表裏めぐり
つかさは、よく夢を見る。その内容はいつも覚えていないのだが、つかさは覚えていないことに関して、
――夢は無意識のうちに見るものだから、覚えていないんだわ――
と感じていた。
ただ、つかさが最近多く見たと感じている夢は曖昧だが、記憶の奥に残っているような気がした。
その思いが、晴美と話をしているうちによみがえってくる。晴美の話を聞きながら、時々上の空になって、
「つかさ、ちゃんと聞いてくれてる?」
と言われて、
「あ、ええ」
と自分でも恥ずかしいような返事しかできないことも往々にしてあったりした。
そんな時、つかさは自分の世界に入り込んでいる。夢を思い出して、うっとりとしているのだが、それは自分の夢が叶ったと思っている瞬間だった。
その頃のつかさは、晴美には言っていなかったが、小説を書くのが趣味だった。それまでは、
「私は絵を描けるようになりたいわ」
と言っていた。
晴美は自分が芸術的なことにはまったく縁がないと思っていたので、つかさのその言葉を聞いてもスルーしていた。
最近になって小説を書きたくなったのがどうしてなのか、晴美にはピンと来なかった。本を読むのも億劫だったくせに、どうして小説を書きたいなどと大それたことを考えたのか、その時の自分が、
――自分でありながら自分ではない――
と思えてならなかったのだ。
そんな晴美をつかさは分かっているつもりだった。
「小説を書きたいと思えば、写生している気分になればいいわ」
というアドバイスをしたもの、晴美の気持ちが分かったからだ。
あくまでも自分の経験から話をしているだけで、晴美に対してアドバイスできるだけの経験があることをつかさはホッとした気分で感じていた。
つかさは、自分で書いた小説を無料サイトで実は公開していた。このことは誰にも言っていない。もちろん、晴美にも明かすつもりはなかった。むしろ晴美にだけは今のところ知られたくないと思っていたが、もしまわりに公開できると思えるようになった時、一番最初に話をしたいと思うのも晴美だったのだ。
つかさは自分の夢を曖昧にしか覚えていないが、実はその夢の内容というのが、自分の作品が一定の評価を受け、小説をネット販売できるくらいにまでなった時の妄想だった。
つかさは、有頂天になっていた。それまで恥ずかしくて、小説を書いているなど誰にも明かしていなかったが、
――これでようやく公表できる――
と思ったことが嬉しかったのだ。
しかも、その思いを一番最初に話せる相手が晴美であることに、つかさの有頂天も最高潮だった。
「ねえ、晴美。私実は小説を書いていて、それがやっと日の目を見ることになったのよ」
というと、
「それはよかったわね」
という晴美の返事が返ってきた。
ここまでは想像していた通りだが、晴美は全然喜んでくれている様子はなかった。
「どうしたの? 晴美」
と言って、つかさは晴美の顔を覗き込む。
今までであれば、相手に何かを尋ねる時、顔を覗き込むような大げさなことをしたことのないつかさだったが、自分ではその時、大げさでもなんでもないと思っていた。
覗きこまれた晴美の方は、つかさの顔が近づくと反射的に顔を背ける素振りをした。
――どうしてなの?
つかさは、急に不安になり、晴美の顔の前から自分の顔を遠ざけた。
いつもの距離で晴美を覗き込むと、そこにはつかさの見たことのない何とも言えない表情の晴美がいた。苦虫を噛み潰したような表情に、まるで額から汗が滲んでいるかのように見えるその表情は、心なしか紅潮していた。
「大丈夫?」
思わず聞いてしまったが、すぐに、
――しまった――
と感じた。
今までのつかさだったら、そんなことを言うはずがなく、自分でもどうしてしまったのかと自分に対して不安を感じる。つかさの態度は明らかに、上から目線だったのだ。
しかも、上から目線であることを自覚しながらも、その行動を抑止できなかった自分が信じられない。
さらに、信じられないと思いながらも、まだ上から目線でいることをやめない自分がいることも分かっていたのだ。
――不安以外にも何かの感情があって、不安に感じる以前に、不安を凌駕できる何かが自分の感情に存在したんだわ――
と、そこまで分かっていた。
――要するに、最終的に自分は自分なんだわ――
と思った。
相手が自分に対してどんな感情を抱いていたとしても、その感情が自分にどれほどの不安を与えたかとしても、それを凌駕できるだけの自分を納得させられるものを自分の気持ちの中枢にはあったのだ。
それが、小説を完成させることができて、しかも、その作品が一般的に評価されたという事実だったのだ。
この事実はつかさにとって、自分が自分らしくいられるための現実であった。それを一般的に夢というのだろう。夢に向かって進んでいる時の自分に満足していて、がんばっている自分が満足している自分を納得させることができる。だから、夢を達成した時はどんなに有頂天になってもいいし、他に不安があっても、すべてを凌駕できるだけの達成感が自分の自信として根付いているのだと感じたのだ。
その思いが夢の中で一つになり、不安が凌駕されたことを感じると、その瞬間、夢から覚めたようだった。
「夢って、どうしていつも肝心なところで覚めてしまうのかしらね?」
と言っていたのは晴美だったが、その言葉をつかさはその時ハッキリと同感できたと感じたのだ。
「夢って、本当は覚えているんだけど、忘れたつもりになって、実は記憶の奥に封印されているんじゃないかしら?」
と、確かつかさは晴美の質問に、そう感じたような気がする。その言葉に対して晴美がどのように答えたのか、つかさの記憶にはなぜか残っていなかった。
――ひょっとすると、この会話自体が夢の中での出来事だったんじゃないかしら?
とつかさは思い、思わず笑ってしまいようになるのを感じた。
夢の中で夢の話をしているというのも面白いものだ。
以前、どこかでマトリョーシカ人形の話を聞いたことがあった。
マトリョーシカ人形というのは、
「胴体の部分で上下に分割でき、その中には一回り小さい人形が入っている。これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる入れ子構造になっている。入れ子にするため腕は無く、胴体とやや細い頭部からなる筒状の構造である。5-6重程度の多重式である場合が多い」
とネットで調べるとそう書かれていた。どうやら、ロシアの女性の名前からの命名らしい。
入れ子とも呼ばれているようだが、要するに、一つのものの中に同じ少し小さなものが入っていて、それがどんどん小さくなって格納されている様子のようだ。この話を思い出していると、つかさは急に鏡を想像した。
自分の左右に同じ大きさで等間隔に鏡を置き、そこに写っている自分が、永遠に写り続ける現象であった。
ただ、これも一説には、
――無限ではない――
と解釈されているという。
この場合の左右の鏡を「合わせ鏡」というらしい。
ただ無限に見えるのは、
――限りなくゼロに近いが、決してゼロになることはない――