短編集44(過去作品)
「私との出会い?」
「そうですよ、前から知り合いだったように思うなんて、今までになかったことですからね」
普通に聞いていれば歯が浮くようなセリフを平気で口にしている。
だが、本当に知り合いだったような気がしているのは本音で、包み隠すことのない気持ちであった。
弘子と知り合ってから、なぜか実家の夢をよく見るようになった。夢に出てくるのはいつも父である。父と彰浩がコタツに入って話をしている。話の内容は歴史の話だ。
父が生前の時の記憶なので、彰浩は中学時代に戻っている。
――父と歴史の話などしたことがあったかな?
記憶にはなかった。きっと歴史の話をしたかったという気持ちが強いために、もう二度とできないという思いで封印していた気持ちが、弘子と知り合った開放感から父を夢に登場させたのかも知れない。
母も時々出てくる。いつもお茶を持ってくる役なのだが、なぜかいつも表情がハッキリしない。父の顔はハッキリ覚えているのに不思議なことだ。逆なら分かる。母の方が記憶に近いからだ。
「お父さん、彰浩さん、ご苦労様」
と一声かけるのだ。そんなことをするはずのない母がである。しかも、母が彰浩のことを「さん」付けするはずなかった。いつも、「彰浩」と呼び捨てであったにもかかわらずである。
この夢は一度や二度ではない。セリフまでしっかり覚えているのだ。何度か見ているはずだ。しかしいつ見たのかは覚えていない。覚えているはずなのだが、次に見た時は前に見た時のことを忘れている。まるで記憶の引き出しから弾き出されるようなものだった。
彰浩の夢に母親が出てくるのはそれまでにはあまりなかったことだ。死んだ父親が出てくることは多かった。しかし、父親の夢と母親が一緒に出てくる夢は記憶にあるだけでも皆無である。
――おかしいな――
そういえば、家族でどこかに出かけたという記憶はあるのに、その記憶は苦いものだ。楽しいはずの思い出が、どう考えても楽しくない。
――しょうがないから付き合った――
くらいにしか記憶にないのだ。
それが子供の頃の家族というものの記憶だということは実に悲しいことだ。親に対してあまりいいイメージを持っていなかったのだろう。それは父に対してなのか、母に対してなのか、自分でも分からない。
父と母が同じ夢に登場しないだけではない。同じ時期に見ることもなかったのだ。不思議なことに、父が死んだ時に見ていた夢は父の夢ではなく、むしろ母の夢だった。周期的なものではないので、無意識の中の潜在意識が、母の夢を見せたに違いない。それだけに不思議なのだ。
夢というのは面白いもので、自分が主人公の時は、もう一人、夢を見ている自分というのが存在する。言い換えれば夢は劇のようなものだ。客観的に第三者の目で見ているのが夢を見ている自分である。だからこそ、目が覚める瞬間に忘れてしまっているのかも知れない。
――最近まで母の夢を見なかったのに。今は頻繁に見るようになった――
舞台は田舎で暮らしていた頃の家である。いつも夜だった。田舎は都会と違い、夜が早い。ネオンサインがない分、歩道と道路の境界線すら分からないほど真っ暗な中で、綺麗に煌いている星と月明かりだけが頼りだった。
特に月は大きく見える。黄色いというよりもオレンジ色のイメージが強く、クレーターまでハッキリと見えるようだ。
月がハッキリと見えているわりには、雲も掛かっている。時々月が見えなくなるのだが、まるで何かに抵抗しているように思えてならない。
月を見て母親を思い出すようになったのは、それからのことだった。
それから程なく弘子と結婚した。
結婚に障害はほとんどなく、
「もっと大変なものかと思っていたよ」
と弘子に言うと、黙ってニッコリと笑うだけで何も言わなかったが、その表情が今でも忘れられない。
結婚してからの弘子はまさしく「よき妻」である。付き合っている頃よりもさらに細かいところに気付くようになったようで、彰浩が何も言わなくとも、弘子がすべて気付いてくれる。
――家のことは任せておけばいいんだ――
これほど気が楽なことはない。それだけ仕事に集中できるというものだ。
彰浩も仕事のことを家庭に持ち込むようなことはしなかった。なるべくストレスを溜めないようにしていたので、家庭もうまく行っている。
秋絵もいつの間にかやめていた。彰浩と別れたきっかけは、もちろん彰浩の方から言い出したのだが、そんなことでめげるような女ではなく、ショックではなかっただろう。やめたのは他に理由があったに違いないが、今どうやって生活しているのか、気にならないわけではない。
何と言っても一度は付き合った相手である。愛情はもう残っていないが、情というのはまだ少し残っていると言ってもいい。それだけ自分の中でいい意味でも悪い意味でも秋絵という女性の存在が大きかったのだ。
――秋絵のことだから、どこかの会社でまた他の男と付き合っているんだろうな――
と思うことで、自分を納得させていた。
それならそれでありがたい。自分も幸せな結婚ができたのだ。秋絵に結婚の二文字はイメージが湧かないが、いずれは結婚して平凡な主婦に納まってくれることを心のどこかで祈っている。
最近は仕事も波に乗ってきて、今までの努力が報われたのか、あるプロジェクトでサブリーダーのような役目を任された。
「君の手腕を大いに生かしてくれたまえ」
と肩を叩かれれば嫌でもがんばりたくなるというものである。
「そうだよ、その目だよ。私は君に期待しているからね」
部長は彰浩の目を見ながらそう言った。
――目の色で選んでくれたんだ――
と思うことが一番嬉しい。それだけ真剣に仕事や会社と向き合っていることだ。そこまで信頼してくれているのなら失敗もないだろうと、自分の中で納得させるに十分な言葉だった。
この時ばかりは家に帰り弘子に報告した。ビールを買って帰り、ささやかなお祝いをしたものだ。
「いいことであればお祝いしてもいいよね」
「そうよ。がんばってね」
弘子はそう言って励ましてくれた。その日はかなり酔っ払ったような気がする。次の日に何を話したかすら忘れてしまっていたくらいであった。
その日に帰ってきた時にも空を見上げていた。その日は綺麗な満月で、黄色が鮮やかだった。月が出ていると気にしてしまうのは、やはり最近の夢に由来しているからに違いない。
――お母さんは元気かな?
またしても思い出すのは母のこと。都会で見る月は田舎で見る月とは違うが、まわりの環境が違うのだから、それも仕方のないことかも知れない。
プロジェクトに参加することは最初から分かっていたが、まさかサブリーダーとまでは思っていなかったので、ビックリした。やる気が身体にみなぎってくる。
そもそも、プロジェクトは、自分の課が言い出したことではないので、他の課からリーダー選出されるものと思っていた。それがどこで転んだのか分からないが、元々任命されるべき人が体調不良で入院したことから回ってきた白羽の矢だった。
「代役でも何でもいいじゃない。あなたが頑張ったから選ばれたのよ」
弘子は励ましてくれる。
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次