二重構造
あすなには予知能力はあるが、相手の心を読むという、優香や綾のような力はない。そのことが、香月に辛い顔をさせるのだった。
香月は優香や綾のことも知っている。知っていて、あすなに近づいたのだ。
もちろん、正樹のことが気になっているのももちろんのことだが、本当の目的は、あすなを取り巻く危険から救うためのものだった。
あすなを取り巻く環境に中で、一番状況を分かっていないのはあすなだった。
――優香には綾がいる。あすなには正樹がいたが、今はいない――
それが、香月の感じているあすなを取り巻く環境だった。
――俺が、正樹さんの代わりになれればいいんだが――
という思いを抱いているのも事実だ。
しかし、その感情が、次第にあすなに対しての恋愛感情になってきたことを、香月は感じていた。
――俺が、女性を好きになるなんて――
今までに、自分が接触した女性で好きになった相手はいなかったと思っている香月だった。
確かに、優香や綾というのは魅力的な女性で、普通なら、どちらかの女性に恋心を抱いても不思議ではなかったはずなのに、香月は二人に対してそんな感情を抱かなかった。
――俺は、女性を好きになれないのかな?
と感じていたが、それが優香と綾の女性同士の恋愛感情に阻まれていたことを香月は気づいていなかった。
もちろん、二人の関係を怪しいとは思っていたが、
――まさか、そんな――
と思っていた。
しかも、今度は自分が近づいたあすなに対して、哀れみを感じてしまったことで、自分の中に辛さが真っ先に生まれてきたことに違和感があったのだ。
――こんな思い、初めてだ――
それが、あすなの心の中にある、正樹への思いだと知った時、
――正樹という男の存在を、あすなさんから消さないと俺の本当の気持ちは自分で納得ができない――
という思いに至ったことで、香月は、正樹の行方を追うことを決意した。
あすなに近づいたのは、綾に頼まれたからだ。
「ミイラ取りがミイラになった」
ということわざがあるが、香月はまさに、そのミイラ取りなのかも知れない。
あすなは、そんな香月の気持ちを分かっていない。あくまでも、香月が自分の口から喋った言葉を信じているだけだ。
香月は、あすながそんな素直な女性であることを分かっていた。分かっているから辛く感じるのであって、その辛さが自分にも同じように伝染し、
――これが人を好きになることなんだ――
と、自分の気持ちを納得させたのだろう。
あすなが、研究を完成させたことは香月も分かっていた。完成したのが優香とどちらが早かったのか分からなかったが、二人の研究の発表を、少しでも遅らせたいという意識が香月にはあったのだ。
二人の研究の内容を両方とも知っているのは、香月だけだった。もちろん香月は専門家ではないので、そんなに詳しいことが分かるわけではないが、二人の研究が同じ発想から始まって、違った結論を導き出したことだけは分かっている。それは、それぞれに説得力があり、どちらが最初に発表されたにしろ、最初に発表した場合と後から発表した場合とでは、結果は同じであることを、香月には分かっていた。
ただ、その結果がどういうものであるかということは分からない。香月には、あすなにも優香にも、どちらにも傷ついてほしくはなかったのだ。
香月は優香が病に侵されていることを知っていた。それは綾が知るよりも前からのことで、医者以外で優香が病気だと知っていたのは、香月だけだった。
香月は、優香とは高校時代の友達だった。
優香が学者を目指すと言った時、
「おいおい、女性のお前にそんな研究者のようなことができるのか? 一体どんな研究をしようって言うんだ?」
と聞いてみると、
「タイムマシンやSF的なことを研究したいって思っているのよ。女だてらにと言われるかも知れないけど、私以外にも同じように研究者になろうとしている女性がいるらしいんだけど、その人がどんな人なのか、少し見てみたいわ」
それがあすなのことだった。
その頃のあすなは、幼馴染の正樹が研究者になりたいと言っていたのを聞いて、
「私もなりたいわ」
と言い出すようになっていた。
そんなあすなを見に行った優香だったが、その時はあすなの決意がそれほどのものではないと気が付いて、一旦は研究者になるのをやめようと思ったのだが、結局は研究者になった。
その心境の変化については、香月にしか分からなかった。そして、その時の心境の変化を見た香月は、
――俺が優香を好きになるということはないかも知れないな――
と感じた。
要するに、ついていく自信がなかったのだ。
その頃には、優香に相手の心を見抜くという特殊能力があることを見抜いていた。
――俺の心も見抜かれているんだろうな――
と感じたことが、ついていけないと感じた一番の理由だった。
それでも、優香から離れられなくなった自分を香月は感じていた。
それは、優香を好きになるよりも結びつきという意味では深いものではないかと感じていた。
――恋愛感情よりも深い気持ちが存在するなんて――
と、香月はビックリしていた。
もっとも、香月はそれまでに女性を好きになったこともなければ、付き合ったこともない。女性を好きになるという感情がどのようなものか、具体的には分かっていなかったのだ。
そのせいもあってか、優香と一緒にいる間、他の女性を好きになることなどないと思うようになっていた。実際に三十後半に近づいてきた今までに、誰かに恋愛感情を抱いたという意識はなかったのだ。
本当は、香月は優香の掌の上で踊らされていたのだ。
「マインドコントロール」
つまり、洗脳されていたと言ってもいい。
ただ、優香には香月を洗脳していたという意識はない。彼の「好意」に甘えていたというのが本音だった。お互いに相手の気持ちが分かっていると思っていたのだが、少しずつすれ違っていたことで、本当の気持ちを見失っていたのかも知れない。
香月はいいとして、優香の方は、相手の気持ちが分かるという力を有しているという自覚があるだけに、絶対に分かるはずのない思いだった。分かるはずがないというよりも、自分で納得できないことだからである。
香月は知らなかったが、一時期、優香が好きになった男性がいた。その男性の存在は、香月はおろか、綾も知らなかった。後からその人の存在自体は知ることになるのだが、まさか優香に恋愛感情を持たせた相手だということに誰も気づくはずはなかった。
逆にその人の存在があったから、優香には今まで誰に対しても恋愛感情を持ったことがないという錯覚を与えたのかも知れない。優香がその人のことをあきらめた瞬間から、優香の中で、その人の存在はおろか、その時に感じた感情を、自分の中に永久に封印し、
「これは墓場まで持っていく」
と、決意させたものだった。
優香に、恋愛感情を持たせたその人というのは、実は高梨正樹だった。