二重構造
――私が予知能力だと思っているのは、相手の気持ちが見ているものが一緒に見えていることなのかも知れない――
これは、相手の考えていることが分かる優香や綾の能力とは違っている。あくまでも相手の気持ちを分かっているという意識があるわけではなく、相手が見ているものが見えていることで、先が読める気がしているのだ。
したがって、あすなが予知能力を発揮できるのは、相手があってのことに限られるのである。
――本当は、俺はあすなの前にもっと後になって現れるはずだったんだよな――
と、香月は考えていた。
今回、あすなの前に現れたのは、完全に香月の意志だったのだが、本当であれば、
「決められた手順」
というものが存在していた。
そこには香月の「立ち位置」も計算されていて、その計算には、香月があすなの前に現れるのは、もっと後になってのことのはずだった。「決められた手順」に、香月が風穴を開けたのである。
あすなが、「拉致監禁」されてから、かなりの時間が経ったのだとは思うが、意識を取り戻してから、今までどれくらいの時間が経ったのか、見当がつかなかった。
そこは、四方を壁に囲まれていて、窓はない。開放されてから、どこに閉じ込められていたのかをハッキリさせないためであることは明白で、それくらいのことはあすなにも分かった。
それでも、空腹感が襲ってきて、香月はきちんと食事を与えてくれるので、大体の時間経過は見当がついた。
ただ、睡眠に関しては、昼と夜の感覚がないからなのか、眠くなっては寝るという程度で、眠っていた時間もどれほどのものなのか、時計もないのでよく分からない。ただ、眠っている時に夢を見ていたような気がする。もっとも、ここに閉じ込められていること自体がまるで夢のような出来事なので、どこまでが夢だったのか、よく分からない。
その時に見た夢の中で、さらに眠ってしまい、その中で夢を見たような気がする。だから、夢の中の夢を見たことになるのだが、なぜか、目が覚めたという感覚は一度しかなかった。
夢から覚めた感覚が一度だけだというのは、どちらの夢が覚めた時だというのだろう?
起きている時に見た夢なのか、それとも夢の中で見た夢なのか、定かではない。しかし、その不思議な感覚が頭の中にある間、あすなは、
――何か新しい発想が生まれるかも知れない――
と感じた。
あすなは気づいていなかったが、今回、ここで監禁されている間に眠ってしまった時、見た夢の中に、優香が発想した学説があったのだ。
そのことを、香月に話してみた。誰かに話さないと、気が済まない心境だったのだ。
「香月さん、聞いてくださる?」
「どうしたんだい?」
香月は、あすながさっきまで眠っていたのを知っていた。香月もあすなを拉致監禁してはいるが、それをいつまで続けなければいけないのか、実は自分でもよく分かっていなかったのだ。
誰かに頼まれて始めた行動ではないが、自分にも先が見えない。かといって、思い付きで始めたわけでもなく、目的は確かにあったのだ。
それでも、いくら決意が固いとはいえ、人を拉致監禁し、いつ果てるとも知れない時間だけを浪費しているというのは、まるで寿命を削っているかのようだった。
「私ね。今、学会に発表しようと思っていることと違う発想が思いついたの。聞いてくださる?」
香月はビックリした。
「どうしたんだい? そんなことジャーナリストの俺に教えていいのかい?」
「ええ、いいのよ。あなたがジャーナリストだろうが違おうが、私には関係ないの。あなただから話をしたいのよ」
香月は、しばらくあすなを見つめていたが、
「よし、分かった」
と言って、軽く頭を下げた。
「私が思いついた発想の原点はタイムマシンの発想なんだけど、これは私が今度学会で発表を考えている発想と同じところから始まっているのよね。それは、タイムマシンに乗って自分が今の世界から飛び出した時、私はその世界に存在しているかということなのよね」
「それはもう一人の自分ということかい?」
「ええ、私が以前提唱した発想では、『存在する』というものだったの。普通なら、存在しないと考えるべきなんでしょうけど、私は存在することで、歴史を変えないようにするためだって考えたのよね。でも、今考えたのは、存在しないという発想。普通の発想なんだけど、ここからが少し違う。それは、私がいなくなった世界のその先には、ずっと私はいなかったということになるのよね。でも、自分が未来に飛び出せばどうなるか? その時に初めて自分がこの世界に戻ってくるわけなんだけど、過去から自分が繋がっていない世界なので、それを辻褄を合わせようとすると、自分が戻ってきた世界も、最初から存在していたということになる。それは、自分が飛び立った瞬間から(その瞬間だけとは限らないが)果てしなく広がる可能性であるパラレルワールドの一つが選択されるのではないかと思うのよ。もし、それができないのであれば、タイムマシンなんかできっこない。それこそがタイムパラドックスであり、タイムマシンなんてありえないという発想に行き着くの。理論上は可能なのかも知れないけど、同じ人間が同じ次元の同じ時間に存在しえないとすれば、過去に行くことはできない。そう思うと未来しかないんだけど、未来に行くのも、自分がこの世界から飛び出した瞬間に、果てしなく広がる世界のどこに着地するか、誰かが決めなければいけない。そんな全知全能の神でも存在しない限り、タイムマシンなんかありえないのよ。だから、私は、今までやってきた研究が一体何だったのかって思うし、急に身体の力が抜けてしまったような気がするの」
この発想は、香月を震撼させた。香月の頭の中には、タイムマシンありきの発想しかなかったのだ。
「タイムパラドックスの発想は、すべて、タイムマシンの存在を肯定することから始まり、タイムマシンの存在を証明することに終わると、俺は思っていたんだ」
と香月が呟くと、
「そうね。私もそうだったわ。タイムマシンを否定することは、私の研究者としての人生を否定することであり、正樹さんを否定することにもなるような気がしたの。正樹さんも私と同じようにタイムマシンの研究に勤しんでいて、志半ばでこの世を去った。さっき、あなたが彼が自殺だって教えてくれた時、最初はショックだったけど、考えてみれば、最初から私も分かっていたような気がする。だから、私はあなたが彼の死を疑ってからのような行動はしない。彼の死を受け入れて、静かに彼の冥福を祈ろうと思っているの。あなたには悪いけど、それが私から言える正樹さんという人のイメージなのよ」
あすなは、そう言って、首を垂れて、泣いているようだった。
「いいんだよ。僕もこうやって君を監禁までして本当は何がしたいのか分からなくなってしまったんだ。でも、もう少し開放するのを待ってくれないかな?」
と言って、あすなに詫びた。