表裏めぐり
「おかしいということはないと思いますよ。つかさちゃんは、自分が他の人と同じでは嫌だという考えを持っておられるんですよね。だけど、こうやってお話をしていると、同じ考えの人を見つけると嬉しく感じる自分もいる。そんな矛盾を抱えたジレンマを感じているんですよね」
「ええ、そうかも知れません」
「でも私のようなおじいさんから見れば、つかさちゃんの疑問というのは、自分が成長していくうえで、避けては通れない道だって思うんですよ。どうして思春期に反抗期というのがあると思います?」
と聞かれたつかさは、ふいをつかれたような気がしたが、
「世の中に対して、今まで知らなかったことが分かってきた自分が、大人というものの矛盾を分かってくるそんな時、ちょうど成長期で子供から大人への変貌の時期でもあることから、反抗していたくなるんですかね?」
というと、老人はニッコリと笑って、
「そうですよね。確かに今のつかさちゃんの考えは満点にも聞えるでしょう。でも私は少し違う考えを持っているんですよ」
「どういうことですか?」
「大人と子供の間には越えなければならないハードルがあって、そのハードルはひとそれぞれ違っているんですよ。ただ、皆に共通していることが一つだけあるんですが、それはなんだって思いますか?」
と聞かれて、まったく想像もできないつかさは、
「何なんでしょうね?」
と答えると、
「それはね。寂しさということなんですよ。きっと今のつかさちゃんには言い返したいことはたくさんあるんじゃないかって思いますが、では、どう言い返せばいいのか、頭の中で整理できますか?」
と言われて、つかさは考え込んだ。
確かに反論したいのはやまやまなのだが、どう答えていいのか、考えがまとまらない。老人は続けた。
「まとまらないでしょう? それは反論したいことが真理をついていることで、その時点でジレンマという矛盾を感じている証拠なんですよ。だからつかさちゃんには言い返すことができない。そこにまたジレンマが生まれる。つまりは、矛盾の堂々巡りとでもいえばいいんでしょうかね?」
「難しいですね」
とつかさがいうと、
「そうでしょう? すべては矛盾なんですよ。この世は矛盾から成り立っていると考えることもできる。だから、絵画だって目の前のことを忠実に描き出すことが当然なのだという考え方も、その奥に潜んでいる大胆な省略という矛盾を思いつけば、描けないと思っている人も、絵を描けるようになるんだって私は思います」
「じゃあ、あなたもそうやって描けるようになったんですか?」
「もちろん、最初からそんな理屈が分かって描けるようになったわけではないんですよ。私なりに試行錯誤を重ねていました。言葉には信憑性を感じるのに、いざ自分のこととなると思ったようにはできない。つまりは、つかさちゃんと同じように自分の中で、他の人とは嫌だという思いが根っこにあったということなんでしょうね」
「その意識が解消されれば、描けるようになったんですか?」
「いいえ、その逆です。その意識を持つことで、自分の中にジレンマがあることに気付きます。その時考えたのが、『私にとって矛盾の中のどれが一番自分らしいのか』ということでした。そのことに気付くと、おのずと描けるようになったんですよ。何かを始める時には必ずできるようになるためのきっかけというのが必要だと思うんです。そしてそのきっかけを掴むためには、タイミングも必要なんじゃないかとも思っているんですよ」
「タイミング?」
「ええ、闇雲に悩んでいても先には進みません。『押してもダメなら引いてみな』ということわざもあるでしょう? まさにその言葉と同じことなんですが、要するに目線を変えるというのも必要だということですね」
目線を変えるという言葉はよく聞く。この老人は当たり前のことを言っているようなのだが、この人が話していると、当たり前のことでも新鮮に感じられる。それだけつかさはこの老人に何かを委ねたいと思う気持ちになっているようだった。
「なるほど、貴重なご意見ありがとうございます。なんとなくですが、描くことできるような気がしてきました」
「それはよかった。まずは焦らないことです。省略するというのは別に焦って先読みするというわけではないんですよ」
と言われて、
――この言葉、小説を読む自分の最初の戒めだったわ――
と、小説が読めなかった頃の自分を思い出していた。
堂々巡りと袋小路
絵画にいそしみながら、大学生になった頃には、つかさはまた小説を書くようになっていた。
晴美も、あれから小説を書けるようになったらしく、別々の大学に進んだこともあってなかなか会うこともなくなったが、つかさの中で晴美を意識していた。
だが、晴美の方では、つかさのことをそれほど意識しているわけではなかった。
大学というとこと、晴美が思っていたよりも、結構楽しいところで、毎日が明るい自分を表に出すことのできるバラ色の世界だと思うようになっていた。
一日前のことがかなり遠い過去のように思えている。それだけ毎日毎日を漠然と過ごしているようなのだが、その中身は濃いものだという錯覚をしていた。
大学時代の毎日は、高校時代までとはかなり違っていた。高校時代までは人が近くに寄ってきただけでも避けてしまうような、精神的には引きこもったような性格だったと思っていたが、大学に入ると、自分からまわりの人に話しかけられるようになっていた。
――ひょっとして、自分の中でこういう自分を羨ましく感じていたのかも知れない――
人と話ができる人を羨ましく思っていたというわけではない。
気の知れた相手以外と話をすることは、煩わしい以外の何者でもないと思っていた。だがそれが錯覚であることにある日気がついた。それは大学に入って最初に友達になった人の影響が大きかったのだ。
その人は最初近づいてくるなり、
「こんにちは、あなたは趣味で小説を書いているんですか?」
と唐突に聞いてきた。
あっけに取られている晴美を見て、
「やっぱりそうなんですね。私も実は密かに小説を書いているんですよ。まあ、小説といっても、日記に毛の生えたような感じなんですけどね。でも、それだけに今までは恥ずかしくて誰にもいえなかったんですよ。それに自分のまわりに小説を書いているような人はいなかったようですしね。大学に入ればいろいろな人がいると思っていたので、いつかは同じ趣味の人を見つけることができると思っていましたけど、こんなに早く見つけることができて光栄ですよ」
と言ってくれた。
その人は名前を欅瑞穂と言った。どうして瑞穂に晴美が小説を書いているということが分かったのかというと、
「勘なのよ。根拠があるわけではないので、何とも言えないんだけど、あなたを見た時、小説を書いている姿が目に浮かんできたの。だから思わず声を掛けてしまったのね。本当は恥ずかしくて人に声を掛けることなどできる方ではないんだけど、たまに急に度胸が据わることがあるの。おかしいでしょう?」
と瑞穂は言った。
晴美は瑞穂を見ながら、