二重構造
という思いもあり、冷たい視線くらい、別に気になるものではなかった。
それ以上に、学校の期待は耐えられない。人の心を読める優香にとって、クラスメイトの感じている自分への嫉妬よりも、むしろ、大人が見る自分への好奇の目に耐えられないのだ。
好奇の目には、自分の私利私欲が含まれていて、表面上、仲良くしているように見えている人でも、心の底ではドロドロとしたものが渦巻いている。自分を見る目に好奇を抱いている人のほとんどは、私利私欲だけで生きているような人だった。
大人の皆が皆、そうだとは思わない。しかし、見えてくる大人に、心を許せる人は一人もいなかった。プレッシャーに押しつぶされそうになった子供の頃の経験があることで、高校時代に直面した、
「大人の汚い部分」
を見ても、
――私には関係ないんだ――
と、他人事の目で見ることができたのかも知れない。
好奇の目を堪えられないと思っていた時期は、いつの間にか過ぎていた。やはり自分には関係ないという意識を持ったことが、優香の気持ちを楽にしたのであろう。
大学に入学すると、人の心を読むのが面白くなった。
いつも大人ばかりを意識していたが、大学に入れば主役は学生だからである。
戸惑っていると、誰かが声を掛けてくれる。大学に入学してすぐは、そんな毎日が楽しかった。
戸惑っていたのは、今までに学園祭くらいでしか見たことのない人が、学校内に犇めいていたからだ。新入部員勧誘のために簡易ブースを作って、勧誘している姿は、まさにお祭りだった。
お祭り騒ぎは嫌いではない。いつも冷静に見られることで、賑やかなことはあまり好きではないと思われているようだが、本当はそんなことはなかったのだ。
――ここには、高校時代の自分を知っている人はほとんどいない――
というのも、気を楽にさせた。
高校時代までと違って、家から通えるところに大学があるわけではないので、初めての一人暮らしを始めたが、それも心躍らせる演出だったことに間違いはなかった。
いくらランクを下げたとはいえ、他の人の成績で入学できるほどレベルの低い大学ではなかった。実際に、卒業生の中でこの大学に入学したのは、たったの三人だけで、後の二人は優香が入学した学部の試験に落ちていたのだ。
大学に入学してから、友達も結構できた。
人の心を読むことができる力を利用して、友達の心を読んでみたが、そこに私利私欲はまったくなかった。純粋に、入学した大学で勉強し、将来何になりたいのか、しっかり見極めたいという気持ちの人がほとんどだった。
ただ、中には遊びに夢中になって、なかなか大学に顔を出すことのない人もいたが、その人たちは、とりあえず放っておくことにした。
三年生になる頃には、優香は大学院に進むことを決めていた。成績もそこそこだったので、大学院へ進むことはほぼ決定していたと言ってもいい。
優香は大学院に進んで、自分の研究したいと思っていることが二つあることを自覚していた。
一つは、大学三年生の時点で研究していた「タイムマシン」の論理についての引き続きの研究、そして、もう一つは、自分の中にある特殊能力である「人の心を読める」という力の論理的な理解であった。
そのどちらも達成することは、自分に対して、
――生きていることへの「納得」――
であった。
その納得は、自分の手で、自分の力で、自分を納得させるというものでなければいけないと思っている。
「優香の考えていること、何となく分かる気がするわ」
大学時代を通して、一番仲がいい友達が、時々優香にそう言っていた。
――一体、どういうつもりなのかしら?
と、その言葉の信憑性を確かめようと、彼女の心を読もうとしたことがあった。
――えっ、どういうこと?
彼女の心の中を読むことができない。
確かに彼女の心の中に入り込んでいるという意識はあった。それなのに、彼女の心が掴めない。
真っ暗な世界が広がっていて、果てしない世界である。自分はその中にいて、宙に浮いているわけではなく、明らかに、どこかに足をつけて立っていたのだ。
しかし、前に踏み出すことができない。
――一歩踏み出した先が、底なしの沼だったら、どうしよう?
という思いがあったからだ。
前に一歩くらいは進むことができるかも知れない。しかし、一歩踏み出した先で、もう一度まわりを見渡してみると、どちらが前でどちらが後ろなのか分からない。もし、元の場所に戻りたいと思っても、一歩進んでしまったために、戻ることができなくなってしまったのだ。
そんなイメージを抱いていた。
彼女の心の奥は、
――踏み入れてはいけない――
そんな場所だったのだ。
最初、優香は自分が入り込んだその世界を初めて見たと思っていた。しかし、一歩踏み出そうと思った瞬間、思いとどまった理由を自分で納得できたことで、
――前にも感じたことがあったような世界だ――
と感じたのだ。
優香は、彼女の心だけ覗けないことに納得がいかなかった。そして、必死で考えてみた。
――どうすれば、自分を納得させられる答えが見つかるんだろう?
その時考えたのは、
――それが本当の答えである必要はない――
という思いだった。
答えを一つだと思うから、考えが浮かんで来ない。そう思うと、気が楽になって、一つの意見が頭をもたげた。
「そうだ。私が見ている場所が違うんじゃないのかしら?」
今までは他の人を百発百中で見れていたことで、その思いに至ることはなかった。しかし、本当なら、もっと早くその思いが浮かんできてもいいはずだった。
――ということは、自分を納得させていたと思っていたけど、それは間違いだったのかな?
と感じたが、それも違った。
――納得させることが先決で、そこから浮かんで来ない疑問であっても、いずれは何かにぶつかって、その時に再度考え直すことができるんだわ――
それが今だということだった。
その時初めて気づいた。
――自分を納得させること――
それが今までも、そしてこれからも抱えていく優香にとっての存在意義なのだということを……。
優香は、次の日、またしても綾から不思議な話を聞かされた。
「優香さん、昨日私が話したこと覚えてる?」
「S研究所の西村あすなが、新しい学説を発表したということでしょう?」
「ええ、でも、その後不思議なのよ」
「何が?」
「発表したはずの西村あすなという人が、発表と同時に失踪しているという話なのよね」
「どういうこと?」
「雑誌には明記されていなかったし、マスコミ発表もされていないので、知っている人はごく限られた人になるんだけど、西村さんは研究を発表すると言って、数人を研究室に集めておいて、その場には現れなかったらしいのよ」
「じゃあ、その学説は?」
「ちゃんと、プリントアウトされたものが、封筒の中に入っていたということなんだけど、どういうことなのかしらね」