二重構造
しかし、綾が自分と似ているところがあるから、ずっと付き合っていられるのだ。そうでもなければ、お互いに引き合うはずのない人間だと思っていたからである。
優香は最近思っていることとして、
――お互いに相手のことが分かってしまうというのは、まわりから見ているとどんな感じなんだろうか?
優香も綾も、相手の考えていることが分かっている。どちらかだけが分かっているのであれば、分かっている方にとって、圧倒的に有利だと言えるが、お互いに分かり合っているという場合はどうなのだろう? 下手をすると、お互いにギクシャクしてしまうかも知れない。
「策を弄する人は、相手に同じ策を取られることを予期していない」
と言われるが、予期していないどころか、かなりのショックで、そのショックから立ち直れないかも知れないと思うほどだった。
だが、綾と優香の間ではそんなぎこちなさは感じられない。優香の方では二人がお互いに相手のことを分かっているということを理解している。綾の方でも同じではないだろうか。それなのに、ギクシャクしてこないというのは二つ理由が考えられるのではないだろうか。
一つは、同じお互いを分かっている力を持っているとしても、同じ規模の力とは限らない。どちらかが強い力を持っているとすれば、弱い力の方に線を引いて、そこから上だけが相手の気持ちを分かる力だと考えれば、弱い力の方の人にとって、
「この人にだけ、私の力が通用しないんだわ」
と感じるに違いない。
そういう人が一人くらいいても、例外として受け入れることができるだろう。
もう一つの考え方として、強さの問題ではなく、そもそも相手の気持ちを読み取る力の種類が違っている可能性もある。
例えば、相手の目を見るだけで相手が考えていることが分かってしまうという「本能的」な力だ。それ以外としては、相手の様子や素振りから、自分の想像できる気持ちのパターンに当て嵌めて、その気持ちを計り知るという育ってきた環境とそれによって培われた力によるものだとすれば、「統計的」な力だと言えるのではないだろうか。
二人の力のかかわりがどのようなものなのか分からないが、スムーズに行っていても、いずれは一触即発の危機を孕んでいる可能性も否定できなかった。
優香は、綾が持ってきた週刊誌を読んでみたが、あすながどんな発表を学会に残したのか分からなかった。
そもそも週刊誌というのはゴシップを抜くのには長けているが、研究内容を理解できるまでの人がいるはずもない。
「優香さん、そんなにS研究所の発表が気になりますか?」
と、綾から言われた。
さすがに綾には、隠し通せることではないと思い、気持ちを抑えることをしなかったが、それも、腫れ物に触ることのない綾の性格を分かってのことだった。そう思っていたのに、ふいに綾からの指摘は、優香に動揺を与えた。
「そんなことはないわ」
気持ちを隠しても同じなのに、優香は否定した。綾はそれを見ながら、笑ったかのように見えたが、その表情に余裕のようなものが感じられたのは、どういうことだろう?
優香は綾の気持ちを読もうとしたが、まったく読むことができない。それだけ動揺しているということなのだろうが、ここまで何も浮かんで来ないということは、動揺によるものであることは明らかで、しかも、自分のこの力が「本能的」な力であることを裏付けているように思えて仕方がなかった。
「優香さんの研究も佳境に入ってきているんですから、今は、人の研究のことを気にしている場合ではないんじゃないですか?」
優香の研究もタイムマシンの研究に似ていた。突き詰めれば、タイムマシンの研究に行き着くものなのだろうが、今の段階では、タイムパラドックスへの挑戦と言った内容になっていた。
優香の研究は「無限性」に対しての研究でもあった。
優香の中で、
「タイムマシンの研究に似ている」
と思っているのは、自分の研究の発想が、タイムマシンを使った時に起こることの証明から始まっていたからだ。
学説への入り口は、
「タイムマシンを利用したたとえ話」
というところで、奇しくもあすなの発想に似ていた。
おおむね、今発表されている学説の多くは、案外何かを利用した時のたとえ話からスタートしているものではないかと考えている研究者は、あすなや優香だけではなく、結構たくさんいるようだった。
優香もあすなと同じようにタイムマシンを利用した発想から始まった。しかも途中まで同じだということをお互いに知るはずもないことだった。
優香の場合は、
「タイムマシンに乗ってどこかの世界に飛び立つと、飛び立った元の世界に、自分はいないのだろうか?」
という発想までは、あすなと同じだった。
あすなの場合は、飛び立った元の世界にも自分はいて、歴史を変えないようにしようという力が働くと考えていた。
しかし、優香は違った。
「飛び立った元の世界には、もうすでに自分はいない」
という仮説を立ててみた。
「じゃあ、飛び立った人は、その場所に帰ることができるということですか?」
と綾が聞くと、
「それは分からない。単純に帰ってこれるのであれば、もっと前にタイムマシンに対しての学説が確立されていたはずだわ。でも、飛び立った世界に自分が存在しないと考えた方が、私は自分を納得させることができるような気がするのよ」
「私もそれは同意見ですね」
「飛び立った世界に自分が存在していないということは、自分は消えてしまったのと同じことになるので、失踪と一緒のようなものよね。昔であれば、『蒸発』なんて言葉もあったわ」
「ということは、飛び立った世界のそこから先は、自分はずっと存在していないということになるのよね」
「その通り。だから、未来であれば、どの世界であっても、タイムマシンで到達することは可能なの。私はそこに、アインシュタインの『相対性理論』を結びつけて考えるわ」
「どういうことなんですか?」
「かなり以前に発表された映画で、宇宙ロケットに乗って飛び立った二人の男性がいるんだけど、その二人は『相対性理論』を理解していて、ロケットで眠っていた時間を一年間として、『相対性理論』では、数百年経っているという会話をしていたのよね」
「ええ」
「それって、タイムマシンの発想と同じなんじゃないかって思うのよ。『相対性理論』の中には、『時間というのは、高速になればなるほど、その中にいる人は時間が経っていない』というものでしょう。だから、表の世界は数百年経っているのに、自分たちは一年しか年を取っていないという発想ね」
「それは、浦島太郎にも言えることですよね」
「その通りよね。アインシュタインの発想は、まだ百年ちょっと前のものなのに、浦島太郎の話は、五百年以上も前の発想でしょう? これってすごいわよね。世の中はまだ武士の時代で、理論なんか分かるはずもないのに、ちゃんと物語として理論を伝えてきたんだから、日本人のすごさを感じるわ」
「でも、それって全部未来に対してのことですよね?」