表裏めぐり
晴美もつかさももちろん知らなかったが、竹下かなえの正体は瑞穂だった。そう思うと、晴美が感じた瑞穂への思いと、つかさが感じた竹下かなえへの思いとがリンクしているのではないか。
瑞穂は自分が竹下かなえであるということを過去のこととして記憶の奥に封印しておきたかった。なぜなら、自分の自虐的な性格が、読者にも影響を与えることが分かったからだ。小説を書いている時には気付かなかったが、いったん書くのをやめてしまうと、そのことに気付き始めた。
晴美とつかさは大学に入学するまでに、いろいろな話をして、お互いを分かり合ってきた。そして自分が先に進むために必要なことを分かってきたつもりだったが、大学に入ってお互いに別々の道を歩み始めたことで、余計にお互いの進む道が分かってきたようだ。
晴美は瑞穂の影響を受け、つかさは竹下かなえの影響を受けた。
お互いに似た時期に小説家としてデビューできたのだが、この二人、まったくもって作風が似ていた。
だが、そのことを読者には分からない。なぜなら、晴美の小説を好きな人は、つかさの小説を読まないし、逆につかさの小説が好きな人は、晴美を読まない。作風は似ていても、読者層を同じにはできなかった。
専門家も、好き嫌いで言えば、二人とも好きな人も二人ともを嫌いな人もいなかった。必ずどちらかを推していたのだ。
それはまるで晴美の小説が「堂々巡り」であるならば、つかさの作品が「袋小路」というイメージとでも言うべきであろうか。二人で一人というわけではない。どちらかが存在していれば、どちらかは存在できない。
二人は、
「表裏めぐり」
とでもいうべき関係ではないだろうか……。
( 完 )
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