表裏めぐり
「絵というのは目の前にあるものを忠実に描くだけではないんだよ。時には思い切って省略することも必要だと思っている。そこにフィクションを描いているという意識があるわけではなく、自分の感性がそう描かせるんだという発想ですね」
というセリフがあり、その言葉がつかさの中で印象的だった。
確かに彼女の小説はたまに、
――これだけの情報で情景をイメージさせるのは難しいんじゃないかしら?
と感じさせるものもあった。
しかし、それはつかさだけが感じることであって、他の人にはそこまで感じることはないと思った。他の人と竹下かなえの小説の話をしても、
「私はそんなことは感じなかったわ」
と言われたので、その時初めてそう感じる自分の方が考えすぎなのではないかと感じた。
最初はどうしてそう感じたのか分からなかったが、よくよく考えてみると、先ほどのセリフと彼女の作風が結びついていることに気付いた。
――なるほど、そういう解釈なんだ――
とつかさは感じたが、同時に、
――私も絵画に向いているんじゃないかしら?
とも思った。
絵画に関しては、小説を書くよりも苦手なことだと思っていた。小説を書くのもいろいろ試行錯誤を繰り返しながら、
――今なら書けるかも知れない――
と思うところまで行き着いた。
しかし、絵画に関しては、小説以上にハードルが高かった。なぜなら越えなければいけない壁がハッキリしていて、そのステップごとに、
――私にできるかしら?
と感じさせるものが多かった。
小説の場合は、独学でもできると思ったが、絵画に関してはきっと独学でできるものではないと分かっていた。学生なのでサークルに所属して、教えてもらうか、絵画教室のようなところに通うかのどちらかなのだろう。つかさは絵画教室に通ってみることにした。
かといって、仰々しくかしこまったようなところは苦手だった。趣味でできればいいという程度のものだったので、気軽に参加できるコミュニティ的なところを望んだ。地域のコミュニティを探していると、ちょうどデッサン教室が市の広報を見ると開催されることがネットに掲載されていたので、さっそくアクセスして確認してみると、
――ここならいいわ――
と思えるところだった。
参加も自由参加で、年齢性別も不問と書かれていたので、安心して通えるところだった。
晴美にも内緒で通った。学校が休みの時に通うことにしたが、親の仕事は休日関係ないので、つかさが昼間絵画教室に通っていても、知られる心配もない。もっとも別に誰かに知られて困るものでもなかったのだが、最初に内緒にしてしまうと、途中で分かってしまうことに恥ずかしさを感じるのではないかという他の人が考えると意味不明な違和感を、つかさは持っていたのだ。
絵画教室には老若男女、さまざまな人がいた。一応名簿のようなものがあるが、自由参加なので、全員が集まることなどほぼありえないと思っていた。
実際に集まってくるのは一日に五、六人程度であろうか。多すぎるわけでもなく少なすぎるわけでもない適度な人数だった。
毎回メンバーは同じだった。人数が前後はするが、毎回会う人は、ほとんど固定していて、二、三回に一度という人もいるにはいた。
年齢的には年上の人ばかりだった。学生はつかさ一人だったが、あまり気にすることもない。それぞれが自由に楽しんでいるだけで、それほど会話があるわけでもなかった。
もし、これがサークルという集団でなければ、何とも寂しい集団に感じるだろう。ただ、同じ趣味の人間が集まって自分なりに楽しんでいるというイメージだが、
――これなら、一人で行動しているのとあまり変わりないわ――
とも感じたが、集団に属しているという感覚は、つかさの中では悪いことではなかった。
「つかさちゃんは、どうしてこのサークルに?」
と、一番年上と思しき男性から話し掛けられた。
年齢的には定年退職後の趣味を楽しんでいるという、悠々自適な生活を営んでいる人に思えたが、表情からは精神的な余裕を感じられたことから、まんざらつかさの想像は、当たらずも遠からじだろうと思わせた。
「元々は小説を読んで、その小説の内容から絵を描いてみたいと思うようになったんです」
というと、
「なるほど、小説も絵画も同じ芸術ですからね」
と言われて、
「その小説の中で気になったフレーズがあったんですが、絵を描くというのは、目の前にあるものを忠実に描くだけではなく、時には大胆に省略して描くことも必要だって書いてあったんですがそのことを確かめたいという気持ちも私にはありましたね」
とつかさが言うと、
「その気持ち分からなくもないです。私が絵を描き始めるようになったのは、二十年くらい前からだったんですよ。その頃の私はまだ社会人で、会社では中間管理職と呼ばれる部類だったんですが、その時にいろいろな悩みを抱えていました。上からの圧や、下からは突き上げを食らうような感じですね。悩みはジレンマに陥って、それを解消するには、どのように矛盾を解決するかということだったんです。理屈では分かっていても、実際にはなかなかうまく行きません。でも、私も雑誌に載っていた絵画についての話を読んで、目からうろこが落ちたような気がしたんですよ。そこには、今あなたの言ったような、大胆な省略という話が書いてあった。私は『これだ』と思ったんです。それから仕事ではかなり気が楽になって、気持ちに余裕が持てたことで、それまで噛み合っていなかった歯車が絡み合うようになったんですね。その余裕ができた気持ちのまま絵画を始めたので、定年退職した今でも、絵画を続けられているんだって思っています」
老人の話には大いに興味をそそられるものがあった。
もちろん、まだ学生であるつかさに、社会人としての悩みや大人の世界が分かるわけもないし、難しいことも考えたくないという気持ちもあった。しかし、この老人はそんなことを分かっていて話をしてくれたのだと思っただけで、
――まずは、この方の気持ちを分かってあげようと思うことが先決なんだわ――
と感じた。
「貴重なご意見ありがとうございます。私はまだまだ子供なので難しいことは分かりませんが、絵画を始めたきっかけが、私が今感じている疑問と結びついていることは分かりました。そう思うと面白いものですね」
というつかさの意見に、
「どうして、そう思うの?」
「だって、私はこの悩みというか疑問は、私だけのものだって思っていたんですよ。でも、こうやって初めてお話した人も同じようなことを考えていたと思うと、こんなことを考えるのは、自分だけではないという思いが浮かんできて、だったらそれが二人だけの考えなのか、それとも絵画を目指す他の人すべてが、口にしないだけで同じ考えなのではないかと考えるのか確かめてみたい気分になりますよね」
「つかさちゃんはどう思うんだい?」
「普通に考えれば、他の人も皆似たような考えを持っていると思えるんですが、私だけお思いとしては、あまり同じ考えの人がたくさんいてほしくないと思っている自分もいるんですよ。おかしいですかね?」
と言ってつかさは苦笑した。