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二重構造

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 そのため、絵画で頑張っていこうと思っていた思いは失せてしまい、まったく違った道を模索するようになったのだ。
 それでも、大学三年生になった頃、試しにスケッチブックを目の前にすると、絵を描けるようになっていた。
――私がプレッシャーに弱かっただけなのかも知れないわね――
 ただ、この思いはトラウマとして残ったのも仕方のないことで、いざという時、本来の力が発揮できなくなるのではないかという思いが募ったのも、仕方のないことだった。
 あれから八年が経ったが、あすなは趣味の域を超えるくらいの絵を描けるようになっていたが、決してコンクールに出品したり、自分の絵を表に出そうとはしなかった。
 たまに馴染みの喫茶店に自分の描いた絵を寄贈したり、研究所の片隅に額で飾ったりしてもらうことが至高の悦びで、細々と絵を描いていることが、今の自分の生きがいのように思っていたのだ。
「あすなさんの絵もすごいですよね。研究室に掛かっている絵を見て誰が描いたのか聞いてみると、あすなさんだっていうじゃないですか。僕はビックリしましたよ。絵の才能もあったんですね」
「いえいえ、才能なんてものではないですよ。私は以前、絵を描くことができなくなって、何年か描いていなかった時期がありますからね」
「それでもこれだけ描けるのだから、素晴らしいです。尊敬しますよ」
「正直に言って、描き始められるようになったのに気づいたのも偶然だったんです。もし気づかなければ、あのまま絵を描くことをやめていたでしょうね。そうなると私の人生ももう少し違ったものになっていたかも知れません」
 と言って、あすなは笑顔で答えた。
 やはり、絵の話になると、少しは気分が晴れるのか、このまま絵の話だけで終わってほしいと思ったくらいだ。
「そうでしょうか? 僕は絵を描いていなくても、あすなさんは、今とさほど変わらない人生だったと思いますよ」
「どういう意味ですか?」
 せっかくよくなった気分を害された気がして、
――いちいち気に障る男だ――
 と、一層の警戒心を深めた。
「深い意味はないですよ。あすなさんを見ていると、自分の人生をさほど悪いものだって思っているようには感じないんですよ。そういう意味でしたので、お気を悪くされたのなら謝ります」
「そういうことなんですね。それなら許します」
 と、また笑みが浮かんだ。
――この香月という人はどういう人なんだ? 一言一言、相手の心情にこんなに変化を与えるなんて――
 と感じていた。
 香月という男は、もっともらしいことを言って、自分が正樹の死について疑問を感じた理由を、医学的な見地から語った。知らない人が聞けば、
――なるほど――
 と感心するかも知れないが、科学的な知識のあるあすなには、香月の話はどこか胡散臭かった。
 もっとも、最初から怪しいと思って聞いているのだから、当然と言えば当然なのだが、香月の表情を見る限りでは、あすなの疑念は分かっているはずなのに、微動だにしないその自信がどこから来るのか、分かりかねていた。
「香月さんの言いたいことは分かりましたが、まさかそれだけのことで怪しいと思ったわけではないですよね?」
「その通りです。そもそも何か根拠がなければ、一旦心臓麻痺として処理された人の死因について、後から再調査などするはずないですよね? 彼と利害関係があったり、彼の死を疑うことで私の方に何かの利益でもなければ、普通はありませんよね。私には彼との利害関係はありません。でも、私がこの話に興味を持った最初は、投書があったからなんですよ」
「投書ですか?」
「ええ、その投書はもちろん匿名だったんですが、彼のことを克明に書かれていました。よほど親密な関係でなければ知らないような事実を細かく書いていたんですよ。私に対して調査してほしいという気持ちが十分に伝わってくるものでした。私に対しても、調べて損のない内容であることを強調されていたんですよね。もし、私が興味を示さなければ、探偵事務所の門を叩くと書かれていました」
「それで?」
「私は少し興味を持って、彼のことをここまで克明に書くことのできる人を探してみたんですが、実は見つからなかったんですよ。一番怪しいと思ったのがあなただったので、あなたのことも失礼だとは思いましたが、いろいろ調べてみました。すると、あなたには、こんな投書をする必要はないという結論に至ったんですが、逆に彼の死がこの投書のように曰くがあるのであれば、その真相を知っているのがあなたではないかと思ったんです」
「それで、直接会いに来られたわけですか?」
「ええ」
「何て大胆なんでしょう」
 と口では言ったが、この男の話にも一理ある気がした。
 もし自分が彼の立場であれば、同じ考えを持ったかも知れない。
 だからと言って、彼の考えが一般的な考えだというわけではない。むしろ、普通なら誰も考えないことではないだろうか。そう思うと、香月という人、まんざら敵視する必要はないのかも知れないと感じていた。
 今まで誰にも明かしたことのない彼の死への疑念、いきなり現れた怪しげな香月という男、この男を全面的に信用するのは危険なことだと思う。しかも、ジャーナリストという立場や人間性を考えると、自分の心を開くなど、普通だったらありえないことだった。
 しかし、少なくとも今は、
――この広い世の中で私だけが疑っていると思っていた正樹さんの死への疑念を、分かってくれる人が現れた。このまま「知らぬ存ぜぬ」と言って、跳ねのけることは簡単だが、それが一生の後悔に繋がるのではないかと思うと、怖くなる――
 と感じていた。
「大胆なのは、あなたも同じかも知れませんね」
「どうしてですか?」
「あなたは、もしかして、彼の死に自分だけが疑念を抱いていて、何を言っても誰も信じてくれないことをトラウマのように感じていて、その思いから、自分の手で、真相を解き明かそうと思っているのではないですか?」
「そうですね」
「少なくとも、あなたは彼が何かの事件に巻き込まれたり、殺されたとは思っていない。もし、彼の死に何か疑問があるのだとすれば、彼の意志がそこに存在していると思っているのではないですか?」
「まさにその通りです」
 何ということだ。まるで自分の心を見透かしているかのようではないか。香月という人を全面的には信じてはいけないが、お互いに同じ目的で動いているという点で、協力してもいいのではないかと思えてきた。
 しかし、
「でも、あなたは彼の死の真相を掴んで、それをどうしようと思っているんですか?」
 ここが一番気になるところだった。
 香月はジャーナリストである。記事になることであれば何でもする人種である。逆に記事にならないことであれば、何もしないに違いない。
「私は、彼の死について真相を掴んだとしても、それを記事にするつもりはありません。ただ、彼の死の奥に何か裏があるのだとすれば、そこを記事にしようと思っているんですよ」
「ではあなたは、正樹さんの死の裏に何かがあるとお考えなんですか?」
作品名:二重構造 作家名:森本晃次