二重構造
少しだけ発想が進んでも、気が付けば元の位置に戻っていることがある。今までにはそんな意識はなかったのに、タイムマシンの研究を始めたとたん、堂々巡りとは切っても切り離せなくなってしまっていた。だからこそ、止められないというのが、優香の意見だった。
優香の意見を思い出していた香月だったが、彼の頭の中には、
――あすなも優香もこの話は知らないようだな――
と思っていることがあった。
香月としては「隠し玉」のように暖めておこうかとも思ったが、どうにも話してしまわなければ気持ち悪く感じるのだった。目の前にいるあすなのことに同情したのか、それとも愛情が生まれたのか、香月としては襲ってくる空気に、まるで、
「自白剤が含まれているようだ」
と思わないではいられなかった。
しかし、この自白剤は苦しいものではない。話をしない間も心地よさに包まれているのだが、それは話してしまうことを前提に考えるから心地よく感じるものだった。小説やドラマなどで言われる自白剤も、自白の瞬間は恍惚の表情をしているが、この時の感覚は、最初から恍惚の感覚だったのだ。
話の中心が浦島太郎の話になった時、香月には、自分が隠し玉を持っている感覚が襲ってきていた。
――どうして、優香と話をした時、この隠し玉を話したいと思わなかったのだろう?
それは、優香の意見だけを聞いても、一つの意見だけでは、この隠し玉を話すまでには至らない何かがあったのだ。そう思うと、香月は隠し玉の本当の意味を知ることになると自覚していた。
「あすなさんは、浦島太郎の話の神髄を分かっておられないようですね?」
「どういうことでしょう?」
「たぶん、あすなさんも、そして私が知っている研究者の方も、研究者というお立場からしか話をしていないんだって思うんですよ。二人とも、浦島太郎のお話の神髄を、陸に上がってから玉手箱を開けるまでに集中してしまっている。その間だけで、話の真偽を確かめているでしょう? でも他の人は違うんです。確かにクライマックスは陸に上がってからのことなんですが、それ以前の話もちゃんと見ていて、全体から考えて、いろいろな意見が出てきているんですよ」
あすなも確かに、
――言われてみれば、この人の言う通りだわ――
と感じた。
しかし、そう感じてはいても、実際に全体を見渡そうとしても、最初から自分の中で結論めいたものを見出しているので、いまさら初めて話を聞いた時のような新鮮な気持ちになることはできなかった。
香月は続ける。
「浦島太郎のお話というと、まずは浦島太郎が浜辺を歩いていると、そこで一匹のカメが子供たちに苛められているのを見かけた。見るに見かねた浦島太郎が子供たちからカメを助けた。この助けた時のやり方にもいろいろな説があるようなんだけど、ここでは関係ないので。そして、助けたカメがお礼だと言って、浦島太郎を背中に乗せて、海の中にある竜宮城に連れて行ってくれた。そこで、昼夜を問わず飲めや歌えやの、まるでパラダイスとハーレムが一緒になったような世界を味わうことができた」
「ええ」
「でも、太郎はしばらくすると、我に返ったのか、元の世界に戻りたいと言い出した。竜宮城の王女である乙姫様は、浦島太郎に一つの箱を『お土産』として渡した。『決して開けてはいけない』と言ってね」
「そうですね」
「自分の感覚としては二、三日くらいだと思っていた楽しかった日々を思い出に、陸に戻ってくると、その場所には自分が知っている人、自分を知っている人が誰もいなかった。途方に暮れた浦島太郎は、そこで『開けてはいけない』と言われた玉手箱を開けてしまった。すると、白い煙が出てきて、おじいさんになってしまった……。というのが、浦島太郎の伝わっているお話ですよね?」
「ええ、大体その通りだったと思います」
「そこで、皆、浦島太郎が上がった陸は、数百年後の未来で、玉手箱を開けると、おじいさんになったのは、そのせいだと思っているんですよね。だから、どうしても、視点は陸に上がってからに向いてしまう」
「ええ」
「でもね。これはおとぎ話なんですよ。本来なら、子供たちへの教育の一環として教えられているお話なんです。どこかに教訓があるのではないかと思うのが、他の人の考えなんですよ」
「確かにそうですね」
「そうなると、最初に考えられるのは、この話で何が言いたいのかということなんですが、皆さんは、最初まず矛盾を感じています」
「矛盾、ですか?」
「ええ。だってそうでしょう? 浦島太郎は苛められているカメを助けたんですよ。まずはいいことをしたと思うじゃないですか。そしてお礼に竜宮城へ連れていってもらった。でも、戻ってくるとそこは時間が経過していて、最後にはおじいさんになってしまうという残酷なお話に変わってしまっているんですよね。子供の教訓にするようなお話に、ラストは残酷な話になっていいものなんでしょうか?」
「確かに言われてみればそうですよね」
あすなは少し考えてみた。
しばらく沈黙が続いたが、あすなが何かに気づいたようだ。
「浦島太郎が、何も悪いことをしていないと言われましたけど、果たしてそうでしょうか? というのは、乙姫様からもらった玉手箱。開けてはいけないと言われていたのに開けてしまったというのは、約束違反なんじゃないですか?」
「ええ、その通りなんですよね。でも、そのことになかなか皆気づかない。なぜかというと、玉手箱をもらったのは、竜宮城から帰る時ですよね。その時にはすでに浦島太郎の運命は決まっていたわけでしょう? その後、自分の知らない世界に帰ってきたという残酷な展開になってしまったことで、浦島太郎には、どうしても同情的な目が向いてしまう。でも、あすなさんの言われる通り、確かに『約束違反は悪いこと』なんですよね。だけど、皆そのことに気づかないので、矛盾を感じてしまう」
「ええ」
「じゃあ、どうして、このお話がおとぎ話として、受け継がれるようになったのかというと、実はこのお話には、『続編』が存在しているんです。もっとも、おとぎ話の類は、続編が存在していて、教えられているものとはまったく違ったラストを迎える話も決して少なくはないです。浦島太郎のお話もその一つなんですが、ここからが私のお話の本題というところですね」
「今までは前置きだったんですか?」
「ええ、でも、大切な前置きです。前置きだけで、ほとんどの話になってしまうことも結構あったりしますよ。このお話もそうかも知れませんね」
「浦島太郎のお話は、本当はハッピーエンドだったのでしょうか?」
「ええ、そう受け取る人も多いようです。でも、その前にどうして教えられている話が途中で切れてしまっているかというのが一つの問題になりますよね」
「はい」
「浦島太郎のお話というのは、室町時代に書かれた話が起源になっています。つまりは五百年以上も前のお話ですね。でも、言い伝えられている時は、すべての話が伝えられていたんでしょうが、明治時代になって、教育の一環としておおとぎ話が確立した時、続編と言われる部分は削られて、今皆が知っているようなお話になったんですよ」
「その続編というのは?」