二重構造
と言えるのではないだろうか。
そんな研究所では、SF小説さながらの、タイムマシンの研究であったり、ロボットの研究であったり、パラドックスやフレーム問題などの、デリケートな問題を含んでいる学問に対して、敢然と立ち向かっていると言ってもいいだろう。
大学で、そんな研究をしているところはさすがにない。大学院まで進めば、それらしき研究ができるところもあるだろう。正樹もあすなも、そして優香と呼ばれた女性も、大学院では、今までとは違った特別な研究をしていたのは間違いにないことだった。
あすなや正樹の属していた「S研究所」は、公式には半官半民のような機関になっていて、予算はそれなりにあったが、完全に自由な研究ができるわけではなかった。
実際に今までの研究成果は、民間の企業に落札されることで決着のつくものが多く、一般の企業内にある研究所と、さほど違いはなかった。
「S研究所」のように半官半民のような研究所は、研究結果が発表されると、その特許は競売によって落札されるのが一般的になっていた。
以前までは、研究所が単独で存在するということはなく、すべて所属する会社の研究となっていたが、時代の流れによって、研究所が企業から独立するところが増えてきたのだった。
それにより、研究所自体に、研究部署とは別に、営業企画の部署も必要になり、最初は、受注を受けての研究が盛んだった。
「これだったら、今までと変わりはないじゃないか」
という研究員の意見が多くなった。
彼らの言い分としては、
「受注を受けてからの研究ではなく、研究所独自の研究が自由に行われ、それを売り込みにいくような形が、自然ではないのでしょうか?」
というものになった。
研究所では、その意見に基づいて、研究結果を売り込みに行く部署ができたのだが、元々、そういうノウハウがない機関なので、研究と営業との間でうまく気持ちの疎通がいかなかったりした。
そんな研究所が増えてくると、研究結果を欲している企業の方から、ある提案が持たれた。
「それじゃあ、競売に掛けて、落札形式にしてはいかがかな?」
それは、研究所側には、目からうろこだった。
「なるほど、確かにそうですね。それだと、こちらもカスタマイズとして売り込むことができますし、後は、クライアントの方で、いろいろ改良を加えられるのも自由ですからね」
「そうですね。ただ、そうなった場合の特許は、どちらになるかが問題になりますね」
「それは、研究所側ではないですか? 保証はどこまでするか? あるいは、改良に対してのフォローはどこまでするか? などと言った問題は、後からでも相談はできますからね」
まずは、
「競売による落札」
という形式を確立することが先決だった。
もっとも、これは研究所の存続という意味では、一つの選択肢でしかなかった。それでも、研究所と民間企業との間でのパイプが結ばれることが先決であった。そのため研究内容は、国家に縛られることもなくなった。半官と言っても、官僚の中に、研究内容が分かる人など一人もいないのだ。たぶん、大学教授でも、ここでの研究が異常であることは分かっても、理屈まで分かる人はいないだろう。反論は難しいのだ。
優香の所属する「K研究所」は、正樹やあすなほど官僚に結びついているわけではない。確かにこの研究所も半官半民と言われているが、半官半民と言ってもピンからキリまであり、S研究所は官僚に近く、優香の方は、民間に近かった。
それは仕方がないことで、S研究所は設立されてから、すでに十年近く経っていて、半官半民の研究所の先駆けと言ってもいいだろう。
それに比べてK研究所の方は、最近まで某民間企業の研究室だったものが独立したもので、しかも、独立に際して企業側と少し揉めたことで、研究所側が策を弄して何とか独立した形だった。
そのため、
「実際の独立がいつだったのか?」
ということは曖昧になっていた。
もちろん、定款を見れば分かるのだろうが、それは形式的なこと、実際の独立は、
「どさくさに紛れて行われた」
と言われているが、まさしくその通りだった。
研究員も、その煽りを受けてか、独立してもしばらくは落ち着かなかった。研究どころではなかったと言ってもいいだろう。いまだに元の会社と研究所の間には確執があって、研究所で開発された研究を競売に掛けても、元企業の方で、嫌がらせや妨害が行われていたのも事実だったようだ。
そんな研究所に嫌気が差して、辞めていった者、他の研究所から引き抜かれて、簡単に移籍したもの、中には研究自体に見切りをつけて、元企業で、まったく別の部署でやり直そうとした人もいたようだ。
研究員として頑張っている人はまだいいのだが、悲惨だったのは、研究に見切りをつけた人だった。
最初こそ、
「研究所の力を削ぐ」
という目的で研究をやめてしまった人を受け入れた元企業だったが、研究をやめてしまった社員に、いまさら用があるわけもない。いきなり左遷コースを歩まされ、惨めな思いをさせることで、自分から会社を辞めるように仕向けていたのだ。
「こんな会社……」
と、失意のまま辞めてしまって、後は坂道を転がり落ちることになる人がほとんどだった。
だが、この日、優香に声を掛けてきたこの女性、名前を村上綾というが、彼女も、実は元の企業に戻った一人だった。
彼女は、女を武器に、前の会社で生き残ろうとした。たらしこんだ男は、彼女の思った通りの男性で、自分を引き上げてくれるような感じだったが、綾が思っていた以上に、彼は猜疑心が強く、そしてまわりに流されやすい男だった。
綾もある程度までは分かっていた。分かっていて、利用したのは、
――私が彼を変えてみせる――
と思ったからだったが、何と彼は猜疑心が強いくせに、男色だったのだ。
綾とは別に、課長とも「できて」いた。
課長は、自分の出世だけを考えている人で、この男も、課長に利用された一人だった。
この情けない男は、そんな課長の真意を、完全に読み違えていた。
――課長が愛してくれているのは、僕だけなんだ――
しかも、この男の中に猜疑心が強く潜んでいることを本人に気づかせたのが、この課長だった。つまりは、綾が彼を利用し始めた頃には、猜疑心がここまで強いとは思っていなかったのだ。
完全に綾の計画は崩れてしまった。
一番信用していた男に裏切られ、
――と言っても、元々利用していたのだから、どっちもどっちなのだが――
一気に敵を二人に増やしてしまった。
「しまった」
気づいた時にはすでに遅かった。
「まずい」
といち早く気づいたことで、転落する前に会社を辞めることができて、ある意味よかったのかも知れない。
綾は反省はしたが、後悔はしていなかった。それだけ前向きだったのである。
そんな時、優香から声を掛けられた。
「綾ちゃん、久しぶりね」
「優香さん……」
さすがに失意のどん底であった綾は、優香に声を掛けられたことで、元気を取り戻した。元気さえ取り戻せば、綾はそれまでの性格を取り戻すこともできた。しかも、声を掛けてくれた優香に対して、服従の気持ちが大きかったのだ。