二重構造
「なるほど、とても興味深い話だと思うよ。実は僕ももう一人の自分という発想は常々持っているんだよ。あすなの話を聞いていると、僕も目からうろこが落ちてしまいそうに思えてきたよ」
その時は、それで話が終わった。
その日の夜、あすなは夢を見た。
その夢は怖い夢だった。いまだに忘れることのできない夢で、ひょっとすると今までに見た夢の中で一番怖い夢だったのかも知れない。
あすなが歩いている前を正樹が歩いていた。
「正樹さ〜ん」
と大きな声で叫んでみたが、彼は気づくこともなく、ひたすら歩いている。
あすなは何とか追いつきたいと思い、早歩きになったが、それでもなかなか追いつくことができない。距離は縮まるどころか、遠ざかっているかのように見えるくらいだ。
小走りになっても同じだった。どんなに急ごうとも、追いつけるはずはないと次第に思うようになった。
目線は正樹の後姿にしかないので気づかなかったが、歩いている道は果てしなく一直線の道だった。交差点もなく、曲がる道も存在しない。果てしなく一直線に続いているだけだった。
あすなは、そのうちに、自分の後ろに視線を感じた。
――誰かしら?
その時には、自分が夢の中にいるのだということを意識していた。
「夢の中というのは、何でもありだと思われがちだけど、実はそんなことはないんだ。例えば空を飛ぼうと思っても、実際には宙に浮くくらいのことしかできずに、自由に飛び回るなんて不可能なんだ」
という話を正樹から聞いた。
それくらいのことはあすなにも分かっていたが敢えて、
「どうしてなの?」
と聞いてみた。
「だって、夢というのは潜在意識のなせる業だって聞いたことがあるけど、潜在意識というのは、無理なことは無理だって思っている理性のようなものだって僕は思うんだ」
と言っていた。
この発想にはあすなも賛成だった。そうでなければ、自分を納得させるなどできっこないからだ。
夢の中にいると思ったあすなは、後ろを振り返ることをしなかった。
――このまま後ろを振り返ると、夢から覚めてしまうかも知れない――
と感じたからだ。
それに、心の声で、
「決して振り返ってはいけない」
と、まるで、おとぎ話に出てきた浦島太郎の玉手箱や、ソドムの村で言われることのような気がして、振り返ることの恐ろしさを感じた。
振り返らずとも、あすなには、その視線が誰のものだか想像はついた。しかし、その想像を自分で認めることは怖かった。当然、納得させることもできるはずがない。
――もう一人の正樹さん――
あすなには、目の前を歩いている正樹と同じ人間には思えなかった。
確かに外見上は同じ人間なのに、まったく別の人間であるという発想は、恐ろしさしか感じさせない。
――どんなに頭を巡らせても、自分を納得させられるはずなどないんだわ――
と感じるからだった。
あすなが前を歩いている正樹に追いつけないのと同じで、後ろの正樹もあすなに追いつけるはずはなかった。そこには時系列が存在し、交わることのない平行線は、時間軸を中心に回っているのだ。
「もう一つ言えることは、堂々巡りは矛盾を感じさせないようにするためだということなんだ」
正樹は呟いた。
「どういうことなの?」
「タイムマシンで元の世界に戻ろうとすると、そこにはもう一人の自分がいる。その自分はもう一人の自分であってはいけないと思うんだ。堂々巡りを繰り返しながら存在している『蛙飛び』の自分。つまり、飛び出した時と、戻る時の自分は、正確には別の自分なんだ。そこに矛盾が生じるんだ」
「もしかして、タイムマシンで飛び出したのが一回だから、自分がもう一人できたということなんだけど、もう一度タイムマシンで飛び出せば、自分は三人になってしまうということ?」
「僕は、最初、そう考えていた。でも、実際には二人しかいないと思うんだ。だから、二回目に飛び出した時に戻る自分は、最初の自分なんじゃないかって感じるんだよ」
「じゃあ、元の自分に戻ろうとすると、二度タイムマシンで飛び出さないといけないということよね?」
「もちろん、これは仮説なので、何ら信憑性はないんだけど、これが僕の考え方なんだ」
「私も正樹さんの発想に賛成だわ」
「正樹さんはタイムマシンに乗ってどこかに行くの?」
「ああ、近い将来、そうなると思う。その時はきっと、僕は死んだことになるんじゃないかって思うんだ。でも実際にはどこかに存在している」
「人が死ぬというのも同じようなものなのかも知れないわ」
「どういうことだい?」
「人が死ぬと、魂と肉体が分離して、魂だけの存在になるっていうでしょう? そして魂だけが行くことのできる世界にいくというのが、よく言われる『死』という考え方ではないかと思うの。でも、魂が存在しているということで、いろいろな小説のネタになったりしていますよね? 例えば、同じ時に死んだ人の肉体に入り込むとか、同じ時期に死産になるはずだった人の肉体に入り込むとかね。それは人間の願望と、魂だけが残るという発想とが結びついて、出てきた発想なんですよ」
「そうだね」
「タイムマシンで飛び立つというのも、ひょっとすると、魂だけが飛び立つことができて、肉体はそのまま残ってしまうんじゃないかって思うんです。そういう意味では、タイムマシンで飛び出した世界で、入ることのできる肉体が見つからなければ、そのまま彷徨ってしまうんじゃないかってね」
「じゃあ、あすなの考え方は、タイムマシンで飛び立てば、出てきた世界では、自分とはまったく関係のない人の肉体に入り込むということ?」
「私は、最近そうなんじゃないかって思うようになったの」
「じゃあ、僕の考え方とはかなり違っているよね。堂々巡りの発想も、もう一人の自分の発想も、あくまでも着地点を自分だと考えた時の発想なんだからね」
「でも、私の考え方の方が、十分に信憑性があるような気がするの。確かに、まったく違う人の肉体に入るんだから、その人のそれまでの記憶が分からないままなので、矛盾も出てくるでしょうね。でも、それも死にかけたことでのショックから、記憶を失ったと思えば、理屈には合っていて、あまり疑われることはないと思うの」
「言われてみれば、確かにあすなの発想にも信憑性はある。でも、もしそうだとしても、僕は入り込む相手がまったく自分とは無関係の人ではないような気がするんだ。どこかに因果関係のようなものがあるんじゃないかってね。それがいい方に作用するか悪く作用するかは分からないけどね」
「そこまで来ると、小説のネタになってしまうような気がする。でも、発想というのは果てしないもので、末広がりに広がっていくことで、その中にある真実が見えなくなりそうな気もするわね」
「でも、真実って本当に一つなんだろうか?」
「パラレルワールドの発想を考えれば、真実が一つだとは限らないわね」
「そうだね、だから一つ一つを解明していくことが、僕の使命なんじゃないかって思うんだ」
あすなは、その時の使命感に帯びた正樹の顔を見ながら、意識が遠のいていくのを感じた。
正樹が目の前から消滅していく。
「待って」
と言うだろうと思ったのに、その様子を笑顔で見送っている自分がいた。