表裏めぐり
描写を流れの中でセリフ以外のところで書き連ねて話を重ねていくのが普通の小説なのだが、描写の流れくらいでは、想像力は発揮できるかも知れないが、小説の中で何が言いたいのか分からない気がした。そういう意味でセリフばかりを読んでしまうのは、アニメやドラマのような映像に慣れきってしまっていることが大きな原因なのかも知れない。つかさはそれが分かっていたから、晴美にアドバイスした。しかも最初に話した時は、本当の自分を隠して、少し相手に合わせる話をしていたところもあった。元々つかさは相手に合わせて話をするような人ではないということを一番分かっているのが晴美だったのだ。晴美としては当然、つかさの中にそんな思いがあることなど分かるはずもなかったからである。
つかさの思惑通り、晴美は小説を読むことに興味を持った。しかも、その最初に読むことを勧めた相手である春日博人の小説は晴美にはドストライクだった。
「こんなに幻想的な小説があったなんて」
と、つかさを前にして晴美は言った。
「幻想的?」
つかさは春日博人の小説をオカルトっぽく感じてはいたが、幻想的だとは感じたことはなかった。
――やはり晴美は凡人とは一線を画した感性を持っているんだわ――
と感じた。
――ひょっとして、晴美だったら自分で小説を書くこともできるんじゃないかしら?
と感じたほどだった。
この思いはつかさの中では、
――ひょっとして――
とは言っているが、かなりの信憑性を感じていた。
つかさがそこまで考えているとは思っていない晴美は、今日も本を読んでいた。毎日少しずつではあるが、
――今日はここまで読む――
と毎日決めて読んでいた。
これが読書を継続させた一番の原因だったに違いない。継続がなければ、本そのものへの興味もここまで湧かなかったはずだからである。
晴美は相変わらず本を読むというと、春日博人の小説しか読まなかった。
「あんた、食わず嫌いなんじゃないの?」
と、もし他の人に春日博人以外の小説を読まないことをいうと、きっとそう言われるに違いなかった。
しかし、本の話をするのはつかさとだけどあり、つかさには最初から他の小説は読まないと言っている。元々、文章を読むのが億劫だという話から始まっていたので、つかさにとって不思議でもなんでもないことだった。
だが、つかさには晴美が希少価値の人間に思えて仕方がなかった。つかさは春日博人の作品は好きだが、晴美のように彼の小説しか読まないというわけではない。まんべんなく他の小説も読んでいるので、晴美に対してそう感じたのだった。
なぜそう感じたのかというと、春日博人の作品は結構難しい文章になっている。ジャンルとしては恋愛小説なのだが、その文体は論理的な内容で、心理を抉るような作風になっている。
「春日博人って、すごいわよね」
晴美が春日博人の話をする時は、目が輝いているようにつかさには見えた。それはまるで恋する少女のようで、つかさには、
――自分にはあんな表情、絶対にできないわ――
と思わせるほどだった。
「どんな風にすごいと思うの?」
とつかさが聞くと、
「なんかね、私が思っていることを文章にしてくれているようで、同感できるというか、だから彼の作品だったら、一気に一日で読んでしまえるくらいなのよ」
と晴美はいう。
「何言ってるの。あなたの場合は集中力がないから、一気に読まないと途中で内容を忘れてしまって、最後には途中で読むのをやめてしまったりするでしょう? そういう意味ではあなたには春日博人の作品はお似合いなのかも知れないわね」
と、つかさは苦笑いをしながら言った。
つかさに決して悪気があるわけではないことを晴美は分かっている。むしろ他の人から何かを指摘されたりはほとんどないので、何でも指摘してくれるつかさの存在はありがたかった。
「そうだったわね。でも本当に彼の小説って面白いのよ。読んでいて、うんうんって頷いちゃう」
そう言いながら晴美は笑った。
「最近は何を読んだの?」
「えっとね、『海の真珠』っていう作品を読んだの。まずタイトルからしておかしいわよね。真珠って大体が海のものなので、わざわざ強調しなくてもいいように思ったんだけど、話を読んでみるとそうでもなかったわ」
「どういうことなの?」
「真珠というのも、海という言葉も、どちらも隠語になっていて、女性の身体や性質を現す言葉だったの。恋愛小説の中でも結構愛欲関係の小説を書く春日博人なんだけど、このお話は、結構淫靡な話になっているの。成人指定にしてもいいと思うくらいの話なんだけど、言葉がすべてオブラートに包まれているので、成人指定にすると却ってさらなる淫靡さを感じさせるんじゃないかって思うのよ」
という晴美に対して、
「でも小説を売るんだったら中途半端ではなく、最初から星人指定にしておいた方が、読んでほしいと思っている人たちに読んでもらえるからいいんじゃないのかしら?」
「私も最初はそう思ったんだけど、春日博人の性格からして、彼はあくまでも恋愛小説にこだわっていると思うのよ。だから、淫靡な表現もあくまでも演出であって、それを前面に出したくない。だから隠語を多く使って小説を書いていると思うの」
「それがどうしてあなたを夢中にさせるのかしらね?」
「私は、別に淫靡な小説というのは嫌いじゃないの。もっというと、好きなくらいで、それも露骨な方が読んでいて引き込まれるような気がするのよね。今まで本が億劫で読んでいないって言ってたけど、本当は淫靡な小説を隠れて読むことがあったのよ」
「どこでそんな小説を手に入れるのよ」
と聞くと、
「実はお母さんのお部屋には、淫靡な小説もあって、時々拝借して読んでいたの」
「お母さんは気付かないの?」
「たぶん、気付いていると思う」
「娘が読むのを止めないの?」
「ええ、淫靡な小説と言っても、露骨な描写の小説ではなく、ロマンス小説のような感じのものなの。だから、お母さんも何も言わないと思っているのよ」
「そういう意味ではあなたの家庭はおおっぴらでいいわよね」
つかさが一人で寂しくなかったのも、晴美の家庭に自分が合っているような気がしたからだった。
少し沈黙があったが、つかさが続けた。
「そういえば、春日博人の小説が幻想的だって言っていたけど、あれはどういう意味なのかしら?」
「私は幻想的という言葉を、誰にも真似のできないものという風に言い換えることができると思うのね。要するに彼の小説は誰にも似ているわけではないけど、それを必要以上に感じさせないところが私にはあるの。他の人が読むと、かなり癖があるので、相当な違和感があるんじゃないかって思うんだけど、私の場合は彼の小説に違和感がないの」
「どうして?」
「さっきも言ったように、彼の小説を読み進んでいくと、私が期待するストーリー展開にいつもなっているのよ。まるで私のために書いてくれたような気がするくらいにね」
と晴美は言って、その目は遠くを見つめているかのようだった。
「とても、私には想像できない世界だわ」
とつかさが言うと、