表裏めぐり
「舞台が限られているということは、それだけ焦点が定まっているように思えたの。他の人の作品を見ると、結構広範囲の世界を描いていて。最後には収拾がつかなくなっている作品も少なくないのを見ると、彼女の素晴らしさは焦点が定まっているところにあるんじゃないかって感じたの。確かに彼女の作品には一定の流れがあって、人によってはワンパターンに見えるかも知れないけど、私にはその中でも微妙に違っている部分が、彼女のバリエーションの豊かさに感じられたの。そこで彼女の作品が春日博人に似ていると感じたのは、彼の作品が連作の短編集になっていて、数珠つなぎのような雰囲気に、彼女の小説が感じられて、興味を持ったというわけなの。彼女本人が本当に春日博人を意識しているのかどうか分からないけど、模倣のように思えたのは私だけなのかしらね?」
「でもフィクションなんでしょう?」
「ええ、フィクションにこだわっているように思えるの。どうしてそう思うのか分からないんだけど、彼女にはノンフィクションが書ける気がしないと言えばいいのかしら?」
そんな晴美の話を聞いて、
――意外と的を得ているのかも知れないわ――
と、本当は言いたいことがあるのを喉の奥に呑みこむようにしてつかさは言葉を発することを我慢していた。
「フィクションって、架空という意味だと思うんだけど、晴美の話を聞いていると、それだけではないような気がするわ」
とつかさがいうと、晴美は少し驚いたように、
「うん、私もそう思う。自分の経験をモチーフにして書く想像は、フィクションだものね。私がもし小説を書くとして、フィクションを書こうと思ったら、まずは自分の経験を思い出しながら書こうとするかも知れない。だって、何もないところから新しいものを生み出すのは難しいことだし、きっかけというものが物事には必要だとするならば、自分の経験は大きなトリガーになると思うの。トリガーが経験上のことなら、それはもはやノンフィクションではないと思うのよ」
と言った。
「それが、晴美がその釘谷真由という作家を好きになった理由なのね?」
「ええ、そう。そして彼女の小説を読んでいると、私も共感できるところがたくさんあるの。だからさっき、自分の身近にいるような気がするって言ったのよね」
と晴美が言ったのを聞いて、
「なるほど、それならよく分かるわ」
とつかさが答えた。
晴美という女の子は、先に結論から話してしまうという癖を持っている。
元々文章を読むのが苦手、いや億劫だと言っていたのだから、その頃から晴美が結論を急ぎたい性格だということは分かっていた気がした。
「晴美って分かりやすいんだか、分かりにくいんだか分からないわ」
とつかさは苦笑いをしたが、その苦笑いには安堵の様子が含まれていたことを、晴美は気付いていただろうか?
「ねえ、つかさ。私、小説を書いてみたいって最近思うんだけど、どうかしらね?」
と言われて、少しビックリした。
「いいんじゃないかって思うんだけど、いったいどんな小説を書いてみたいと思うの?」
「今は漠然としているんだけど、とにかく文章を書いてみたいというのは前から思っていたことなのよ。でもどうしても気が散ってしまったりして、なかなか進まない。それに文章を膨らませるということへの何か壁のようなものがあって、どうにも進まないのはそれが原因じゃないかって思うの」
つかさは晴美を直視した。
「無理だと思っているうちは無理なんじゃないかって私は思うわよ」
つかさは自分がかなり冷淡な言い方をしているということに気付きながら、敢えて口にした。
「ええ、分かっているつもりなんだけど、書いてみたいという衝動もかなりのものがあるのよ」
哀願にも近い表情をしている晴美に、
「それは分かるけどね。だったら堅苦しいことを考えるんじゃなく、写生する気持ちになればいいんじゃない? まずは目の前にあることを忠実に文章にしてみるというところからやってみればいい」
とつかさがいうと、
「それができないのよ」
「どうして?」
「釘谷真由の作品を見たからだと思うんだけど、目の前のことを書くということはノンフィクションでしょう? 私にはノンフィクションを描くということができないの」
「どういうこと?」
「他の人には分からないと思うんだけど、罪悪感のようなものがあるのね」
「それをどうして私に?」
「つかさなら、私の気持ちが分かってくれると思ったからなのよ」
と、晴美はニンマリと微笑んで、そう言った。
晴美が小説を書けるようになったのは、それから少ししてのことだった。書きたいという気持ちが強いことはつかさにも分かっている。かといってつかさがアドバイスをして書けるようになるのであれば、こんなに簡単なことはない。
「小説、書けるようになった?」
と聞くと、
「うーん」
と、曖昧な返事しかしない晴美だったが、その曖昧さが次第に自信に繋がっているのではないかと感じたのも、まんざら錯覚でもなかった。
「私ね。最近文章が書けるような気がしてきたの」
「へえ、それはすごいじゃない」
「ええ、以前につかさに言われたように写生すればいいんだって思うとね、何となく書けるんじゃないかって思って、いろいろやってみたの」
「たとえば?」
「最初は、普通にいつものように自分の机の上に原稿用紙を置いて、書いてみたんだけど、文章が数行書けただけで、そのあとが続かないの。続かないというよりも、そこで完結してしまったって感じかしら?」
「それは分かる気がするわ」
「どうして?」
「だって、晴美は以前から言っていたじゃない。文章を読むのも結論を先に知りたくなって、セリフだけを読んでしまうって、だから、自分で書こうとしても、結局結論を先に書きたい一心で、数行で完結してしまうのよ」
「それは分かっているんだけど、やっぱり読み方が足りないということなのかって思ったわ」
「それは違う気がするわ」
「ええ、そうなの。私もそれは違うって思った。でも、最初なんだから何でも手探りでしょう? 感じたことをそのまま書くだけではなくって、膨らませて書こうと思うと、今の私の技量じゃ無理だって思うのよね。それで文章作法の本だったり、他の人の作品だったりを読みこむことが一番の近道だって思ったのよね」
「でも、その近道という発想そのものが、今までの結論を急ぐという思いに繋がっているのよね。だから考え方を一度どこかでリセットして、一歩下がって見てみるのもいいのかも知れないわ」
とつかさが言った。
「確かにそうなのよ。だから私も小説を書いているという状況が、構えてしまっていると思うと、見方を変えるしかないと思うようになったの」
「それで?」
「まず最初に考えたのは、環境が悪いんじゃないかって思ったのよね」
「自分の部屋ですることが?」
「ええ、つい気が散ってしまって、音楽を聴いてみたり、テレビを見てしまったりしているのよ。それも無意識にね。気分転換のつもりだと思うと、無意識であっても、仕方のないことだと思ったんだけど、やっぱり無意識の行動って、どこか怪しいわよね」
晴美の言葉に、つかさも思い当たるところがあった。