表裏めぐり
「それはいいかも知れないわね。実は私も少しだけ書いてみたりはしているんだけど、もちろん、誰にも見せたことはないんだけどね」
と瑞穂は言った。
「そうなんだ。私たち、やっぱり似た者同士なのかも知れないわね。そう思うと、私たちが知り合ったのは偶然なんかじゃないと思うの」
と晴美が言うと、
「でもね。私は少し違う考えを持っているの」
「というと?」
「小説を書きたいと思っている人は私たちの想像をはるかに超える数の人がいると思うの。ひょっとすると、ほとんどの人が死ぬまでに一度は小説を書いてみたいって思うんじゃないかってね」
「言われてみれば、マンガと小説のどちらを読む人が多いかというと、圧倒的にマンガを読む人が多いと思うんだけど、マンガを描いてみたいと思う人よりも、小説を書いてみたいと思う人の方が多いような気がしていたわ」
と晴美がいうと、
「そうでしょう? マンガは確かに表現としては文章よりも膨らみを感じるんだけど、でも、どこか皆似たり寄ったりの気がするの。確かに絵のタッチは皆それぞれ違っているんだけど、基本部分は皆同じなのよね。小説にはそういう基本部分がない。確かに起承転結はあるけど、それはマンガにだってあるでしょう? 小説はマンガにはないオリジナリティを感じさせるのよ」
と、瑞穂が言った。
「そうよね」
「それにね。小説というのは、文章の固まりというだけで、生真面目さを感じさせるのよ。マンガのように子供向けというわけではない何かを感じさせる。文章だけだから想像力を豊かにさせるだけではないものを感じるの」
と瑞穂は言った。
「マンガでは描くことのできないものを文章では描けるという意味なの?」
「私はそう思ってる。そう思っているからこそ、文章を書けるようになれるんだって思うの」
「それは自己顕示欲の強さにも繋がるのかしら?」
「自己顕示欲とは、自分の存在をまわりに示したいと思うことよね? 確かに自己顕示欲の強さは必要よ。でも、どうして自己顕示欲が必要なのかというところが見解の分かれるところだと思うの」
「というと?」
「私は、小説を書いていて、自分の殻に閉じこもって書いているつもりなの。それって別に自分を表に出したいとか、存在を知ってもらいたいとかいう発想ではないのよね。同じ文章を書くにしても、日記だったり作文だったりというのは、主人公は自分であって、自分中心に描かれているの。だから、誰にでも書こうと思えば書けるのよね。私はそれでは嫌なの。誰にもできないオリジナルなものを私自身で作りたい。これが小説を書いてみたいと思った理由なのよ」
という瑞穂の話に、
「ジレンマのようなものを抱えているということかしら?」
と晴美がいうと、
「ジレンマ……。一言で言えばそういうことになるのかも知れないわね。人と一緒では嫌だという気持ちは自己顕示欲の表れなんだけど、自分中心に書くことはできないという意味ではジレンマね」
「どうして自己中心ではダメなの?」
「だってそれだったら、ノンフィクションになっちゃうでしょう? 私はあくまでもフィクションを書きたいのよ。自分と似た主人公であっても構わないけど、自分だと思って書くことだけはできないと思っているのよね」
「でも書いていると、知らず知らずのうちに、自分を描いていることになってこないの?」
「ええ、そうなって来そうになることもあるわ。だからそういう時はいったん書くのをやめるの」
「それで冷静になれるの?」
「いいえ、逆よ。それ以上進めても自分の納得の行く作品が書けるわけがないから、不本意なんだけど、書くのをやめる。せっかくそこまで書いてきた作品をなかったものにするというのは結構精神的にはきついものよ」
「そうなんでしょうね」
「だって、小説を書けるようになりたいと思った時って、最初どんなに満足の行く作品でなくても、とりあえず最後まで書けるようになるのが一番だって思っていたから、自分の最初の目標と、達成後の目標とでは、自分の理念を変えなければいけないというジレンマ、それこそ、小説を書く上での大きな関門の一つなんじゃないかしらって今では思っているのよ」
「どうしてそんなにフィクションにこだわるの?」
「私が小説を書けるようになってからの目標は、いかに自分を納得させる小説が書けるかということだったのよ。だから、小説家書けるようになってから、私は他の人の小説を読まなくなった。人の真似になってしまうことが怖かったのよ。マンガとかを見ていると、時々似たタッチの作品をよく見かけるでしょう? ストーリーも似たような感じよね。まるで盗作でもしているんじゃないかって思えるほどの作品に、私は身の毛がよだつほど嫌悪を感じるのよ」
「小説には二次小説としてオマージュ、リスペクトなどのジャンルがあるようだけど、私には理解できないの」
「すべてを一括りにはできないと思うけど、私もオリジナリティのある作品に仕上げたいと思っているの」
「そうなのよ。私は自分が納得できないと書けないのよ。ノンフィクションも私にとっては、二次小説と同じランクに入るの。だから他の人を認めることはできても、自分を認めることができないの」
「私はそこまで凝り固まった考えではないと思うけど、私もひょっとすると、小説を書けるようになった時、瑞穂さんと同じように感じるようになるかも知れないわね」
晴美と瑞穂は、そんな話をしていたのを、つかさは知るわけもなかった。
つかさも自分で独自に小説を書いていたが、その作法はどうしても誰かに似てきているようで気に入らなかった。それが誰なのか、自分では分かっているつもりだったが、認めることはできない。
――竹下かなえ――
どうしても、この名前が頭から消えない。
――私は小説を書きながら、堂々巡りを繰り返しているように思えてならない――
と感じた時、思い出すのが晴美とした、
――同じ日を繰り返しているという話――
だったのだ。
竹下かなえの小説を読んでいると、その奥に春日博人の影を感じずにはいられない。彼の作風をそのまま写しているように思えてくるのだが、それだけではない何かを感じた。
最近になって、やっとその理由に気がついた。
――竹下かなえの小説には、自虐性があるんだわ――
春日博人の作品にも自虐性はあるが、竹下かなえの自虐性とは違っていた。
どこが違うのかを考えていたが、竹下かなえの作品にある自虐は、ジレンマを含んだ自虐であった。
――人の真似をしたくないと思いながら、いつの間にか人真似になってしまっている自分に対しての自虐なんだ――
と感じた。
竹下かなえという小説家は、知る人ぞ知るというべきなのか、あまり知られていない小説家だった。
彼女が表舞台に出た時期というのは、それほど長いものではなかった。一年くらいの間に数冊ほど書店に並べられていたが、いつの間にか消えていた。
あっという間に消えていく小説家というのは珍しくないが、つかさにはその期間が長いわけでもなく、短いわけでもない。しかしちょうどいいというわけでもない、どこか中途半端な時期だったと思った。