二重構造
――もう一人の自分だ――
と感じた時、あすなは、自分が夢の中にいて、今まさに目が覚めようとしているのだと気が付いた。
時計を見ると六時前を示していた。そろそろ起きてもいい時間だった。
あすなは、今朝の夢を特殊なものだと思っている。その理由は、
――正樹さんが出てきた夢は、最初に見ていた夢の中で、さらに見た夢の世界の出来事なんだ――
という意識を持ったからだ。
途中からこれが夢であることは分かっていたように感じた。だが、まさか夢の中の夢で見ているものだという意識まではなかった。一気に夢から覚めたことで、
「夢の中の夢」
を感じたような気がした。
しかも、正樹とした会話は、今までにもしたことがあったような気がした。
ただし、その時は話をしていたのは正樹の方で、一方的な話を、あすなは黙って聞いているだけだったのだ。
「夢の中で見た夢だったからこそ、前に正樹と話をした内容を覚えていて、自分なりの考えが口から出てきたのかも知れない」
と思った。
夢でもなければ、正樹に意見など言えるわけはなかった。正樹の前に出れば、金縛りに遭ったかのように、ただ彼の話を聞くだけになってしまう。普段は他の人が相手であれば、逆説ばかりをいつも考えていて、まわりからは疎まれているかも知れないと思いながらも自分の意見を吐いていた。それがあすなであり、あすなを敵視する人もいたが、あすなを慕っている人もいるのだ。
あすなは、正樹の死を信じていない。香月が現れようが現れなかろうが、正樹はいつか自分の前に戻ってくると思っていた。
しかし、さっきの夢の中での自分は、明らかに正樹が自分のところに帰ってはこないという意見を話していた。
自分の信念と、自分の願望、この二つの究極の選択は、あすなにとってどのようなものなのか、夢から覚めてまだ頭がボーっとしているが、そのあたりの理屈は分かっていた。
それでもあすなは、
「正樹さんは戻ってくる」
と感じている。
「それにしても、あの香月という人はどういう人なんだろう?」
香月のところにあったという投書も気になるところだった。
「本当にそんなものが存在するのだろうか?」
あすなの中には、その投書が存在するのだとすれば、それを出したのは、正樹本人か、あるいは、正樹の理論から行けば、存在するとされている、
「もう一人の自分、つまりは、もう一人の正樹さんの仕業ではないんだろうか?」
という思いが、あすなの中にはあった。
あすなは、今、自分の左右に鏡を置いて、そこに写っている自分の姿を思い浮かべた。
無数に自分の姿が映し出される。どんどん小さくなっていくのが分かるが、最後には見えなくなってしまうだろう。それでも存在はしているのだ。
「限りなくゼロに近いが、ゼロではない」
数学の発想を思い出していた。
ただ、あすなは、自分の目を信じてはいなかった。
確かに無数の自分の姿が写っているのだが、そこにいるのは二人だけしか存在しないように思う。一人は今考えている自分であり、もう一人は、鏡の中に一人いるであろう、もう一人の自分だけだった。
無数に写っている自分の中のどこに、もう一人の自分がいるのかは分からない。
――そういえば、正樹さんも「真実は一つではない」と言っていたではないか――
と感じていた。
それにはあすなも同意見であった。しかし、これも、
――真実がいくら一つではないと言っても、無限に存在するわけではない。では、一体いくつ存在するんだろう?
この思いは以前から自分の命題のように思っていた。いくら考えても、途中で行きどまってしまい、最終的に、堂々巡りを繰り返してしまう。それが、いつものあすなだったのだ。
あすなが最近感じているのは、
――結局、すべてのものは二つに凝縮できるのではないか?
ということだった。
一つだと思っていたことも実は二つであり、無数に存在すると思っていることも、実は二つに凝縮できる。これも、忘れてしまってはいたが、正樹の夢を見た時に感じたことだった。
――でも、この夢は、正樹さんが死ぬ前に見た夢だったような気がする――
というのも、この時に、
――正樹さん、何もなければいいけど――
と感じた時だったのを覚えているからだ。
ただ、この思いはまだまだ漠然とした思いだった。それをある程度固める結果になったのは、香月の出現だったのだ。
――何とも皮肉なことだわ――
とあすなは感じた。
「表があれば裏がある。光があれば影がある。昼があれば夜がある。世の中というのは、すべて何かの対になっているものなんじゃないかって思うんだよ。生きている俺たちだって、男がいて女がいるわけだろう?」
これは、香月のセリフだった。
――この人、私の性格を分かっているのかしら?
あすなは、自分の性格や考えていることが分かるのは正樹だけだと思っていた。
今まで誰も信じることなく生きてきたあすなが、やっと信じられることのできる相手を見つけた。それが正樹だったのだ。
「でも、俺はすべてのものを二つに分ける考え方は、あまり好きじゃないんだ。どこか縛られているような気がしてね」
香月はそう言っていた。
「私もそれは思っているわ」
「でも、君は最後にはすべてを二つに分けて考えないと、自分を納得させることができない人なんだって思うよ。それが分かるのは、限られた人間だけなんだろうけどね」
自分もその一人だと言いたげだ。
悔しいがその通りだった。一度自分を納得させる結論を導いてしまうと、それを覆すことができる発想を思い浮かべることは至難の業だった。
「そんなに私は分かりやすいの?」
「分かりやすいかどうか、相性によるんじゃないかな? 俺は君を見ているだけで分かってくることが多いので、思ったことを口にしているだけだけど、君だって、自分が自信を持って相手が見えていると思えば、かなり饒舌になるんじゃないかな?」
あすなは、正樹との会話を思い出していた。
――確かにその通りだわ――
あすなは、香月という人間に対しての警戒心が次第に解けてくるのを感じた。最初の身体の硬さはどこから来ていたのか、ガッチガチだった自分が恥ずかしいくらいだ。
香月は、改まった顔になり話の矛先を変えた。
「例の投書のことなんだけど」
「ええ」
「あれは、俺が書いたものなんじゃないかって思うんだ」
「どういうことですか?」
「三十分前を歩いているもう一人の自分がいて、その自分が知りえた情報を元に投書を書いた。つまり、調査をしている自分がいて、その情報を元に行動する自分がいるということだよ。今の自分は、行動する自分なんだろうね」
「同じ自分でも役割が違うと?」
「そうだよ。それが君も考えている『もう一人の自分』の発想に結びつくんじゃないかな?」
言われてみれば、もっともな気がした。
しかし、簡単に認めることは、あすなにはできなかった。それはプライドや警戒心というものではなく、根本的に相容れない発想が元になっているからだと思えてならないからだ。
「もう一人の自分って、何なんですかね?」