表裏めぐり
「そう言ってくれると嬉しいわ。小説を書いている時って、本当に集中しているからなのか、時間が経つのもあっという間なのよ。まるで相対性理論のようね」
というと、
「そうね。浦島太郎の玉手箱のようね。ひょっとすると、その間だけ、別の次元に行っているかも知れないって思うくらいなのよ」
と言っていた。
「瑞穂さんの作品も新鮮な感じがしたわ。読んでいるうちに、昔懐かしい音楽が、耳元で響いているような気がしてきて、読んでいて時間の感覚がマヒしてくるくらいに感じられたわ」
と晴美がいうと、
「それは褒め言葉と思って受け取ればいいのかしら?」
という瑞穂に対し、
「もちろん、そうよ。今の言葉が何かの皮肉のように聞こえたというの?」
表現は少しきつめだが、気持ち的にはそんなに挑戦的なものではなく、思ったことを言っただけだという思いが晴美には強かった。
瑞穂もそれを分かっているようで、
「ありがとう。私は小学生の頃、ずっとピアノをやっていたので、音楽の話をされると、少し複雑な気がするの」
「どうして?」
「小説を書くようになってから、ピアノをやめたからなのよ。本当は十分両立はできると思ったんだけど、私の中での両立はなぜかありえないと感じたのだ。だから、まわりは私がピアノをどうしてやめるのか分からない。もったいないといってくれたんだけど、私はきっぱりとやめたのよ」
「ピアノが嫌いになったというわけではなく?」
「ええ、もちろん。でも、本当は小説を書くようになってからやめたわけではなく、小説を書けるようになってからやめたというべきかしらね」
「じゃあ、小学生の頃、小説を書こうと思っていたというの?」
「ええ、思っていたんだけど、どうしても書けなかった。書けそうな気はしていたの。だから書けるようになるには、何かのきっかけが必要だって思ったの。でも、これがピアノとは関係のないところだったんだけどね」
と瑞穂は言った。
「私は絵画をやっているんだけど、今は絵画も両立したいと思っているの。瑞穂さんとは逆に、絵画をやめてしまうと、小説も書けなくなってしまうような気がしてですね」
と晴美は言ったが、それは半分本心で、半分は気になっているところだった。
晴美の表情からそのことを悟ったのか、
「大丈夫ですよ。絵画との両立はできると思いますよ」
「どうしてですか?」
「私は絵画はあまり興味があるわけではないんですが、以前に高校から美術鑑賞に行ったんですが、その時に美術館の館長さんが最初に説明してくれたんですが、その人の話が印象的だったんです」
「どういうお話だったんですか?」
「その館長さんも、以前は絵を描いていたらしく、二科展にも何度か入賞したことがあるような絵描きさんだったんです。その人が自分の経験からということで話をしてくれたんですが、『絵画って、目の前にあることを忠実に描き出すのではなく、時には大胆に省略することも大切なんです』って言われていたんです」
という瑞穂の話を聞いて、
「私もその言葉、どこで聞いたのか忘れましたけど、印象的な話だったと思って記憶していたんです。今から思えば、私が絵を自分なりに描けるようになったきっかけになったお話だったのではないかって思っているんです」
「そうだったんですね。絵描きの人というのは、それぞれ個性があるんでしょうが、人と違う感覚で描いていると感じながらも、共通の認識を持っているのかも知れませんね」
と瑞穂がいうと、
「小説もそうなのかも知れません。もちろん、大胆に省略することが小説に必要不可欠なことだとは言いませんけど、小説を書いている人の間で、無意識な暗黙の了解のようなものが存在しているんじゃないかって思っています」
と晴美が答えた。
自分で答えていながら、
――この考えは私の考えというよりも、つかさの考え方に似ているのかも知れないわ。私はいつの間にかつかさに影響を受けていて、一緒にいなくても、その影響力に変わりはないんじゃないかしら?
と感じていた。
目の前にいる瑞穂と話しながら、いつの間にかつかさを思い出しているということは、目の前の瑞穂とつかさが似通っているところがあると感じているのだろう。だが、話をしている分には、つかさとは考え方は違っているようで、
――どこに共通性があるのだろう?
と感じるようになった。
つかさのことは定期的に思い出していた。それも一定間隔で思い出しているようだ。朝目が覚めた時、昼間の午後零時頃、そして夕方の日が暮れる時間に決まってお腹が減ってくるような感覚で、条件反射のようなものではないかとさえ思えた。一日に三度も思い出すわけではないが、人を思い出すにあたって、頻度的には結構いhンパンなものではないだろうか。
ただ、思い出すと言っても、いつも同じことを思い出していた。しかも、いつも同じことを思い出すくせに、思い出した時の感覚は新鮮なものだった。
晴美がつかさのことで最近思い出すこととしては、同じ日を繰り返していることを話した日のことだった。
「同じ日を繰り返すって、一言で言えば、怖い感じがするのよね」
と言ったのはつかさだった。
その言葉はあまりにも漠然としていて、質問しないではいられない。
「怖いの意味がよく分からないんだけど?」
と晴美がいうと、
「晴美は、同じ日を繰り返していると聞くと、どう感じる?」
「うーん、午前零時を過ぎると、いきなり二十四時間を遡るということでしょう? ということは、私はメビウスの輪というのを思い出してしまうわ」
と晴美がいうと、つかさは少し興奮しているようだった。
それでも、冷静を装って、
「メビウスの輪? あの異次元世界を証明できると考えられている輪のことね?」
「ええ、あの捻じれに何かを感じるんです」
「メビウスの輪というのは、輪の中心に線を引っ張って、一度だけしか捻じっていないのに、その線が重なる状況ということを言うんじゃなかったかしら? 正直ハッキリと言い切れる自信はないんだけど、意識としてはそんな感じだったわ」
と晴美は言った。
「私もおおむね、そういう感覚だったと認識しているわ。でも、それがどうして同じ日を繰り返していることへの意識に繋がるの?」
「同じ日を繰り返しているっていうけど、ある一定の時間になると、自分の感覚だけが一日をまたいでいるのに、状況は二十四時間前と同じってことよね。だから、もう一度同じ二十四時間をまったく同じ感覚で過ごして、また日をまたぐと二十四時間状況が戻ってしまうことになるのよね」
「ええ」
「でも、そこでいろいろな発想が浮かんでくるの。たとえば、同じ日を繰り返していると思った最初って、何がきっかけだったのかとかね。今まで毎日を確実に消化していって、ある日突然に目の前に現れた結界が一日をまたぐことを許さなくなる。小説としては可能にも思えるんだけど、これを読者に納得させるのは、困難だと思うの。いくらフィクションだと言っても、本当にフィクションだと思わせると、読む人はいなくなるんじゃないかって感じるの」
「確かにそうでしょうね。面白くない上に、恐怖だけが煽られてしまう小説なんて、私なら読みたいとは思わないわ」
とつかさは言った。