短編集44(過去作品)
一時期、落ち込んでいた。元々、隠すことの苦手な彰浩は、露骨に気持ちを顔に出していたに違いない。それがどこから来るものか分からなかったであろうから、問題ないとは思っているが……。
そんな時に知り合ったのが妻の弘子だった。
弘子は二つ年下だったが、年齢以上に年の差を感じたのは、きっと従順だったからだろう。今までにここまで従順な女性を知らない。思わず子供のように甘えてみたくなったのも仕方のないことだった。
弘子には秋絵の話をすべてした上で付き合うようになった。隠し事が嫌いなだけではなく、自分の中で弘子こそ本当に好きな女性だという認識を持ち続けていたかったからだ。自己満足に過ぎないかも知れないが、あとで後悔したくない思いが強かった。
弘子に対しても一目惚れではない。今まで一目惚れなどしたことのない彰浩は、
――一目惚れなど、すぐに飽きるに決まっているさ――
と思うようになっていた。人から好かれるのは感情によるものだが、嫌われないようにするのは努力によって何とでもなる。それだけに人から好かれる方が難しいのかも知れない。
弘子は彰浩に同情していた。
「あなたの女運ってあまりよくないのかも知れないわね」
「いや、君と知り合えたから、そんなことはないさ」
「ありがとう。そう言ってくれれば嬉しいです」
弘子は占い関係に造詣が深かったこともあって、最初に運について発想したのだろう。あまり占い関係に興味のない彰浩と最初のうち、会話が弾まなかったのは言うまでもない。
だからであろうか、付き合い始めるようになったり、ましてや将来の女房になるなど、最初は夢にも思わなかった。付き合うにしても、結婚相手にしても、少なくとも趣味が同じでないと会話がないと思ったからである。
同情が愛情に変わるということが本当にあるなど、信じられなかった。若気の至りで秋絵と深い仲になったとはいえ、
――どうかしていたんだ――
と簡単に自分の中で解決することがいいのか悪いのか、
――熱しやすく冷めやすい性格――
人からも言われたことがあるが、聞いた瞬間は、冷めやすい方を強く感じる。自分が冷静な性格だと自覚していることから、そう感じるのだろうか。
秋絵と弘子では何においても正反対であった。
優しい言葉が口からどんどん出てくる秋絵と違い、不器用なのか無口で、たまに口を開くと、ぎこちない言葉を一言二言言っては口を閉ざしてしまう弘子。
だが秋絵は、言葉が優しいわりには態度が伴っていなかった。最初は言葉をまともに聞いていたので、額面どおりの優しさだと思っていたが、その中に打算的なものを感じるとすべてが計算ずくに見えて仕方がなかった。いつもならむしろ、
――気のせいだろう――
と思えたのに、秋絵に関しては自分を納得させることができない。
もちろん、そこまでは弘子には言っていない。感性の違いがあるだろうから、感じたことをそのまま話したのでは、相手が偏見で見てしまう。性格面でも差し障りないところでの話をしていた。
あれは秋絵とのことを何も知れないはずの会社の同僚が連れていってくれたスナックでの出会いだったのだ。
スナックというところは、会社の飲み会の後に行くものだと思っていただけに、最初からシラフで行くのは初めてだった。入った瞬間に感じる気の遠くなりそうな生暖かを感じることもなく中に入ると、本当に初めてスナックに行ったような気分になっていた。
しかし、それまでに比べれば明らかに店内が暗く感じられた。まだ時間が早かったこともあって、他に客はおらず、同僚の行きつけの店ということで、まるで貸切の様相を呈していたのだ。
「まるでVIPの感覚でしょう?」
「ああ、たまにはいいよな、こういうのも」
後で聞いて分かったことだが、同僚も実はシラフで来るのは初めてだということだ。
しばらくして現れたのが、店の女の子の友達だという弘子だった。見た瞬間、
――カウンターの中には似合わない――
と感じるほど地味で、ごく普通の女性だった。ただ、最初から包容力のようなものを感じていたのは事実で、その勘に狂いはなかったのだ。
同僚の話としては、
「お前が元気ないので、心配だから景気づけに来たんだぞ。楽しもうぜ」
という話だったが、本音は違うところにあったようだ。
すべての演出は同僚が計画したものだった。弘子が現れたのも、同僚が店の女の子に頼んで、
「僕の同僚に誰か紹介してやってくれ」
というのが真相だったようだ。
だが、本当の真相はその後にあったようで、うまくセッティングしてくれた同僚と女の子に諭されるように、
「ほら、奥に行って二人で話しておいで」
と言われるままに奥のテーブル席に行ったが、本当の同僚の狙いを女の子が知っていたかどうか、同僚は女の子にカウンターでベッタリと話し始めた。実に会話が軽やかで、時々笑い声が聞こえる。
「あれくらいハッキリ気持ちを表現できればいいな」
と思ったものだ。
要するにダシに使われたのだ。
だが、それでもよかった。女性を紹介してあげようという気持ちに変わりはないのだ。自分がこれほど寛大だとは思わなかった。きっと落ち込んでいる時に、人の温かさに触れて、人情のありがたみを分かったからかも知れない。
確かに自分中心主義に変わりはない。しかし、それも自分あっての他人ということで、決して他人をないがしろにしているわけではない。自分と真剣に向き合うことのできないやつが、他人のことなど考えられるわけがない。たとえ考えたとしても、その考えは浅はかになってしまうのではないだろうか。
いつも女性との出会いで、有頂天になってしまうために、自分中心主義であることを忘れてしまうことがある。自分よりも相手の女性と思ってしまうのだが、普段考えたこともないようなことを考えるのだから、ろくなことがあるはずもない。
――それで失敗することも多かったな――
飾った自分など自分ではない。すぐに綻びが出たり、ぎこちなさが目立ったり、女性からすれば不安でしかないだろう。それならば、自分の意見をしっかり話した上で、相手に判断してもらう方がどれほど気が楽なことか。
女性と向き合うと緊張して話せなかった大学入学当時が今は昔である。
弘子と出会った時にそのことを感じた。
「まるで前から知り合いだったような気がする」
と彰浩が言うと、
「まあ、お上手。でも嬉しいわ」
弘子は軽く言い放ったのに、
「い、いや、そんなことはないです。真剣にそう思っているんです」
まるで何度お見合いをしてもうまく行かない男のようだ。生真面目すぎるのも皮肉っぽく見えるらしい。だが、弘子はそんな風に見ていなかった。彼女の方が一歩も二歩も上手である。
クスクス笑っているが、決して皮肉の篭った笑いではない。緊張がほぐれてくると彰浩にも分かってくる。
「私も実はそうなの。前から知り合いだったような自然な感じがしていましたわ」
確かその時に占いの話をしたのではなかったか。占いの話が出たついでに、思い切って秋絵の話をしてみたのだ。
「人それぞれってことですね、今は吹っ切れているのでしょう?」
「ええ、もちろん。だから出会いを大切にしたいと思うんでしょうね」
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次