二重構造
注目された子供の頃のプレッシャーから解放されて、喜んでいる人もいれば、逆に注目されなくなったことで自分の才能の限界を感じてしまい、人生の道を踏み外す人もいる。
優香の場合は、前者だった。
子供の頃は天才と呼ばれ、まわりから受けるプレッシャーは、結構なものだった。
口では、
「子供なんだから、無理することはないのよ」
と言われていても、心の底で、
「この子は天才児なんだから、無理も何もないわ」
と言っているのが見えていた。
それも天才児と呼ばれる所以であり、優香にしか分からない思いだった。
優香は、人の心が見えることで、不可能を可能にしてきたと言ってもいい。それが、
「天才少女:優香」
を生んだのだ。
子供というのは、大人からおだてられると、どうしても、
――その期待に応えなければいけない――
と思い込んでしまう。
そこに計算は存在しない。純粋な気持ちで期待に応えようとしたことが、少女の悲劇を生んだのだ。
一度、期待に応えてしまうと、まわりは許してくれない。
「この子は素直でいい子なの」
と紹介されると、もうダメだった。初めて遭った相手であればあるほど、相手の目は好奇心に溢れている。
――私はまるでピエロだわ――
しかも、黙って道化師を演じていればいいだけのピエロではない。結果を出さなければいけないピエロなのだ。
――そんなプレッシャーを、あどけないいたいけな少女に持たせるというのは、どうしたものか――
と、世の中を呪ったものだ。
町内という狭い範囲での天才児だったことは幸いだった。優香の話題も最初ほどではなくなってくると、まわりの人は次第に優香から離れていく。
「蜘蛛の子を散らす」
というのは、こういうことをいうのかも知れない。
優香は、あっけに取られていた。
――これでプレッシャーを感じなくてもいいんだ――
と思うと、少しの間、今まで分かっていたはずのまわりの人の心が分からなくなっていった。
――どうしたのかしら?
と思いながら、
「これで、もうまわりから変なプレッシャーを掛けられることはないんだわ」
とホッとした気分になった。
しかし、しばらくして、またまわりの人の考えていることが分かるようになってきた。そのことで、優香の天才的な部分が顔を出してきたのだ。
あれだけプレッシャーを嫌がっていたのに、今では懐かしく感じられるようになり、今度は自分からまわりにアピールしようと思うようになっていった。
ちょうどそれが高校生の頃だったが、その頃のまわりは、皆大学受験のためにピリピリしていて、
「まわりは全員敵」
という状態ができあがっていた。
優香は自分が目立ちたいという気持ちを持っても、それは肩透かしでしかない。その思いを感じた高校時代だったが、その時の気持ちがあったからこそ、大学では研究に打ち込みたいという思いを抱くことになったのだ。
高校の時の優香の成績は、他の人を抑えて群を抜いていた。進学校であるにも関わらず、進学コースでも主席をずっと維持し、大学も名門と言われる国立大学でも十分な成績だと言われていた。
しかし、優香は国立大学でも、名門と言われる大学には行かなかった。合格はしていたが、敢えて、「滑り止め」とまわりが見える大学に入学したのだ。
「気になる教授がいるので」
というのが彼女の理由だったが、その言葉は半分本当で、半分はウソだった。
確かに彼女の気になっている教授がいたのは事実だが、優香がこの大学を選んだのは、「自由な学風」があったからだ。
特に理工系の学部の中でも、空想学科というのがあって、タイムマシンやロボットの研究が進められていた。優香自身は自分が開発に携わるという意識はなかったのだが、空想科学の科学的な解明に力を注いでみたかったのだ。
理工系の学部だからと言って、女性が少ないわけではない。空想学科にも女性は多く、ロボット工学に興味を持って入学してくる人も多かった。優香はそんな人たちと、結構仲良くしていたが、一線を画していたのも事実である。
「ロボット工学三原則」という考え方は知っていたが、あまり興味を持っていたわけではない。どちらかというと、ロボット工学というよりも、「相対性理論」の方に興味があり、タイムマシンやタイムパラドックス、パラレルワールドなどに興味があったのだ。
優香が一番仲良くしていた女性は、ロボット工学に興味を示していた。特に、「ロボット工学三原則」の話になると、夜を徹して話していても話し足りないと言った感じだった。
「でも、すごいわよね。半世紀以上も前の理論が、ずっと今も研究され続けているんですからね。しかも、これって学者の提唱した学説ではなく、SF作家が自分の作品の中で書いたものなんですものね。そう思っただけでも、大いに興味をそそられるのよ」
彼女がロボット工学に興味を示したのは、中学の頃だったという。中学に入学してからというもの、小学校の頃にあれだけ好きだった算数が、数学になったとたん、急に嫌いになったという。
「だって、自分が苦労して解いた答えを、公式に当て嵌めるだけで、あっという間に解けてしまうんだから、面白くないと思っても仕方がないわよね」
なるほど、その通りだ。
優香も、一時期数学に疑問を感じていたことがあった。
小学生の頃の算数というのは、答えが合っていれば、途中の解き方が、どのようなプロセスであってもいいのだ。ただ、問題はその解き方であり、解き方が論理的に間違っていなければ、すべて正解なのだ。
算数に興味を持ったのは、この解き方に対する論理性だった。
その頃から、優香は「論理性」というものを重視し始めた。そのうちに、
「世の中に存在しているものは、すべて論理的に説明できるものなんだ」
という自論を持ったことで、中学の時、一時的に疑問を持った数学に対しても、疑問を感じなくなった。
すべての公式も論理的に考えることができ、公式を覚えるより、むしろ論理的に考えることで、成績が上がってきたというのも、皮肉なものだった。
その考え方が、すべての学問に通じるものだったということを優香が知っていたのかどうか分からないが、成績はうなぎ昇りだった。
成績が上がっても、それが優香の自慢でもなければ、プライドにも結び付いたわけでもない。ただ、論理的に考えることが好きなだけなのに、成績が上がってくることは、通過点のようなものだと考えることで自分を納得させてきた。
だから、学校内で群を抜いて成績がいいことも、優香にとっては、ただの副産物でしかない。副産物だということを、優香は意識していた。
勝手に騒いでいるのはまわりだった。
「栗山優香君は、わが校の誇りだよ」
と、先生の多くは彼女を贔屓していた。
学校を上げて、優香をバックアップする体制さえ、高校時代は整っていた。
しかし、
「出る杭は打たれる」
というもので、まわりのクラスメイトからは、冷たい目でしか見られていなかった。
驕りもプライドもあったわけではない優香にとって、まわりの冷たい目の理由が分からなかったが、
――別に自分が悪いわけではない――