表裏めぐり
「どうしてなの? 本当ならいいことをしたんだから報われるはずなのに、どうして最後はおじいさんになってしまったという話で終わっているの? これがおとぎ話というのであれば、本当に中途半端よね」
と晴美は言った。
「カメを助けたというところがクローズアップされているけど、着目点としては、玉手箱を開けないでという乙姫との約束を破ってしまったことで、浦島太郎は戒めを受けたというのがこのお話のラストに結びついているという説が有力だったりするのよ」
「要するにこのお話には定説はないということ?」
「確かにそうね。御伽草子や万葉集などに同じようなお話があるんだけど、実際にはいろいろ違っているようなの。地方に伝わっているお話もそれぞれで違っているしね。おとぎ話なんてものは、案外そんなものなのかも知れないわね」
というつかさの話に、
「私はもう一つ感じることがあるの」
と晴美がいう。
「どういうことなの?」
「浦島太郎は、カメの背中に乗って竜宮城へ行くでしょう? その間の数日間は、今までのことを忘れて夢のような時間を過ごしたって書いてあるけど、それは俗世間を忘れて、自分ひとりで勝手な時間を過ごしたということにもなるのよね。目の前の快楽に溺れ、仕事や家族を忘れて、長時間滞在してしまったことへの戒めという考え方もあるの。たった数日だったということだけど、それは浦島太郎の錯覚であり、自分のいいように考えたことが、本当の時間をマヒさせる原因になってしまった。本当は玉手箱を開けることで老人になってしまったんじゃなくって、玉手箱なんて関係なく、必然的に老人になったのではないかと思うと、何となくだけど納得がいくような気がするの」
と晴美は言った。
「教訓にしては、結構きついお話よね」
「そうなのよ。だから、本当はここで終わりではないと思うのが普通なんじゃないかしら?」
「その通り」
「つかさはラストを知っているのよね?」
「ええ、ただそれは御伽草子に書かれている話というだけで、他にも説はあるのでそのつもりで聞いてほしいんだけど」
「分かったわ」
「浦島太郎が、自分の世界に戻ると、そこは七百年経った後だったというの。元々浦島太郎が元の世界に戻ったのも、急に我に返って自分の世界に帰りたいといったからなんだろうけど、まさか七百年も経っているなど思ってもみなかったでしょうね。もちろん、自分を知っている人も、自分が知っている人も誰もいない世界。玉手箱を開けてみたくなった気持ちも分からなくはないわ」
「それで?」
「浦島太郎が白髪のおじいさんになって、七百年の時が過ぎた。本当だったら、人間の寿命から考えると、白骨化していても仕方がない状態なのに白髪のおじいさんにとどまった。つまりはまだ寿命を迎えていないということよね」
「ええ」
「ここからが続編なんだけど、浦島太郎はそこで鶴になったというの。鶴というと千年生きるといわれているので、まだ三百年の寿命がある。そこで、乙姫様が現れて、乙姫様はカメになっていた。そこで二人は結婚し、ハッピーエンドを迎えたというお話なんだそうよ」
「そうなのね」
「ただ、これには諸説あって、いろいろ言われているのでどれが正しいのか分からない。でも、一番の定説と言われているお話が今の話なんだけど、私はそれでもどこかしっくりこないものを感じるのよ」
「確かにそうね。教訓という意味では、ラストまで書いてしまった方が曖昧になってしまって、何が言いたいのか分からなくなってしまいそうだわ」
「このお話が、いいことをした人への報酬的なお話なのか、それともしてはいけないことをしたことでの戒めなのか、ハッキリとしないことよね。そういう意味では、浦島太郎が老人になったところで終わらせた方が、おとぎ話としては成立するように思えるの。してはいけないといわれたことをして、最後にハッピーエンドで終わらなかったお話って結構あるからね」
「その通りね。鶴の恩返しにしてもそうだし、外国の童話にも同じような戒めのお話があるわよね」
「私が知っている中で印象的なのは、聖書の中に出てくる『ソドムの村』のお話が印象的だわ。以前、映画で見たんだけど、この世の地獄と言われるほど、治安の悪いソドムの村に嫌悪を感じた神様が、善人を助けて、悪人だけを残して、村ごと破壊するというお話だったんだけど、善人を助けて村から逃げる時、決して後ろを振り向いてはいけないという言葉を聞いていながら、轟音が響いたことで善人が振り向いてしまい、そのまま石になってしまったというお話なんだけど、これも戒めのお話なんでしょう。でも、振り返ったのは、自分が今まで住んでいたところが異常事態になっているのを我慢できずに振り向いたということで、人間としては当然の行動なんでしょう。それでも、どうして振り向いてはいけないといちいち念を押しておいたのか、まるで弱い人間の気持ちを煽って、弄んでいるかのようにも感じるの。きっと、神という存在が人間の考えを凌駕しているということを言いたかったのかも知れないけど、戒めというのは人間に対してではなく、神ありきの人間への戒めなのよね」
とつかさは言った。
「浦島太郎のお話も、そういうところから来ているのかも知れないわね」
「ええ、だから私は浦島太郎のお話には、どこか宗教的な戒めが含まれているように思うの。そこに時間軸の歪みを感じさせる相対性理論が絡んでいるので、余計に神秘的に思わせるのでしょうね」
つかさの話を聞いて、晴美は頷いた。
「幻想的なお話だったはずなのに、ラストを聞いてしまうと、どこか俗世間にまみれたお話に感じられて、せっかくの大スペクタクルが小さくまとまってしまうように感じられるのはどうしてなのかしらね?」
「七百年という時間が分かった時点で、鶴とカメのお話に凝縮されてしまうと思うからなのかしら?」
とつかさがいうと、
「そうね。考えてみれば、連続ドラマを見ていて、途中のその週の終わり方によって、話の続きが待ち遠しいと思って、一週間が長く感じるくらいのお話でも、最終回を迎えて、大団円を迎えたはずなのに、どこか終わってしまうと、納得がいかないと思うこともあるの。それはきっと、ラストがうまく嵌ってしまった時に感じることなのかも知れないわ」
「こじんまりと収まってしまったことで、満足感が中途半端に終わってしまったと感じるんでしょうね」
「私もそう思う。浦島太郎のお話は、時間をあっという間に通り過ぎてしまったことで、辻褄を合わせようとすることからの大団円。私が思うに、この終わらせ方が中途半端な中でも一番釈然としているものなんじゃないかって感じるの」
と晴美が言った。
つかさは晴美にこの話を振ったのは、こんな結論をもたらすためではなかったはずなのだが、それまで感じていた自分の疑問をぶつけることで、何か新しい発想が生まれるのではないかと感じたが、晴美の発想は、自分が望んでいたことをはるかに凌駕しているように思えた。
――晴美に話をしてみてよかったわ――
と、決して自分が望んだこととは違った結論になったことを、ここまでよかったと感じられるなど、想像もしていなかった。