表裏めぐり
「そんなことはないと思うわ。でも、よく声を掛けてくれたって思うわ。私も最近やっと人に声を掛けることができるようになったんだけど、一度度胸がつくと、どうして今まで人に声を掛けられなかったのかって思うくらいなの」
という晴美に対して、
「私の場合は、よく周りから、『二重人格なところがある』と言われるけど、私はそれを皮肉だと思いながらも別に気にはしていないの。それどころか、『多重人格よ』と答えるほどなのよ」
と瑞穂が答える。
――それこそ、皮肉なんじゃないの?
と心の中で呟いたが、
――彼女にとっての皮肉って何なのかしらね?
とも思うのだった。
皮肉と分かっていて意地を張っていないことが、皮肉を気にしていないというのは乱暴な考え方なのかも知れない。
「でも、時々大胆になれるというのは、私には羨ましい気がするわ。今の私はきっとまわりから見ると軽薄に見えるかも知れないと思うのよ。でも、それを悪いことだと思えないほど、大学に入ってからの毎日に楽しさを感じるし、余計なことを考えないようにしようと思うのよ」
という晴美に対して、
「それだけあなたは、まわりが明るく見えているのよね。逆に言えば、これまでの生活に明るさがほとんどなかったということの裏返しなのかも知れないわね」
と瑞穂は答えた。
「でもね、自分の書いている小説は、自分の感情が変わっていくのが分かっているのに、書いている内容は前と一緒なの。もちろん、自分の作風というのが凝り固まってしまっていることで、まわりの環境の変化に左右されないというのは当然おことなのかも知れないけど、もっといろいろな小説を書けるようになりたいというのが本音なのよ」
晴美の小説は完全に春日博人の作風を模倣していた。晴美本人としては、
――これは私オリジナルの小説なのよ――
と思っているが、晴美の作品を読んだことのある人で、春日博人の作品も読んだことがある人は、
――作風がソックリだわ――
と感じることだろう。
高校時代までは、つかさにだけは見せていたが、他の人にはとても見せられないと思った。それは小説を書いていることを知られることが恥ずかしいといううよりも、作風について何かを言われることを恐れていたのだ。
ただ、つかさも晴美の小説を読んで、作風が似ているのは分かっているだろう。実際に何度か言われたことがあった。
「さすがにいつも春日博人の作品を読み込んでいるだけのことはあるわね」
と言われていたが、なぜかつかさに言われても、気になることはなかった。
もし、他の人から同じセリフを言われると、ショックから小説を書けなくなるかも知れないと思ったほどだ。だが、大学に入ってから知り合った瑞穂にもつかさのようにハッキリと言われたとしても、ショックを感じないのではないかと思われた。
つかさと瑞穂は別に似た性格というわけでもない。むしろ似たところはなかなか見つからないような気がした。しかし、晴美の中では、自分との相性という意味では、つかさが相手の時と、瑞穂が相手の時とでは、どちらとも言えないほどに相性がバッチリのように思えてならなかった。
「瑞穂ちゃんも小説を書いているんだったら、一度読み合いっこしませんか?」
という晴美の申し出に、
「ええ、いいわよ。ただ私の作品は日記に毛の生えたようなものなので、退屈かも知れないけどね」
と瑞穂は言った。
お互いに自分の小説をプリントアウトして、交換し合った。このようにしてネットや出版物以外で人が書いた小説を読むのは初めてだった。つかさが小説を書くようになった頃は、お互いに受験勉強もあって、なかなか会うこともなかったからであった。つかさが小説を書き始めたことは知っていたし、読んでみたいという意識もあったが、機会に恵まれることもなく、お互いに別々の大学に進学したのだった。
瑞穂の小説を読んで、
――誰かの作風に似ている気がするわ――
と感じたが、それが誰なのかすぐにはピンと来なかった。
晴美は一番好きな小説家として春日博人を筆頭として、大学に入ってから、本を結構読むようになった。中学の頃までのように、文章を途中で飛ばしてセリフだけを読むような読み方をしなくなったからだ。
大学というところは、自分を明るい性格にしてくれたのと同時に、気持ちに余裕を持たせてくれた。人生で一番自由な時間を満喫できて、いろいろ許される時間であるということも精神的な余裕に繋がったのだろう。
ネット小説だけではなく、本屋で文庫本もたくさん買って、毎日少しずつではあるが読むようにしている。
しかし、一定以上の時間、本を読むことはしなかった。その理由として、
――自分の作品が荒れてしまうから――
というのが本音だった。
作品が荒れるというのは、少し乱暴な言い方だが、人の作品が影響を及ぼすのが怖かった。せっかくオリジナルな作品を人の作品で汚されたくないという思いだったのだ。
他の人なら、
「プロの作品を読んで、いいところを真似して書けるようになれるのなら、それでもいい」
というかも知れない。
しかし、晴美にはそれが許せなかった。あくまでも自分オリジナルな作風でなければいけないと思っていて、人の模倣などと言われるのが、一番の屈辱だと思っていた。
ただ、そう感じるようになったのは、大学に入ってからだった。高校時代までは、人の作品に似てしまっても、それでも書けるようになれるのならそれでもいいと思っていた。それこそ、
――他人と同じでは嫌だ――
と感じている晴美らしいのだが、大学に入って、初めてそのことを思い知った。
それも気持ちに余裕を持てるようになったからなのか、その時間、自分を見つめなおす時間に使っているように感じる晴美だった。
瑞穂の作品は、
――何も隠すところのない作品―-
のように感じた。
あけっぴろげなところが潔く、
――潔い作品?
そう考えると、喉元まで出掛かっているその作家の名前が出てこないことがじれったいと思いながらも、
――何となくだけど、思い出さない方がいいような気がする――
とも感じられた。
複雑な感情が重複している感覚に、頭の中で何かの音楽が鳴っているのを感じた。
昔聞いたことのある音楽で、オールディーズとでもいうべきスタンダードな曲だった。
――何なんだろう?
こちらの方が気になっていた。
――ひょっとすると、その作家の作品を読んでいた時、よく聞いた音楽なのかも知れない――
思い出せそうで思い出せない憤りを感じてはいたが、頭に残ったこの音楽が、
「思い出す必要なんてないのよ」
と言ってくれているようだった。
数日経ってから、それぞれ相手の小説を読んだので、それぞれに原稿を返すことになった。
「どうだった?」
と最初に聞いたのは、晴美の方だった。
「なかなか面白い作品だと思ったわ。少し難しいようなところもあったけど、言いたいことは伝わってきたわ。私も読みながら情景が浮かんでくるようで、読みやすかったというのが印象だったわ」
と瑞穂が言ってくれた。