二重構造
――異次元世界のことを思い浮かべるということは、怖い発想にしか結びつかないことを意味している――
と感じていた。
下手に感じてしまうと、異次元世界に落ち込んでしまって、戻ってくることができないと思ったからだ。
しかし、それ以上に怖いのは、次元と次元の間にある「溝」に嵌ってしまうことだった。次元と次元の間に溝があると感じたのは、いきなりだった。四次元の世界というのは、テレビドラマやSF小説などでしか想像することができなかったはずなのに、一人で瞑想している時に異次元を感じている時に、
「溝というものがあるんだ」
と勝手に想像されたのだ。
しかも、初めて感じたはずなのに、
――以前から感じていたような気がする――
という思いの下、違和感を与えないようにしていた。
溝に嵌ってしまうと、抜けることができない。SF小説などで出てくる宇宙の墓場と言われる「サルガッソー」のようなものや「ブラックホール」などは、その最たる例である。
ここまで感じてくると、
「異次元の世界が怖いと思っていたのは、実際の異次元を怖がっていたわけではなく、本当はその間に存在している溝に対して恐怖を抱いていたのではないだろうか?」
と思えてきた。
どこまでが三次元で、どこからが四次元なのかも分からない中、何が溝と言われても分からない。ただ、SFの発想として、誰かが「サルガッソー」や「ブラックホール」を創造したのは間違いのないことであって、あすなは、今その発想の域に達しようとしていることを、決して喜んでいるわけではない。
――こんな余計なこと、発想なんかしたくない――
というのが本音であり、
――勝手に自分の頭に浮かんでくるんだ――
という思いを、自分の性であったり、運命さえも考えるようになっていたのだ。
しかし、あすなはその域まで達してくると、
――ここまでくれば、自分で納得できる――
というラインに達するまで、あと少しであることを自覚していた。
それでもなかなか届かない。ここから先が本当の正念場というべきであろうか。そう思うと、夢を見るのも怖いと思うようになってきたのだ。
――どうせなら、いっそ、異次元の発想など、頭から消えてなくなってほしい――
と感じるほどで、
――異次元の発想って、どこからだったのかしら?
と自分の頭の中から引っ張り出したくなってきたのも事実だった。
男ならまだしも、女性ではなかなかここまで発想しないと思っていたが、それは間違いだった。異次元の発想するようになってから、道を歩いていても、異次元の発想を抱いている人が分かるようになってきた。
「この人は、そうだわ」
目を見ていれば分かった。
以前も同じように人を見ると、まずは目に視線が行っているのは変わっているわけではなく、見る角度も変わったわけではないし、感じるものも変わりはない。変わったとすれば、相手が異次元の発想を、今抱いているかということが分かるということだけだった。
そう思うと逆に、
――相手からも、私が異次元の発想をしている人だって分かるのかしら?
と思ったが、それなら、どうして話しかけてこないのか考えてみた。
確かに自分も相手に話しかける気はしないのだが、それはどうしても相手から話しかけられるのを待っているからだった。あすなは、元々人に話しかける方ではなく、相手に話しかけられるのを待っているようで、
――ひょっとすると、異次元を意識している人というのは、自分から誰かに話しかけられるような積極性のない人ではないだろうか?
と思えてきた。
そうやって考えてみると、今までにもいくつか異次元のことを感じている人の特徴がいくつか集まってきた。それを組み立てると、一つの仮説が生まれてくるのではないかと思ったが、実際組み立ててみると、意外と組み合わせるのが難しかったりする。
組み合わせを考える時の一番難しいのは、最後から二番目だった。最後から二番目が組み合わないということは、最後が合うわけはない。それ以前に遡っていくと、そこに法則性があることに気が付いた。
「まるでカエル飛びのようだわ」
二人の自分がいて、その自分が交互に遡っていく。お互いに平行線であり、交わることはない。つまりは、その存在を知ることはない。この発想が、実はあすなのいまだ知られざる大きな発見に結びついていくわけだが、その最初は夢を見るという発想から結びついてきたことなのだ。
あすなは、目が覚めた午前三時にカーテンから洩れてくる光を漠然と眺めながら、さっき眠った時、夢を見たような気がした。
普段であれば、思い出すことはないのだが、その時は思い出すことができた。
「そうだわ、昼間に会ったジャーナリストだと言っていたあの香月という男が夢の中に出てきたんだわ」
――なぜ、あの男が?
確かに意識はしていた。
今までに会った人の中で、
――二度と会いたくない――
と感じている人の中で、初めて意識が頭の中に残ってしまった人なのかも知れない。それは彼の存在が、これからの自分に、あるいは、気づかないうちに今も自分に大きな影響を与えていて、運命を感じさせる人なのではないかと思わせた。
あすなは、自分が今、タイムパラドックスについてものすごい発想を抱いていることに気が付いた。しかし、それは過去にも誰かが思いついたことである気がして仕方がない。
――確かに今思いついた発想は、私が知っている限りではオリジナルのはずなんだわ――
と思っていたが、よくよく考えると、自分が思いつくくらいなんだから、他の人だって思いついていいはずなのである。
それなのに、どうして自分なのかを考えてみると、最後のパーツがうまく噛み合うか噛み合わないかというそれだけの違いが、大きく影響しているような気がしていた。
あすなの発想は、確かに繋がってみると、誰もが思いつきそうに思えることだが、最後に結びつかなければ、それ以上はない。複雑な思いを巡らせることで、遠回りしているにも関わらず、辿り着いた先には、最短距離の道しか見えていない。つまり、辿り着かなければ、途中までいくら想像を巡らせたとしても、まったくの無駄な努力に終わってしまう。この発想に、「後戻り」はないのだ。
元々の発想は、タイムマシンから始まった。
――タイムマシンに乗って、自分が現在の世界からいなくなると、本当に自分のいた世界に自分がいないのだろうか?
という発想が出発点だったのだ。
この発想は今に始まったことではない。たまに気が付いた時に、この発想をしているのだが、何かの結論が産まれたことはない。この発想の行き着く先は、今までの学説や一般論を覆すものになるかも知れないと感じていたほどで、そう簡単に解ける謎ではないはずだった。
あすなには、
――いなくなっても、その場所には自分がちゃんと残っている――
という発想があった。
その時に改めて考えるまでは、
「同じ世界にもう一人の自分は存在することはない」
という発想から、