二重構造
「ええ、死を装うなど、一人の考えで、そして一人の力でできることではありませんからね。それに、彼は火葬場で荼毘にふされています。ただ、その時に見つかった肉の破片。こんなものは普通はありえないことですよね。実は、投書にもそのことは書かれていました。知っているのは、私たちだけではないということなんですよ」
「じゃあ、何かの組織がそこに暗躍しているのだと?」
「そうかも知れません」
「そんな、推理小説のようなことが……」
「何を言っているんですか。火葬された後に肉片が残っていた方が、よほど小説の世界の出来事のようではないですか。まるでSFかホラーのようなですね。そのことに目を背けてはいけませんよ」
あすなは、生前の正樹を思い出していた。
あすなは敢えて研究員としての正樹を見ていなかった。研究所での仕事をしている時は、
――私が一番なんだわ――
という気持ちでいつも研究に向かっていた。
そうすることが、自分にとっての研究を成就させる近道だと思っていたからだ。
実際に女性研究員の中では一番と目されるようになり、彼女の提唱する学説も発表できるまでに至った。
次回の学会で発表できるだけの資料もほとんど整っていて、この日は、その報告も兼ねて正樹の墓前を訪れたのだ。
正樹はあすなにとっての
「オアシス」
だった。
研究員としての尊敬の代わりに、彼には癒しを与えるという力があった。そのことを他の女性は気づいていないのかも知れない。彼は研究所では
――冴えない研究員――
として皆から見られていて、
「誰かの役に立つことだけが彼の存在意義だ」
とまで言われるほどだった。
彼は研究所以外でも友達が数人いたようだ。
合コンにも何度か誘われていたのだが、それはあくまでも人数合わせが目的だった。本来なら、
「彼は研究所勤務なんだ」
というと、女性は興味を抱くだろう。
「わあ、すごい。どんな研究をされているんですか?」
正樹には、女性に対しての免疫がない。あるとすればあすなにだけである。
あすなは同じ研究所の人間で、距離もかなり近いからだ。
実際に、香月の言ったように、正樹は研究員と言っても、彼が具体的に自分が発案して研究していたことは皆無だった。誰かの研究の補助をしたりしていただけだった。
しかし、今のあすなは知っていた。言われているようなことがすべてではないことを。
確かに、冴えない研究員の正樹は、他の研究員の助手を務めるばかりだったが、中には、自分が提唱した研究もあった。そして表向きは自分が助手のように見えるのだが、実際には研究内容は明らかに正樹の提唱しているものだというものもあった。
それでも正樹は黙っていた。他人に研究を横取りされた形になっていたが、なぜ彼が黙っていたのか、今考えればあすなには信じられない。
どこか瞬間湯沸かし器のようなところがあり、カッとなったら何をするか分からないところのある彼が、自分の研究を横取りされて黙っているのだ。かなりのストレス、いや、トラウマになっていたことだろう。
――これが彼の死に、何か関係しているのかも知れない――
そう思ったあすなだったが、それを証明することもできない。
いや、もし彼が何かの復讐をしようとしているのだったら、
――やらせてあげてもいい――
と思っていた。
彼の研究が他の人によって発表されたことを知った時、あすなは自分のことのように怒りを感じていた。
あすなは今、香月を目の前にして、その時の怒りがこみ上げてきた感情を抑えることができなかった。むしろ、彼に今の心境を分かってほしいと感じるほどで、そのことを分かったのか、香月は何を言わずに、一人黄昏れている時間の狭間に嵌っていたあすなを無表情で見つめていた。
「あすなさんは、今までにも正樹さんの死に対していろいろな感情を抱いていたんでしょうね。でも、それを誰にも言うことができず、悶々とした日々を過ごしていたような気がします」
「確かにそういう時期もありましたね。でも、ずっとそうだったわけではないんですよ」
「ええ、分かっています。でも、何度もいろいろ考えているうちに、考えていることが日常になってしまって、考えていない時期との境目が分からなくなっていた時期があったんじゃないですか? 今は分かっているようなんですが、あなたを見ていると分かる気がします」
「あすなさんは、今度学会で何かを発表されるそうですね。その資料はすでに出来上がっているんですか?」
あすなは身構えた。
「その手の質問にはお答えしかねます」
というと、口を閉ざしてしまった。
香月にもあすなに今この質問をすれば、彼女が口を閉ざすことくらい、分かり切っていたことだろう。別に慌てることもなく、
「そうですか、そうですよね。では今日はこれくらいにして、私は退散することにしましょう。また近いうちにお会いすることになると思いますので、その時は、またよろしくお願いします」
と言って、腰を上げた。
香月が視界から消えると、あすなは一人取り残された。
いや、元々一人で来て、一人で帰るつもりだったのだ。香月がいた時間だけが「余計な時間」だったのだ。
あすなも、一度墓前に頭を下げて、踵を返すとその場から立ち去った。
――こんな話、まさか正樹さんの墓前の前でするとは思わなかったわ――
と、頭の中で、正樹に詫びたのだ。
あすなは、そのまま駅まで向かうと、他のどこにも立ち寄る気分にはなれず、家路についた。家に帰りついた時にはすっかり疲れ果ててしまっていて、シャワーを浴びるのがやっとだった。
お腹が空いていたのも事実だったが、それよりも睡魔の方が強く襲ってきて、気が付けば睡眠に入っていた。その睡眠が浅かったのか深かったのか分からないが、気が付けば真夜中の二時だった。
今までのあすなであれば、疲れ果てて帰ってきた時は、どんなに空腹でも朝まで目が覚めることはなかった。完全に深い眠りに就いていて、目覚めは重たい頭を起こすのに少し時間が掛かったが、起きてしまえば、スッキリとしたものだった。前の日からの疲れはすっかり消えていて、リフレッシュされた気分で、朝を迎えるのだ。
その日のあすなはリフレッシュなどされていなかった。目が覚めたのがいわゆる、
「草木も眠る丑三つ時」
こんな時間に目が覚めるというのは、何か気になることがあって、眠りに就くことができず、目が覚めてしまっていた。その時には時刻が、
「午前二時だ」
ということは分かっていた。
しかし、この日は、夢を見ていたような気がするくらい深い眠りだと思っていたので、目が覚めた時はてっきり、朝になっていたと思っていたのだ。それなのにまだ午前二時だったということは、それまでに経験したことのない感覚で、目が覚めてからしばらく、
――前後不覚に陥ってしまうのではないだろうか?
と感じたほどだった。
三十分くらいボーっとしていた。その間は眠っているのか起きているのか、自分でもハッキリとしなかった。
――ひょっとしたら、このまま眠ってしまうかも知れない――
と感じたほどだが、結局は目が覚めていた。
もちろん、スッキリとした目覚めであるはずもなく、