表裏めぐり
だが、それは自分のことであり、晴美は別に怖がっているわけではない。結界を作ってしまったことで、まわりが見えていると思っているつかさには、怖がっているのが相手だと思ったのだ。目の前にある鏡を鏡として意識できていないからだった。
そういえば、晴美が好きだといっていた春日博人の小説に、
「自分を写す鏡」
という話があった。
その小説は、主人公は自分で、主人公中心の話なのだが、いつの間にか他人事のように話をしているかのような文体になっていた。
もちろん、その意図は作家本人にあり、他人事のように書いているのは、鏡を見ている自分が本当は鏡だという意識もないまま描いているので、まわりの人間のような意識で話が作られている。結界だと思っていた壁が実は自分の鏡だと感じた時、主人公は自分を納得させることができなくなったことを自覚し、まわりが主人公を病院に連れていった時、すでに意識不明だったという。
その後主人公がどうなったのか? それはまわりからしか見ることができず、気がついた主人公は目の前にいる人すべてが自分にしか見えなくなっていたというオチだったのだ。
春日博人が何を言いたいのか、晴美には分からなかったが、つかさには何となく分かった気がした。
――きっと主人公は、自分を納得させることができなかったから、こんな風になったんだわ。自分を納得させることができれば、目の前にあるのが鏡だと気付いたはずなのに――
と考えていた。
晴美とこの小説の話をしたことがあったが、晴美はつかさが感じているほど深くは考えていなかった。しかし、かなり深いところまで感じているのは事実のようで、
――ひょっとすると、晴美が考えているところまでが、普通の人の限界なのかも知れないわ――
と感じた。
晴美とつかさの考え方の深さの違いは、限定と限界をどこまで感じることができるのかということになるんだろう。晴美は限定と限界の考え方までは行き着いていやようだが、つかさの考える加算法と減算法という発想にまでたどり着いていなかった。その違いがかなり深さに大きな違いをもたらしたのではないだろうか。
春日博人という作家がどういう小説家なのか二人には分からない。しかし、晴美とつかさの二人の発想を結びつけているのは、春日博人という作家の存在が大きいことに間違いはないだろう。
「春日博人って作家は、本当に幻想的な発想をするよね」
と晴美は言っていたが、晴美の言っている、
「幻想的」
という言葉の示す意味は、晴美とつかさの間で違った発想を持っているかのようだった。
つかさの中での幻想的な発想というと、あくまでも架空のものであり、想像するものでしかなかった。しかし、晴美の考え方は、幻想的なものの中には架空のものばかりではなく、実際に自分たちが接することのできるものがあると信じている。その発想が創造になるのだろう。
つかさの中では、幻想は感じるものであり、作り出すものではないという発想だ。だから幻想小説を読むことができるのだが、晴美の場合は幻想小説を架空として読むことができないので、現象小説を読むことはなかった。
だが、晴美が読める幻想小説を書いているのは春日博人だけだった。晴美の中では、
――彼が書いているのが私にとっての幻想小説なんだ――
と思っていた。
晴美はノンフィクションはほとんど読まない。読むとすれば歴史小説くらいであるが、それ以外の小説はフィクションばかりだった。これは春日博人も例外ではなく、彼の小説もそのすべてはフィクションだった。だが、晴美は彼の幻想小説の中には架空の話で片付けられない何かがあるように思えた。それが何かは自分でもハッキリと分からないが、その発想は子供の頃に祖母が読んでくれた絵本のおとぎ話に由来しているように思えてならない。
「おとぎ話も、幻想小説のようなものよね」
とつかさがいうと、
「まさにその通りよね。でも、幻想小説なら格言的なものをもっと暈かして書いてくれている方がいいような気がするわ」
と晴美が言った。
以前、浦島太郎の話をした時は、少し話が逸れてしまったが、思い出したようにまた浦島太郎の話を始めたのは、つかさの方だった。
「浦島太郎に限らずなんだけど、おとぎ話というのは、知られている話の続編があって、意外と知られている話のラストとまったく違ったものだったりするらしいんだけど、それは知ってた」
「ええ、知ってるわ。明治時代の教育制度を確立する時に、おとぎ話のラストをどうするかというのも検討されたらしいのよ。だから、おとぎ話は子供相手の教訓で終わるようになっているんだけど、実際には怖い話だったりして、教育にはそぐわないものがあるらしいのよね」
「浦島太郎なんかもそうらしいの」
「私は浦島太郎尾最後の話を知らないので、よく分からないんだけど、つかさは知ってるの?」
「ええ、浦島太郎のお話というと、よく知られているのは、竜宮城から帰ってくると、自分の知っている人が誰もいない世界になっていて、乙姫様からもらった玉手箱を開けると、そこから白い煙が出てきて、おじいさんになってしまったってお話でしょう? 普通はそこまでよね」
「そうだと私も思っているわ」
と晴美がいうと、つかさは少し優越感に浸っているようだった。
別におとぎ話のラストを知っているからと言って優越感に浸るようなことではない。そのことは一番つかさが分かっているはずだ。しかし、それでも優越感に浸るということは、知っていることで何か新しい情報をもたらしてくれることを予感させられるのではないかと晴美は感じていた。
「でも、それだとお話が中途半端じゃないかって思わない?」
とつかさに言われて、今まで誰にも話したことがなかったが、晴美も何ともラストが釈然としない思いでいたことを、話し始めた。
「ええ、そうなのよ。このお話って、浦島太郎がカメを助けたところから始まるのよね。つまりはいいことをして、カメからお礼だと言われて竜宮城へ連れて行ってもらったのよね」
「そうなのよ。だから、本当ならハッピーエンドでなければいけないはずなのに、どうして最後はおじいさんになったという中途半端なところで終わっているのかって思うよね」
「ええ、ハッピーエンドでもない、中途半端な終わり方なのよ。私は子供の頃はこの疑問は自分だけだって思っていたんだけど、実際には結構いるみたいなのよね。もっとも、このことで誰かと話をしたことはないわ。こんなに深いところまでお話できる相手というとつかさだけになるのよね」
「確かにそうね。誰もが一度は感じたかも知れないことなんだけど、そのことを誰も話題にしない。話題にすることがタブーであるかのように思われているのって不思議よね」
つかさがそういうと、
「どこかで、何かの力が働いたのかしら?」
と、晴美も何かを感じたようだ。
「実はね。その力というのが、明治政府の文部省だったようなのよ」
「というと?」
「本当はラストまで書けばよかったんでしょうけど、明治政府によって、そのように中途半端で終わるように仕向けられたという話が伝わっているわ。本当かどうか分からないけど」