の作品をずっと読んできた人間なら分かるかも知れないんだけど、彼の作風を模倣しているところがあるのよね。でも、ジャンルも違っているし、普通に読んでいるだけでは彼を模倣しているように感じることはないと思うのよ」
「そうなんだ」
つかさはこの話に興味がないのか、返事は生返事だった。
小説を書きたいと思っている人は、昔から結構いただろう。
二十年くらい前までは、大手の出版社が主催する文学賞や文学新人賞に応募して入選でもしなければ、本を出したり作家になるなどできなかった。直接出版社に原稿を持ち込む人もいただろうが、そのほとんどは読まれもせずに、ゴミ箱行きというのが、大方のルートだった。
しかし、そんな状況に一筋の光明をもたらしたかのように現れたのが、いわゆる、
「自費出版系の出版社」
だったのだ。
この話は、学校で国語の先生に聞いた話だったが、先生は昔本気で作家を目指してかなりの作品を書いたという。今でこそ国語の先生に甘んじているが、作家を目指していた時期が、
「私の一番輝いていた時期だったかも知れないね」
と言って、苦笑いをしていた顔が印象的だった。
つかさは、この先生に興味があり、先生の話を聞くのが好きだった。もちろん、男女の仲で興味があるわけではなく、先生の考え方に興味を持っていたのだ。中学時代で一番好きだったのがこの先生だったと言っても過言ではない。
ここから先は、その先生が感じたと言って話してくれた事実だった。
作家になりたい人の夢を叶えるための救世主として登場した時は、作家になりたいと考えている人には機会を与えてくれる場所としてありがたがられていたことだろう。
作家になるには、一番の方法としての、
「有名出版社の文学賞に入選すること」
であるが、応募しても、結果だけしか分からない。
しかも、その結果というのは、合否だけであって、どこが悪いのか、批評などまったく返ってこない。
それは当たり前のことである。何百、何千という応募作品に対して、一つ一つ批評して返していれば、人も時間もまったく足りない。入試などであれば、テストの内容とその答えが公表され、自分で自己採点ができるというものだが、応募作品に対しての自己評価は、まったく意味をなさない。自分の作品が端にも棒にも掛からないほどのひどいものだったのか、それとも、あと一歩で合格できたのかすら分からないのだ。
それはテストのように、成否の二択ではなく、どこがどのように悪いのか、あるいは優れているのか、結果として残っていない。
有名出版社の新人賞などで一次審査には、応募要項に載っている審査員はまったく関与していない。いわゆる、
「下読みのプロ」
と呼ばれる、よく分からない連中にランダムに応募作品は振り分けられ、彼らの独断で一次審査の合否が決まる。
そのほとんどは、文法的に体裁が整っていないとか、次の審査に挙げるには貧弱に見える作品を通さないという程度のことで、落とされるのだ。
ひょっとすると、落選した作品の中には最終選考に残れば、入選できた作品もあったかも知れない。それを思うと、一次審査で落選させられた方はたまったものではない。
しかも、その理由はまったく分からない。独断と偏見で落とされたと思っている人も少なくないだろう。
何とも理不尽なやり方に、業を煮やしている人もいるかも知れないが、それが作家になるために通らなければいけない道だとすれば、作家になるには、実力だけではなく、運も必要だということを思い知らされることになる。
では、出版社に直接持ち込む場合はどうだろうか?
編集部に入れてもらえて、作品を受け取ってもらえるだけまだマシなのかも知れないが、作品の運命は、そこから先、受け取ってもらえない場合と同じだった。
「いや、もっと悲惨かも知れない」
受け取ってもらえなければ、自分で大切に仕舞い込めばいいだけだが、なまじ受け取ってもらえたとすると、面談が終わった後、瞬殺でゴミ箱行きの運命だ。
以前、テレビドラマで作家を目指している人の話を診たことがあるが、彼が持ち込んだ作品は、すぐにゴミ箱行きだった。
――こんなこと、テレビで放送してもいいのか?
と感じたほどだったが、それが現実。事実として認識しておかなければいけないことだった。
そんな作家になりたいと思っている人には、超えなければいけないハードルは、実力だけではないことを、ほとんどの人が思い知ることになっただろう。
しかし、そんなところに現れたのが、自費出版系の会社だった。
彼らは、新聞や冊子に、
「本を出しませんか?」
という謳い文句を掲載し、作家になりたい人の目に留まるようにした。
内容は、
「原稿をお送りください。我が社のスタッフが丁寧に読ませていただき、ランクをつけて批評を交えてお返事いたします。ランクというのは、非常に素晴らしい作品なので、我が社が全面サポートを約束し、費用もすべて我が社持ちです。これを企画出版と申します。また作品としては素晴らしいのですが、企画出版に至るまでにはもう少しのランクが必要なので、出版社と作家様とで費用を出し合い、出版社が製本や宣伝までをサポートいたします。これを協力出版と申します。そして、最後はそのどちらにも当たらない作品として、作家様が執筆の記念に、身近な方に読んでいただく程度の本を我が社が製本します。ただ、この場合は、全額作家様ご負担となります。いわゆる昔からある自費出版というものですね」
というものだった。
このような自費出版社系の会社はいくつかあり、一種の時代を作ろうとしていた。
実際に、作家になりたいと思っている人はたくさんいて、これまでの新人賞入選や持ち込み原稿のハードルの高さに、自らおおっぴらに、
「作家になりたい」
などと口にできる人がいなかった。
しかし、自費出版社系の会社が増えてくると、これまで眠らせていた原稿を、たくさんの人が出版社に原稿を送るようになる。
そして、出版社側の言い分通り、作品には批評を沿えて、ランク付けをして送り返してくれた。